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仮想建築探訪②

目を覚ますと赤茶の壁が面前に迫っていた。都心部からバスで2時間ほど揺られて到着した場所は、見渡す限りレンガの壁に囲まれていたのだが、しばしの間、寝ぼけた頭では状況が理解できないほど、異世界感に襲われていた。が、声が届いてきた為、ようやく意識が戻ってきた。「よく寝たね〜。おはよ。」バスの行程中ずっと起きていたらしい妻は、見てきた景色の変化をザクッと説明してくれた。その説明によると、どうやらこの赤茶の壁群は唐突に出現したようだ。否が応でも高まるこの壁の向こうへの期待感が寝ぼけた頭をクリアにしていくのがわかる。その頃、他の乗客も到着に合わせて下車の準備を始めており、その物音がさらに周囲の乗客も起こしているようだ。「戻りのバスは16時になりまーす。」こちらも慌てた様子で荷物を取りまとめていたところでアナウンスがあった。今回は日帰りのプチ旅なのである。

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目当ての場所に行くまでは狭い路地を歩くことになるので、大型バスはその手前の大型駐車場で止まるのであるが、そこに降りた時から異世界への旅は始まっていた。「おーーーーー!」駐車場からいきなり辺り一面の石畳と石の壁が一向を出迎えてくれる形になっており、同乗していた様々な国からの旅行者が一様に歓声をあげると同時に、「ふーーーーーっ。」っと長旅の疲れを表現するかのような、ため息混ざりの深呼吸も声になって飛び交っていた。「帰りのバスは16時ですからねー。」ガイドさんが念押しでアナウンスをしていたが、皆辺りの景色に気を取られて、あまり関心がない様子である。「逃したら帰れなくなっちゃうんだけど。。。」と小さく発せられた声を僕は聞き逃さなかったが、やはり僕も周りの方が気になっていた。何と言っても今回の目的地は「世界一美しい広場」と言われているのだ。また、後で知ったのだが、この赤茶の町の色がそのまま絵の具の色の名前にもなっていたようだ。

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駐車場から路地に入っていくと靴や服の店が実に多く並んでいた。実はこれは予想外であった。ガイドブックなどで路地の写真は見ていたつもりであったのだが、それらの写真にはレンガ壁に挟まれた石畳の趣のある路地裏風景が広がっていたため、そのような田舎町であると想像していたのだ。だが、実際は壁から突き出たサインがないだけで、レンガアーチの内部はガラス張りのショーウィンドウで埋め尽くされており、おしゃれなバック、靴、服などが並んでいた。二人とも思わず目を奪われていた。高級店であろうにも関わらず、靴好きの僕は思わず入ってしまった。美しいと、純粋な気持ちで靴にそう思ったのは、今のところこの時しかなかったであろう。日本では出会わないようなモノとの出会いもまた旅の楽しみの一つであろうと思ったのは、興奮が収まった翌日の朝を待つことになる。が、それだけの出会いと言いながら、買わなかった。。。実はその時履いていた靴は今回の旅の為に、その直前に買った靴であったこともあり、苦悩の末に断念したのだが、今でも後悔するのはこの時の決断である。

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細い路地を、ある細い通路で左に曲がる必要があるのだが、それが発見できるかが、ずっと気がかりであったが、やはりここは観光地だけあって、観光客のメインストリームはそちらに流れており、迷うことはなかった。T字路を左に曲がり住宅のトンネルを抜けた先に今回の目的である広場があるようだ。トンネルの先は光で見えない。映画でもコテコテな演出ではないか、と思ったがやはり現実そうなると素晴らしい演出効果がある。

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広場に1歩足を踏み入れると、久しぶりにその太陽の存在を思い出させてくれた。幅の狭い細い路地はその構造上、太陽光が届きにくく若干の暗さがあるのであるが、スケール感を急に違えたように、急に開けているこの広場では、思いっきりその光を浴びることができる。

こんな感覚は初めてだったのであるが、その開放感と同時に何とも言えない包まれ感の両方の感覚を抱かせるのである。ここで一旦、「包まれ感」から整理してみよう。広場の平面形は扇型でありその中心部に市庁舎が位置している。平面的にはその扇のカーブがその内部を包み込むような形となっているのである。断面的にはこの広場はその扇型の中心部に向かって5〜10°の勾配がついており、断面的にもその中心部に向かって包み込むような形になっているし、石のラインがその勾配を視覚化してくれている。つまり、平面的にも断面的にも包まれ感はこれらが理由であろうと予想される。続いて開放感であるが、「D(街路・広場の幅)/H(建物高さ)比」という囲まれ感を示す尺度があるのはご存知であろうか。目測でしかないが、切断面によってD/H=3〜5程度あるように思われる。(*D/H比をザクッと説明すると、0.5程度だと閉塞感があり、1程度で空間に緊張感が生まれ、2以上で緩やかな包まれ感、3程度では建物が背景と同質化してくると言われている。閉塞感などを測る指標の一つ。)つまりD/H比から考えると広場全体としては開放感を保ってもいるのだが、一つ例外がある。その扇型の中心に位置する市庁舎には鐘塔があり、その高さが広場の幅とほぼ同じであることが、この広場のアクセントとしても、広場にある種の緊張感をもたらしている原因とも考えられる。

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バスの長旅の疲れもあり、時間的にも一旦昼食をとることにした。広場の周囲にはレストランや宿泊施設で埋め尽くされており実に賑やかな雰囲気が醸成されているので、その雰囲気も楽しみながらお店を選ぶ。「パスタがいいかな〜。」といったのは自分からだったか、妻からであったか定かでないが、二人の意見は一致していた。この国でのパスタ料理にはハズレがない。言い方が婉曲的だが、全て美味しい。間違いないのだ。2・3のお店の中を覗いて、カルボナーラが最も美味しそうなお店に決めた。パスタは確かに美味しく、それだけでもここにきた甲斐があるよ思わせる説得力があるのだが、このレストランの外縁部に席を取ったこともあり、そこが広場の一角の特等席のような雰囲気があった。なんというか、特別感。食後のデザートとともに広場のスケッチも描きながら、しばらくこの特別感を堪能していた。

「おーい!」と日本語で声をかけてくる人がいた。誰を読んでるんだろうと振り返ると、店の奥に見慣れた顔があった。全くの偶然での日本の友人との鉢合わせであった。お互いに何でいるのといった状況であったが、記念撮影と多少の歓談の後に別れた。

スケッチ作業に戻り考えていたのは、この広場が驚くほど多くの人に利用されていることである。観光地だからそうだろうと言われればそれなのであるが、これは卵と鳥の理屈と同じで、使われていたから観光地になったと考える方が実は自然だとも考えられる。実は広場という原型は日本にない。そのためうまく利用できる日本人も実は少ないのが現状である。話はそれるが、日本では古来より『みち』がその役割を担ってきた。井戸端や路地裏、道端といった言葉は全て『みち』での活動を行う場所を示した言葉である様に、公共で人が集まる場所は『みち』であった。

広場は明治期に公園文化の輸入と同じ時期にその一端として取り入れられた都市計画上の呼び名であった様である。結論から言うと、日本の広場研究のお手本の一つも実はこの広場であった。広場をうまく使ってもらうには、実はその周縁部に人の拠り所を作ってあげて、その広場自体を眺められる構造が必要だと言われている。これは想像してみてほしいのだが、人は何もないだだっ広いところよりも樹木や植栽、または人工的な壁などの心理的に寄りかかれるものがあったほうが居心地が良いものである。(電車でも端っこに座りたくなりませんか?)その様にして周縁部に集まった人々の中の一部が中央に向けて”一時的”に広場を利用しに飛び出すのだ。やはりここは一時的利用であって時間が経てば周縁部の落ち着くところに戻りたいと思うのではないだろうか。ここでは最外周部となる建物内にレストランを配置していることで安定した人の居場所が設けられており、広場とレストランの間の歩行者用の道路が広場とレストランの緩衝空間兼ヒトの動線の役割も果たしているのである。

更に広場の中は緩やかな勾配がそこに座るのにちょうどよく、現に座っているカップルも多い。機能的にも雨の日にはこの勾配が雨水の集水のためにも機能するのだから、素晴らしい。やはりお手本になるわけだ、と改めて思う次第であった。

ここでガイドブックを再確認すると、何と面前の市役所の鐘塔に登れる様だ。早速登ってみると、ここに到着した際の異世界間の理由がはっきりとわかった。

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赤茶の壁の町の周囲は緑が生い茂っており、市街地のみがこの赤茶である様だ。これは帰路にわかるのであるが、町の外の建物は石造であっても赤茶レンガではないことの方が多いのである。

塔の上からは広場もよく見えた。(トップの写真参照)広場は9つの面に分割されているのであるが、これは当時の9人の統治者に合わせて、9つに別れている様である。その様に歴史を表現する意匠と包まれ感・開放感の扱いと周縁部の扱いなどが一体となってこの広場を有機的な空間に仕上げていると感じるのである。通常広場に空間性という言葉は使わないが、この緊張感というか居心地というかその様な感覚を成立させている場所には、その空間性が存在すると考えている。また、この様な感覚はやはり現地でないと分からないであろう。写真や図面では限界があるので、ネット時代に現地現物体験の重要性を十二分に感じているところであった。

「さて、一通り広場も見たし、次のところに行こうか。」とったところで急な雨に降られることとなった。やばい。どうしよう。となったが、幸いにして雨宿りする場所はたくさんあるので、再度の一休みを取ることにした。急いでも帰りのバスの時間は変わらないしね。と二人とも考えていることは一緒であった。雨の中一つだけ得したことがあった。広場の集水機能は確かに機能しているということが確認できた。改修されてはいる様であるが、現役であることは凄いことで、14世紀の市役所の建設後あたりから、現在の広場形になったと言われているため、700年弱もの間、社会的にも物質的にも存在して、機能しているのである。

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さて、今回の仮装建築探訪ツアーはここまでである。あまりに有名で最初の写真で分かっちゃいましたよ、というあなたは自信を持って”広場通”を宣言しましょう(笑)さあ、答え合わせですが、ここはイタリア中部の山岳都市シエナのカンポ広場でした。世界一美しい広場と呼ばれ、毎年多くの観光客が訪れる場所であり、建築学科の学生が必ず習う広場のお手本とも言われる場所でもあります。絵の具にもSIENA色という色があります。赤茶レンガの綺麗でちょっとくすんだ感じもまたいい雰囲気を出していると思いますので、絵などの趣味がある方は一度お試しください。

#建築 #モノ #広場 #おさまり #旅



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