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羽生結弦というスケーター~スケオタ思い出話~

ようやく現実を受け入れられた、羽生結弦ファンのスケオタの端くれが、好き勝手に書き散らかしている記事です。多分、全4回くらいになります。

はじめに

羽生結弦というスケーターを好きになって、かれこれ10年以上になる。北京五輪で前人未到の大技4回転アクセルに挑み、メダルにこそあと一歩届かなかったものの、何処か『やり切った』というような表情を見せていたスケート界の伝説は、つい先日、プロスケーターへの転向を発表した。

そろそろだろうなと覚悟はしていたけれど、まだ現役での活躍を見ていたいような気もする。そんな曖昧な気持ちを抱えていたが、終始落ち着いた様子でしっかりとした受け答えをする会見や、公開練習の配信動画を拝見して、ようやく決心がついた。

この人と、この人のスケートを、ずっと応援していこう。

今回の記事では、彼の現役時代に思いを馳せながら、私が『どうして羽生結弦を応援するようになったのか』『ファンになってからの経緯』を綴っていく。そして、たまには振り返って「あぁ、やっぱり好きだなぁ」と再確認するために、思い出として残しておきたい所存である。

筆者はおそらく12年ほどスケオタをやっているのだが、知識が玄人のスケオタと語れるほどのレベルではないため(ルッツとフリップがなかなか見分けられないし、ステップは図解と選手の演技を何度も見比べている)、『羽生くんファンになった人が、素人なりに何か伝えようとして必死になって書いた記事』程度に思っていただければ幸いだ。また、現役選手やプロスケーターをフルネームで呼ぶ場合、敬称を略している。尊敬の心を欠いたわけではないので、この点はご理解いただきたい。

羽生結弦との出会い

私がフィギュアスケートに興味を持つようになったのは、大学に進学してから少し経った頃。一人暮らしにもちょっとずつ慣れ始め、友人と遊びに出かけたり、趣味の話もしたりするようになった時期だ。私の母校は名古屋にある。そう、言わずと知れたスケート大国だ。そんな所に越してきたのだから、一度はスケートを観てみてくれと友人。素直な筆者は、その夜テレビの前でスタンバイして、彼女の推しスケーターである浅田真央の出番を、今か今かと待っていた。

真央ちゃんのスケートは素晴らしかった。スピード感があるのに、ジャンプは羽根のようにふわりと着氷。リンクをくるくると自在に駆け回り、不思議と応援したくなるような愛嬌がある。当時のスケートは女子が強く、のちに私は、鈴木明子や村上佳菜子のファンにもなった。彼女たちも素晴らしいスケーターだ。

スケートってよく分からないけど凄いな、綺麗だな。この時はそんな印象だった気がする。しかし、同日に放送された男子の演技を見て、私は運命の出会いを経験することになる。

リンクの上には、まだ幼さの残る、ひょろっとした感じの男の子が立っている。何の大会のどのプログラムだったかは全く覚えていないし(2011年以前の大会なのだが、スケオタ先輩がたの情報求む)、衣装やミスの有無も、どんな演技をしていたのかも分からず、失礼としか言えないほど記憶にない。覚えているのは、たった一つだ。

演技の最後、男の子が氷にキスをした。プログラムの一部だったのか感極まったのかは不明だが、瞬間、ビビビッと衝撃が走った。

「何? この人は王子!? よく見たら、凄く綺麗な顔してる!」

恋に落ちるには、0.1秒あれば十分だった。羽生結弦という男の子がどうしても頭から離れなくなった筆者は、それから彼が出る試合は全て録画した。ワンルームの狭い部屋で、小さなテレビの前で体育座りをしながら観た。

ミスはあるけれど、何故だか惹き付けられてしまう演技。当時は個々のエレメントもトータルパッケージとしても、おそらく高橋大輔や織田信成、小塚崇彦の方が上回っていたと思うし、彼らのパフォーマンスも好きだった。だが、どういうわけか、羽生結弦にばかり目が行ってしまう。最初のインパクトが強すぎたのだろう。彼の衣装も、私はとても楽しみだった。シックな雰囲気で大人っぽく決めてくるお兄さんたちの中で、羽生結弦のきらびやかな衣装が、とても美しく見えていた。

羽生結弦と一介のスケオタ

名古屋を離れる少し前、3.11の震災があった。前日、故郷から上京してくる妹に付き添った母と私の三人で東京にいたのだが、宿を探すか否かで名古屋の私の家に帰ることを選び、危機は免れた。被災地の仙台では甚大な被害のためリンクが壊れ、東京やその他の場所でも、建物の倒壊や地面の割れが発生していた。

何かできることはないかと思い、売り上げが義援金になるという、羽生結弦のLINEスタンプを購入した。スタンプは今でも愛用しており、『よろしくお願いします』と『ありがとうございました』を多用させていただいている。彼はこの頃、みんなが大変なのにスケートをやっていいのかと悩んでいたそうだが、アイスショーで励まされた人は多いと聞く。直接被害を受けたわけではないが、私も彼に元気をもらった人間の一人である。

大学を卒業し、就職のために上京してからも、私はスケートのファンであり、羽生結弦のファンだった。会場で応援することはできなかったが、ジャンプが決まればガッツポーズし、スピンの滑らかさに溜め息を漏らす。ステップの方は、この頃は、まだ意識できるほどの余裕がなかった。アクセルが唯一前向き滑走だというのも、ここ数年間でようやく認知したくらい、演技を追うので精一杯だった。

羽生結弦の功績とこれから

羽生結弦にとって最初のオリンピック・ソチ五輪の頃は、私は人生で最も多忙で、ストレスの多い時期だった。かつてないほど肌が荒れていたが、彼の演技に救われた。職場でアルバイトの男の子に「俺、普段フィギュアスケートとか観ないんですけど、羽生結弦凄いっすね!」と言われ、自分が金メダルを取ったわけでもないのに、ドヤ顔で「そうだろ!!!」と答えていたし、日本中が羽生フィーバー。かっこよさが前面に押し出されていた「パリの散歩道」と、哀愁漂う「ノートルダム・ド・パリ」が大好きになった。

二度目のオリンピック・平昌五輪では、「バラ1」も『SEIMEI』も好きすぎて、テレビで観戦中、一つ一つのエレメントにいちいち声を上げた。あの二つのプログラムの美しさと神々しさは、誰かを捕まえて、ひたすら語りたいほど彼にぴったりだと思っている。私が彼の演技でお気に入りとして挙げるなら、この二つは外さないだろう。

彼はそれからも多くの良きライバルと切磋琢磨し、観客を魅了し、世界記録を更新し続けた。オリンピックを含む主要な国際大会で優勝する、スーパースラムという偉業も達成した。それまで興味がなかった人も『羽生結弦って、何か凄いぞ!』と気付き始めたらしい。電車で彼のことを話題にしているサラリーマンの会話を聞き、マスクの下でニヤニヤしたこともあった。

私自身も、知人から「羽生くんは凄い凄いって言われてて、実際とても凄いと思うんだけど、何がそんなに凄いの?」という質問を受けた。正直、『何が凄いのか分からなくなるくらい凄い。怪物レベルだ』と思うのだが、「ジャンプはもちろん凄いが、その前後に難しいステップやターンを入れていて、それらが全て曲に合っている。技が演技に溶け込んでいるから、映画の字幕のようにすっと入ってくる」というようなことを答えたと思う。(本当はスピンやステップについても伝えたかったが、既に勢いよく語っていたので自粛)ちなみにその知人は、私があまりに羽生くん、羽生くんと騒ぐので、近頃はフィギュアスケートを観るようになっている。

羽生結弦にとって最後のオリンピックとなる北京五輪は、彼とアクシデントは切っても切り離せないものだと思わせるような大会だったと思う。これまでのスケート人生、常に逆境と戦ってきたのではないだろうか。怪我が同情を集め、発言が注目を浴びると、色々言いたくなる人も多くいたそうだ。それでも彼は、フィギュアスケートという芸術的なスポーツに挑み続けた。そんな姿勢を、とても誇りに思っている。

プロになると発表した羽生結弦の清々しそうな顔を見て、さまざまな思いが込み上げてきた。ようやく自分らしいスケートができるんだね、良かったね。怪我ばかりしていたから、しばらくは休んだ方がいいよ。でも、まだもう少しだけ見ていたかったな。ルールが大きく変更されるという話も耳にしているので、彼がいなくなったスケート界と新ルールがどんなフィギュアスケートを作り出すのか、わずかながら不安がある。だが、応援するという気持ちは変わらないし、日本や世界には素晴らしいスケーターが大勢いる。彼・彼女たちが新たな名プログラムを生み出してくれると信じて、10月からの大会を楽しみにしたいと思う。

競技からは離れるが、羽生結弦の挑戦はこの先も続く。スケーターとして第二の人生を歩み始めた彼を祝福し、これからもスケートに愛される人であることを、心から願っている。

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