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猪木前・猪木後

大学生の時、21世紀を迎えた瞬間はレストランでアルバイトをしていた。大晦日の夜に入って、バイトを上がって店を出た時に感じた違和感。街並みは何も変わらないのに、昨日と全く違う空気が流れているというか、違う世界に来てしまったかのような、あの違和感。それを思い出した。 

2022年10月1日は、まさにそんな大きな分岐点。

世紀が変わるように、元号が変わるように、猪木前・猪木後、と世界ははっきりと分かれている。引退しようが、格闘技に行こうが、政界に行こうが、闘病しようが、「猪木が居る」ということが、これほど大切なことだったと、10月1日から体の中に重しをぶら下げたような喪失感が、それを気付かせてくれる。

直接観たのは10回も無い。大阪市立大学の学祭、大阪ドームのタイガーキングとのタッグ、東京ドームの引退試合、選挙中の演説、UFOやIGFの大会。一番至近距離で観ることができたのは、2013年の選挙の演説で梅田の駅前に来られた時。そして生まれて初めて、ヒーロー・アントニオ猪木と握手をした。大きく、柔らかく、暖かい手。そして、あの射抜くような目。その日はずっと上の空だった。

ちょうど亡くなったというニュースを見たのは、子どもの運動会の真っ最中。元気な声がとても遠く感じた。青い空が痛かった。全く受け止められない。賑やかな声や徒競走の興奮が、その事実を忘れさせてくれた。

亡くなって1週間。まだ胸がギュッとなる。生きる意味。生かされる意味。ぼんやり考えてみる。亡くなってなお、元気を届けてくれる猪木。本当にスーパースターだ。しばらく喪失感とは付き合っていかないといけないだろうけど、猪木の居ない時代を、自分なりに元気に生きていかねば、という気持ちに少しずつ傾いている。

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