20240125

 晴れて寒さは少し和らいだが、朝晩は冷え込んだ。それでも、午後五時を過ぎてもまだ空が明るいのは、これから段々と日が長くなっていくのだという希望が持てるので救いとなる。近所で花が咲き始めていた梅の木、三本がマンションの敷地内で伐採されて切り株になっていた。なんだかとても驚いたし、悲しかった。花がこれから色づくというのになぜ切ってしまったのか、病気か老齢か、草花には詳しくないのでよく分からないが、その生垣には白い立て板に「ミドリを大切に」とマジックで書かれていた。
 リディア・デイヴィスの長篇小説『話の終わり』(岸本佐知子訳、白水Uブックス)を読了した。彼女の作品は昨年『ほとんど記憶のない女』を読んで、衝撃を受けて唯一の長篇である本作を読んでみたく手に取った。あらすじとしては、別れた元彼から仏語で書かれた詩が送られてきて、その返事に小説を書くということだけだ。この小説が特異であるのは、その小説を書く過程と、語り手である「私」の彼に対する記憶がほとんど無秩序に断章の連なりのようになっているところだ。タイトルにもあるように、この小説は「話の終わり」から始まる。――これが話の終わりであるようにそのときの私には思えたし、〈中略〉私はそれを小説の最初にもってきた。最後を最初に語らなければ、その後の部分を語れないような気がしたのだ。――このように作中で語られるように、人が何か過去のことを語るには、その事象について本人が区切りをつけて語る準備を整える必要があるのだと思った。

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