人それぞれが持っているパンドラの箱

なんか難しい。

そんなことを感じた1日でした。

まず、良かったこと。

自分の書いた文書、そして書くにあたっての考え方、
それが依頼主の期待通りで、
お互いに共感できたこと。

作品を通して、気持ちを共有できるって、
本当に素晴らしいことだ、と感じました。

何より、ユーザー視点に立ったコンセプトを、
しっかりと解像度高く立てることが
重要だと気づかされました。

次は、心が苦しかったこと。

やっぱり十人十色、同じ人はいないわけで、
ある人にとっては、「その場」を居心地よく感じても、
別の人にとっては、「その場」を良く思わなかったりします。

そして、「その場」のなかでは、
居心地よく思わない人が苦しんでしまいます。
それを、居心地よく感じている人が、
なんとかしようとしても、それは難しいわけで。

はたまた、「その場」が変われば、
180度変わることもあるわけで。

何が善で、何が悪とかじゃなくて、
何が正義で、何が不義とかじゃなくて、
そんな簡単に線引きできるものでもなくて、


一人ひとり、妥協できるところは違います。

みんなが平和に暮らせて、
楽しい世界なんて、
夢物語なのかな、
と思ってしまいます。

なんか、変に難しく考えてしまいました。

こうやって考えると、
みんな「パンドラの箱」を持っていて、
その一番奥底までを見せないように生きているのかな、と。
その一番奥底まで開ききってしまったとき、
いろんなことが、その周りで起きるのかな、と。

私の「パンドラの箱」

奥底には、何があるのだろう?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?