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書泉グランデと「Vespa」と私

いつだったか入手した『百合姫』に掲載されている大北紘子先生の読み切りを読んで、魂から虜になった。

しかし大北先生の百合作品が連続的に刊行されていた時期、非常に経済的にしんどい時期だった。ようやく借金を返し終えてそれでもとにかくお金がなくて漫画を揃えるどころか猫のご飯代をなんとするという状況にあった。ハンディキャップを自ら設けていたのだ。だが私は大北紘子作品を忘れたわけではなかった。

ようやくすべての作品を入手しようとして、既にひどく入手しづらい状況であることに気付き、嘆いた。一度入手しながら経済事情で泣く泣く手放したことを後悔した。

しかし、先年の秋にライター活動が影響しある百合関連書籍にお招き頂いた。それを契機に私は世の中の「手に入れたかった」百合作品を続々と読破していった。いくつかの書店の「百合棚」(即ち百合漫画ばかり蒐集された書棚)を巡り歩いた。けれど既に「百合姫」はその単行本の版型を刷新していた。大北先生に限らず、一定数のA5版の百合姫コミックスを置いている書店はほとんどない。あったとしてもアニメ化などで定番化されたタイトルのみだ。

けれども、今年の秋口に神保町の書泉グランデで「Vespa」初版を見つけた時、その棚の前で泣き崩れ膝折って祈りたい気持ちになった。奇跡だ。
購入してみるとそれは天と小口が日焼けしており、通常なら返品されるであろう状態だった。いや普通ならこの状態で棚に置いておかれることはない。
しかし置いてあるのだ! 書泉グランデは!

世の中に増加しつつある百合棚。けれども大北先生の作品を含め当時の「A5百合姫」を書泉グランデほどにきちんとそろえている、いや「保持している」棚は見たことがない。どれほど稀有であるか、それが冒険的であるか。勇気と愛をそこに感じた。捨て置かれているわけではない、愛情のもとに残されてあるのである。商品として。

このご時勢に「売れないけれどもなんとなく残っている在庫」がリアル書店の棚に生き残ってることはまずないのだ。意思的に意図的に棚の書籍は選定されている。一方でどんな書籍も新品の状態で購入しなければ作者という神にお布施が届かない。その意味で百合作品の応援の間口を残して置いて下さる書泉グランデの意思の固さは計り知れない。とにかく日本の書籍事情は「新刊崇拝主義」といって差し支えない。一般的な書店なら古いものから順に数字の圧力に押されてどんどん倉庫へと追いやられてしまう。

どの書店に問い合わせても注文を断られる「百合姫A5版」。その品が揃っている。宝物庫がそこにあった。だって普通は日焼けしていようとも初版を置いておくなんて酔狂な真似、そこらの駅前の書店じゃまず無理なのだ。まず古いものから排除される。日焼けなどしているだけでクレームが寄せられる。見栄えが悪くなったとか紙質が悪くなったとかそういう理由で怒る人が大多数なのだ。

書籍の価値は古いかどうかとか、状態がどうかとか、そういうものではないのだ。という理屈がまかり通る土地柄だからできることではないかと感じた。いいんだよ、日焼けしてても。だって買いたいんだもの。もっとどういう状態でもいいからその作家に届くようにその作品を倉庫から引っ張り出してくるための書店が増えてもいいんではなかろうか…百合に限らず。

とにかくグランデの心意気に感服した。けして倉庫に置いておかないぞという強い意志を感じた。硬度も靭性も恐らくものすごく高い意志。そういうことでいいんだよ。書店は偏屈であってほしいんだよ。密林に押されてリアル店舗は生き残り戦略が必要だとか、サイン会とかトークイベントとかそういうのが大切なのもわかる。でも、今書店に必要とされるのはこういう名作をいつまでも置いておく、そういう意地なんではないか。絶対にこの本は世の中に必要だからっていうそういう意固地な何か、知性ってそういうもんなんではないか。図書館なんかに行かせない、買わせるぞ、という、そういう。

初版を入手し神にお布施を投じることができたことが幸いだ。この幸いの理由も背景もわからない。特例の特例の特例って感じがする。

本当の書籍狂いからみればこれくらいの奇跡、何でもないことかもしれない。同じ時代に生きている作家の初版を手に入れるなんぞ神保町では序の口かもしれない。けど、…いや…いやいやいや、やっぱこれすごいだろ。ありがたすぎるだろ。大北先生の初版を置いておいてくださってありがとう、書泉グランデ…と感動したのがこの秋の出来事。この秋とは2017年秋のことで、Vespaの発売は2014年であることを思えば、その空白期間は何かという話。遅すぎる。実際は百合姫の流通状態がもっと豊潤で恵まれていた頃に恵みを受けられなかったことは自分の不徳と致すところだ。でももちろん本意ではなかった。

私に贖罪の機会を与えて下さったグランデのバックヤードには恐らく神仏が立ち働いているのだろう。この宝はもう二度とどんな目に陥っても手放さない。

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