20230809

 八月九日、七十八年前の午前十一時〇二分に、長崎浦上天主堂跡に原子爆弾「ファットマン」が落された。長崎には台風が近づき、毎年行われる式典は市内関係者のみで執り行われた。岸田首相はビデオメッセージを送った。わたしの父方の祖母は被爆者手帳を持っていたので、わたしは被爆三世ということになる。と言っても、祖母は八十過ぎまで生きたし、重い後遺症のようなものはなかったし、父もわたしも健康上の問題はない。だから、特に痛々しい被爆体験を語る人や原爆で家族を亡くした遺族、後遺症に苦しみ続けた人の話を聞くと運が良かったとしか言い様がない。その反面、自衛隊のイージス艦を製造する三菱重工や軍艦島における朝鮮人の強制労働の記載を認めない県の方針など、加害者としての意識の薄い地元の欺瞞に若い頃のわたしはうんざりしていたし、今でもそう思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?