20231212

日記は「間隙」にもとづいている。日記は、日常の連続から、さらにはその時間―「暦の、時計の、そして証券取引所の時間」――の連続から隔たった場を開くかたちで断続的に書かれ、けっして完結することがない。

柿木伸之『ヴォルター・ベンヤミン――闇を歩く批評』(岩波文庫)

 ベンヤミンは男性中心社会の中で潰れていった青春の日々が日記というかたちで蘇ると説いている。わたしは、そのような明確な意思を持ってこの日記を始めたわけではないが、このテキストを読んだ時にふと腑に落ちるものがあった。無為に過ぎ去るように感じる日々への抵抗としての「日記」。思えば、生活綴方運動が目指した理想もそこにあったのではないか。『山びこ学校』で知られる無著成恭が亡くなったのは今年七月だった。
 ベンヤミンの悲劇的な最期は皆の知るところだ。現在はイスラエルによるパレスチナ人虐殺が激化している。ホロコーストという史上最悪の虐殺の犠牲者だった彼らの国家がこのような状況にあることを、ユダヤ人たちはどう思っているのだろうか。ネタニヤフ政府の声明などではなく、その国家で生きる市井の人々の言葉を今こそ聞きたい。

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