20240412

 ようやく春らしい天候に恵まれ、寒暖の差も落ち着いてきたようだ。平年よりはずいぶんと遅まきな春の訪れになった。とは言え、人々はこの春を待っていましたとばかりに公園でレジャーシートを広げてすでに葉桜になっている木の下で暗くなっても飲んで騒いでいる。大学なども始まって新歓コンパの時期でもある。道端に吐いた記憶が苦々しく思い出される。それも経験なのだろう。
 中勘助『銀の匙』の読書会だった。大正期の東京で病弱だった幼少期から伯母の手によって過保護に育てられた視点人物の青年になるまでの思い出を、巧みな描写とみずみずしい文体で描いた小説。わたしは面白く読んだが、「独りよがりの美化された世界に虫唾が走った」という感想もあって興味深い回になった。確かに、作中における淡い恋愛以前の感情を抱く女性や、友達といった類にも彼らの背景や人物像に奥行きのない極めて一方的で平面的な描き方がなされていて〝他者〟の存在を一切立ち入らせない閉じられた世界の中で作者が気持ちよい描写で自己完結する、言葉を選ばずに言えば〝オナニー〟にしかなっていないと言えば、そうである。しかし、最後の姉様との晩餐の場面などは見事な描写である。

浅い緑色の粉をほろほろとふりかけてとろけさうなのを と とつゆにひたすと濃い海老色がさつとかかる。それをそうと舌にのせる。しづかな柚子の馨、きつい醤油の味、つめたく滑つこいはだざわりがする。それをころころと二三度ころがすうちにかすかな澱粉性の味をのこして溶けてしまふ。

中勘助『銀の匙』

 冷奴に柚子をおろしたものだけでこれだけの芳醇な語彙がつらつらと出てくるのは驚異的だ。このほか、凧揚げや釣り堀や当時の子どもたちがどう遊んでいたかを描いており、風俗的にも歴史資料として価値もあるのではないかと思う。

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