教養とマウンティングの逆相関
マウンティングをする人は、『肩書きや社会的地位の上下・学歴や経歴・年収の金額・住んでいる場所』などを気にする。
無意識でも、『どっちが上か下か』を常に気にしていて、自分が上だと感じるやいなや、マウンティングしてくる。
心理的には『誰かの優位に立つことでしか、自分を確認できない』という残念な人であるが、そのことを指摘すると、さらに騒ぐからタチが悪い。
マウンティングする人の人生は、『年齢・知識量・収入や資産・持ち物・経験量・地位・人脈』全てが『自分は、お前らより上だからな』と感じるためのツールであり、モノサシである。
マウンティング人種は、人間的に優れているかどうかを、判断することができない。
審美眼(いいものをいいと感じる感性)が無いのだ。
つまり、本質的に『いい人間とは何か』の尺度が人格に見出せない。
『いい人間とは何か』を考えることとは『倫理観』であり『哲学』である。
マウンティングする人たちは、正しい『倫理観・哲学』がない。
一言でいうと『教養がない』のである。
残念な人生観とは、教養のない生き方だ。
教養とは、人間への本質的な理解にある。
芸術・音楽・美術・哲学・倫理・文学・美術・心理学…
それら全てが教養だ。
マウンティングする人間には、教養が無い。この意味は
『年収がどうだ』
『誰々と知り合いだ』
『学歴や会社の肩書きがどうだ』
など、表層的なモノサシでしか人間をはかることができないという、悲しい生き方をしていると言える。
マウンティングをする人がいたら、寂しく、悲しい人生観をお持ちだ。
普通に人間関係を築くことはできないから、そっと離れた方がいい。
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