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20201129 / 過去を失った僕らは,太陽を直視した.「象は静かに座っている | An Elephant Sitting Still」

 僕の嗚咽を,吐いた血を,発狂して叫びちらした醜い怒号と嘆きとを,彼がそれらを吸収し,見えない暗闇の中でそれらを結んで紡ぎ,そして憧憬を醸し出した.僕はそれがこの世界の美しさなのだと理解したんだ.

時代の流れとともに炭鉱業が廃れた中国の小さな田舎町。少年ブーは友達をかばい、不良の同級生をあやまって階段から突き落としてしまう。不良の兄は町で幅を利かせているチェンだった。チェン達に追われ町を出ようとするブーは、友達のリン、近所の老人ジンをも巻き込んでいく。親友を自殺に追い込んでしまい自責の念のかられているチェン、家に居場所がなく教師と関係を持つことで拠り所をみつけるリン、娘夫婦に邪険にされながらも老人ホーム行きを拒むジン。それぞれに事情を抱えながらも、遠く2300km先の果て満州里にいる、一日中ただ座り続けているという奇妙な象の存在にわずかな希望を抱き4人は歩き出す――。
変わらない日常に疲れた年齢のバラバラな男女。それぞれが突然の悲しみに直面することで、傷つきながらも暗い日々に終わりを求めて動きはじめる。人はどこへでも行けるはずだ――。利己主義に満ちた現代社会にもまれる、世界の片隅に生きる人々の渇望を描く人間ドラマが誕生した。
映画「象は静かに座っている」オフィシャルサイト

過去を失った僕らは,太陽を直視した.

 そういう感傷が妙に心地良いから,いや,それはたぶん,彼がそういうやり方で,僕を蝕んでいったんだろう.僕だけでなく,彼は彼の中にいる多くの人々をそういうやり方で蝕んでいって,そして還すんだ.僕らが生きているここは,たぶん,もとからそういう仕組みでなりたっていて,僕らが生きるという工程も,突き詰めればそういうことの繰り返しでしかないのかもしれない.それを受け入れようとも,受け入れなくとも.やるせないが,いまさらどうすることもないか.これから,どうしていこうか.

 鉄道の汽笛が鳴り響いた.橋のたもとから夕日を睨んだ.灰色の煙を吸い込んで,僕はまた嗚咽を漏らした.途端に耳の奥のほうが詰まり,閉じたような感触がした.僕は静寂に取り残されて,そしてすぐに,内側に鼓動の音が鳴り響いた.僕は胸を抑えた.そうすると,僕に似た誰かに胸を掴まれたような気がした.彼はその胸から,僕の内側に少しづつ犯すように蝕んでいって,僕は興奮と,絶頂を迎える手前の,さっきまでとは別の嗚咽が,今度は僕の外側ではなく,内側で鳴り響いた.彼が僕の手と足の指の先まで僕を満たすと,今度は背中のほうから首を伝って,頭の先にまで達していく.そうすると,もう僕は僕ではなくなってしまったような気がして,僕は彼が世界の美しさを生み出すための一部になってしまった.それでも,それがとても安定した状態かというと,そんなこともないわけで,蝕まれた僕は,その内側の僕ではないなにかを,とても抑え込むことはできそうもないのだ.

 鼓動が速まった.僕は思わず口を塞いだ.こんなクソみたいな世界で,僕は僕がクソみたいなやつだから,こんな生き方だっていいもんなって,無理矢理にでも肯定して生きていこうと思っていたのに.それでも,僕は幸せになりたかった.僕は彼を.

 途端に,耳の奥のほうが詰まり,閉じたような感触がして,僕の内側は静寂で満たされた.

彼は世界の美しさには秘密が隠されていると思った。世界の心臓は恐ろしい犠牲を払って脈打っているのであり、世界の苦悩と美は互いに様々な形で平衡を保ちながら関連し合っているのであって、このようなすさまじい欠落のなかでさまざまな生き物の血が究極的には一輪の花の幻想を得るために流されているのかもしれなかった。
『「コーマック・マッカーシー/すべての美しい馬」-オフィシャルサイトより』

 すっかり,夜が更けて,やがて,僕は彼に抱かれて眠ってしまった.