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人間は誰しも役者なんじゃないだろうか

zoomを使って仕事先の人と話していた時、それを横から見ていた友人に「別の人みたいだね」と言われたことがある。
僕は普段あまり喋らない方だし声のトーンも低め。ただし印象を良くするためか無意識に声のトーンや話し方を変えていることがよくある。それを端から見ると「別の人」に見えるみたいだ。

マーケティングの部分で、よく「ペルソナ」という言葉を使うことがある。
この商品はどんな人が購入するか、どんな人が興味を持つだろうかといった性格や考え方などを可能な限り具体的にイメージした、架空の人物に使う言葉。つまりペルソナは人格とも言い換えることもできる。

そこで思うのが、人は1人1人違う人格を持っているが、それは1人1つとは限らないんじゃないだろうかということ。

職場にいる時、家族で過ごしている時、友人と話している時、恋人とデートしている時、1人でたそがれている時
全部どれも自分自身なのに、どれも全く同じじゃない。
恋人と話す時と上司と話す時の態度が同じな人はそういないだろうし、海辺で1人でいる時のノスタルジックな人格と、家族で一緒にテレビを見ている時の人格は違う。

無意識のうちに(意識的な人もいるとは思います)それぞれの人格を使い分けている。
僕たちは知らないうちに役者として、それぞれの仮面を場面に合わせ被り演じているのではないだろうか。

そんなことをnote上での仮面を被りながら、これを書いている。

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