20230421

 多和田葉子『百年の散歩』(新潮社)を読んでいる。ドイツにある通りや広場をタイトルに、その場所を歩く語り手が〝あの人〟を待ちながら通りや店にいる人々を眺めながら勝手に名付けたり、妄想を膨らませていくだけの話なのだが、これが大変面白い。後藤明生『挟み撃ち』でも感じたことだが、誰かを待っている状態というのは周りを見回して思考が移ろうと共にその空間の細部を描写するのにも最適な状態である。思考が移ろうことにより、時間も軽々と超えて思い出などを振り返ることにもなり、小説が描く時間と空間を混ぜ合わせるということに成功しやすい書き方だと思う。加えて、多和田は詩人であり、ドイツ語で小説も書ける言語感覚において突出した才の持ち主でもある。言語の響き、ドイツ語と日本語を自由に行き来するその文体は唯一無二と言っていいだろう。読み終わったら、また感想を書くことにしようと思う。

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