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MAZに行きました

まだ7月になったばかりだというのに真夏のように暑いですね。ちょっと外に出るだけで大体1Lくらい水分を消費するのですが、これ8月になったらどうなっちゃうんだろうと今から不安です。

6月は研究会で福岡出張があったり、9月に予定されている展覧会にむけての仕様決定などの締め切りが目白押しだったりで、ほとんどリサーチも試作も進められていなかったのですが、養殖場への取材をしたりもしたので記憶が新鮮なうちにレポートをまとめたいなと思っています。

CENTRALとMAZについて

さて、表題のお話。いつか行ってみたいレストランにペルーのリマにあるCENTRALがあるのですが、そこが手掛けるMAZが7月1日にオープンするとのことで、待ちきれず初日に行ってきました。

CENTRALの中核的なコンセプトは、垂直方向の多様性に富むペルーの生態系を料理で表現すること。日本では四季の表現を料理で、というのはよく行われていることですが、ペルーでは四季の変化というよりもむしろ標高による変化のほうが多様です。マイナスの海抜である太平洋の海辺からスタートして4000m超のアンデスの高地までを行ったり来たりしながら、各標高の生態系に基づいた料理を食べるというコンセプトでコースが構成されています。そのため、基本的には海のものと山のものが一緒に料理されるということはなく、同時にサーブされる料理は同じ海抜で得られる食材同士の組み合わせに限定されるというわけ。コペンハーゲンのNomaは北欧でとれる食材を中心に料理を構築しようとしましたが、CENTRALはそれをペルーで、垂直方向にレイヤー化した形で実装した、というふうに言えるでしょう。ですから、テーブルの上には各海抜に即した風景のスケッチが展開されます。

こうしたCENTRALの表現の重要な点は、料理の展開の仕方が、世界の捉え方と密接に関連しあっているというところです。日本に住む私たち(国外から読まれている方もいるかもしれませんが……)は、基本的には風景の移り変わりを、季節と場所(例えば太平洋側と日本海側というような)という時間的な変化と平面的な移動に関連付けて捉えているような気がしますが、ペルー的な世界は垂直方向の一次元的な移行と結び付けられている。そうした異なる世界の把握のしかたを料理の体験を通じて経験するというところがCENTRALの面白いところかなと思います(行ったことはありませんが……)。

MAZのメニュー。おもて面にはCENTRALと共有するコンセプト「VERTICAL WORLD(垂直の世界)」が記されている

複数の皿からなる「エコシステム」

MAZのコンセプトも基本的にはCENTRALと同様です。海抜-2mの「冷たい海」からスタートして、85mの「砂漠海岸」、178mの「熱帯林」、4200mの「極端な高さ」を経由して、再度0mの「海霧」から225mの「淡水」、3260mの「アンデスの森」まで上り、また1890mの「高地の森」、750mの「アマゾニア」と降りてくる、という流れでコースが進んでいきます。各海抜ではそのタイトルに即したかたちで最大8皿ほどの料理が同時にサーブされます。

メニューの裏面。左側にタイトルと食材、右側に海抜が書かれている

面白いのは、通常のレストランではほぼアミューズ(前菜の前のスナック)とプティフール(お茶菓子)でしか行われないこの多皿の構成が、MAZ(とCENTRAL)ではほぼ全体を通じて行われるというところ。通常では皿という単位がサーブの基本になっているのに対して、MAZでは複数皿のコンポジションで提供されるわけです(CENTRALではこの単位を「モーメント」と呼ぶそうですが、MAZでは「エコシステム」と呼ばれていました)。このことは、まずMAZの料理が生態系の表現(≒風景の描写)であるということと極めて親和的に機能しています。最初の「冷たい海」では、マテ貝にアヒ・アマリージョと柑橘のペーストを詰めたもの、発酵させた海藻のチップス、雲丹のテクスチャを模した何かのムース(忘れてしまいました……)と雲丹をあわせた冷菜の3皿が出されるのですが、これらがひとつの皿に統合されるのではなく、別々の異なる高さをもつ皿でサーブされることによって、手前の岩場の陰には雲丹が潜み、その先の浅瀬には海藻が茂り、対岸の砂浜にはマテ貝が顔を出している、という空間的な分節を伴う風景が描写されるというわけです。

「冷たい海」のエコシステム。手前から雲丹、海藻、マテ貝

また、こうした構成は、それぞれの食材を「料理しすぎない」ようにすることにも貢献しているように思いました。一般に食べ物は「自然物としての食材」と「人為的な構築物としての料理」のふたつの側面を持っており、前者では食材の味がダイレクトに感じられるのに対して、後者では個々の食材は全体の構成に奉仕することになる傾向があります。そして、料理の構成や工程が複雑化すればするほど後者としての側面が強調されるわけです。MAZ(やCENTRAL)の複数皿による構成では、ひと皿あたりの複雑さを抑えることで食材の自律性を担保すると同時に、それらを組み合わせることによって全体的な構成も行うという二重の戦略がとられているように思いました。

こうした構成は、単に表現の手管としてだけではなく食べる経験にも反映されていて、例えばデザートの「アマゾニア」ではカカオやマカンボ、コポアスといったフルーツを使った8皿からなるエコシステムがサーブされるのですが、サーブの際に「まずはじめに別々で食感を試して、そのあと組み合わせながら食べてください」と案内されます。それによって、個々の食材の味やテクスチャーとそれらを組み合わせたときの酸味と苦味やコクの対比や調和を別々に経験することができるわけです。それぞれの食材を味わいつつその組み合わせを楽しむという二段階の経験は、ちょうど料理人が新しい食材の味に直面しつつそれをどのように料理の構成へと落とし込むかを考えるという料理の創造的なプロセスを追体験するものともいえるかもしれません。とはいえ、こうした構成はゲストの食べ方に食経験が大きく左右されるので、厳密な風味のコントロールは難しくなります。語弊を恐れずに言えば、MAZでは(特にフランス料理で特徴的な)料理の構築性やそれに基づく味の対比や調和といったものは部分的に放棄されており、食材とそのアレンジメントをゲストに(能動的に)経験させることが重要視されているように思われました。

「アマゾニア」のエコシステム。手前から、チョコレートケーキ、カカオニブの温かいお茶、カカオ果汁のジュレ、チョコレートのペースト、マカンボのクレームブリュレ、チョコレートガナッシュ、カカオの果汁を麺状にしてカカオパウダーをまぶしたもの、コポアスのソルベ

ペルーの生態系と日本の食材

……と、ここまではCENTRALとも共通する話ですが、MAZに固有のポイントもあります。それが日本の食材の利用です。前述の通り、MAZはCENTRALと基本コンセプトを共有しており、表現されるのはペルーの生態系であり、食材の多くもペルーから取り寄せたものとのこと(2022/07/02追記:全体の食材に対してのペルー産食材の割合は20%ほどだそう。このあたりはサービスで大きく印象が変わりそうです。僕の場合は「こだわりの食器や食材をペルーから取り寄せている」というような説明が印象に残りました)。ですが、例えば海産物など鮮度が要求される食材に関しては日本の食材が用いられており、日本の食材を用いてペルーの生態系を表現するという奇妙な事態が起きてもいます。

この点で印象的だったのが、パッションフルーツのヴィネグレットでマリネした岩魚にスイカとじゅんさいを合わせ、発酵させたココナッツミルクのソースとハーブオイルをかけた「淡水」のエコシステムです。岩魚、スイカ、じゅんさいと日本の清らかな渓流を思わせる食材が、パッションフルーツと発酵ココナッツミルクの酸味でセビチェのようにまとめ上げられています。個々の食材を食べたときの、岩魚のもやっとした香りやじゅんさいの水っぽさ、スイカの清涼感は、じっとりとした夏の日差しときりっと冷えた渓流の水を想像させますが、それらがパッションフルーツと発酵ココナッツの酸味によってセビチェを連想させ、しかし一般的なセビチェのキーライムの酸味ほどキレがなく湿っぽくまとめ上げられることによって、アマゾンの湿度感を感じるような(行ったことはないですが……)仕上がりになっています。一方では食材が惹起する日本の風景が浮かび、もう一方ではそれが構築するペルーの生態系が現れるという二極のあいだを振動するという奇妙な食経験が、この料理では生まれています。

「淡水」のエコシステム。上にかかっている白と緑の液体が発酵ココナッツのソースとハーブオイル。円盤状にカットされたスイカの下にパッションフルーツでマリネされた岩魚がある。器の下に敷かれているのはピラルクの皮

この経験を経由すると、たとえば最初の「冷たい海」の経験もまた違った見え方がしてきます。おそらくマテ貝も雲丹も海ぶどうも日本の食材が用いられていることを考えると、さっきまで見ていたペルーの海の風景は、ひょっとしたら北海道の岩場や沖縄の浅海、熊本の砂浜だったかもしれない、という思いが去来するわけです。

まず第一にこの経験は面白く、そして「淡水」のエコシステムからわかるように、この日本の食材とペルーの生態系という衝突には明らかな意図を見ることができます。ですが、食材の代用(たとえば岩魚は、CENTRALでよく用いられるピラルクと風味が似ているということで用いられたとのこと)は、個々の代えがたいエージェントの絡まり合いとしての生態系を表現するという(CENTRALに基づく)MAZのコンセプトを揺るがしかねないものでもあります。さらにいえば、日本では手に入らない食材を単に他の食材で代用するだけでは、MAZの料理はCENTRALの不完全なコピーであるといえてしまう。現段階(の僕が経験したサービス)では、日本産食材を組み入れてペルーの生態系を表現することの意味ついて、MAZとCENTRALに共通する全体のコンセプトと関連付けて語られてはいませんでしたが、その緊張にこそMAZの固有性があるように思います。特に「淡水」では、日本の食材がペルーの生態系に位置づけられることによって異化され、食材と再度出会いなおすような鮮烈さがあったように思いました。そしてそれが「自然物としての食材」と「人為的な構築物としての料理」を同時に提示するCENTRAL的な方法論と、これら2つが日本とペルーという2つの地域に引き裂かれているというMAZの特異性によってもたらされているというところが非常に面白いと思います。

おそらくこれからメニューが入れ替わっていくなかでも日本の食材のリサーチは継続的に行われると思われますし、それによってコンセプト自体も徐々に変化していく可能性もあると思います。CENTRAL的なコンセプトと、日本の風土が衝突することによって今後どのような料理が生み出されていくのかとても楽しみ。まだメニューの入れ替え時期の目処は立っていないそうですが、季節が変わってメニューも変わったらまた訪れたいなと思いました。

おまけ

上記の流れでは触れられなかったのですが、「淡水」のほかに印象に残ったのが「熱帯林」でした。このエコシステムは、アボカドにユカというキャッサバのような芋のピューレがかかっていて、そこにアマランサスとキャビアが乗り、パッションフルーツのソースが添えられているという構成。基本的には、アボカドとレモンないしはライムという、アボカドのナッティな印象とフルーティーな酸味をあわせるというシンプルな組み合わせなのですが、ユカの里芋っぽいねっとりとした質感とアマランサスのムチッとした噛みごたえ、キャビアのねとっとした油脂感が重なることで、アボカドのバター感やナッツ感がとても鮮やかに感じられました。熱帯林の粘りつくような湿気のなか(行ったことがないのでそんなものがあるかわかりませんが……)極限まで熟したアボカド、といった印象で面白かったです。特にキャビアはこんなふうに使えるのか、という驚きがありました。パッションフルーツのソースもしっかりバターで乳化させることで、アボカドに酸味を対比させるというよりも油脂感に寄り添わせ、結果としてアボカドの果実感を強調するように組み立てられているところも面白く、アボカドの食べ方としてとても豊かなものになっていたと思いました。

「熱帯林」のエコシステム

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