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初恋だったらしい人と20年ぶりに再会した話。



「かなり急ですけど、今日の夜とかどうですか?」



いつものカフェでゆっくりお茶を飲んでいたら突然Instagramの通知。
あまりの衝撃に口から驚きが飛び出そうなのを、引っこめるのに必死だった。

メッセージの相手は、幼稚園の同級生だ。
幼稚園以外は特に関わりはなく、
連絡先も住んでいる場所も知らない。
風のうわさで、海外に行ったらしい、なんて聞いたことがあるくらい。
記憶の隅っこに眠ったまま、
約20年過ごしてきた。

そんな彼をたまたま見つけたのはわたしの方。
Instagramのおすすめ欄に、
彼のプロフィールが出てきたのだ。

名前と苗字と思しき頭文字のスペルに、
なんとなく顔がわかる写真のプロフィール。

とてもシンプルで情報量は少ない
けれど、
直感が"彼だろうか"と叫んでいた。

突然の刺激に脳がひとつの記憶を手繰り寄せた。
(前置きで、ここでは彼をAくんとする。)

―――

『Aのこと好きだったよね』

なんて言われたのは、中学生の頃。
小学生からサッカーを始めた私は、中学生になると地元のクラブチームに入った。
そこで幼稚園が同じだったとある女の子に会った。

彼女が言うには、幼稚園の頃、私がAくんのことが好きだったと。

しかし、私には全く身に覚えのない話であった。
幼稚園の頃は恋愛なんて感情はわからず育ってきたと思っていたからだ。

正直、幼稚園の頃が人生最大のモテ期というやつだったことは、実家にまだ残っている当時もらったお手紙の数々や同級生の親同士の会話からわかった。

だがしかし、幼稚園の頃に私が誰かを好きだった記憶がないのである。
初恋は、小学生のサッカーチームで同じだった(仮に名前をBくんとする)Bくんだと思い込んでいた。

つまり、彼女の話が本当であるならば、私の初恋はAくんということになる。

―――

プロフィールを見つめたまま、
フォローリクエストを送るか送らないか、
悩んでいる間に時計の針はどんどん進む。

自分から交友を広げるタイプではないし、
ましてや彼かわからないのに悩むということは
多少なりとも彼に興味があるということだ。

ええい、迷うならば送ってしまおうと
フォローリクエストのボタンを押した。

―――

結論から言うと、彼本人のアカウントだった。

しかし、Aくんは幼稚園の頃の記憶はあまりないという。
「知り合いでしたでしょうか?」
なんてメッセージが最初に届いたときは、
訳もなくもやもやする自分がいた気がする。

そこからメッセージをやり取りし、
最寄り駅同士がそこまで遠くないことがわかった。
もし機会があれば思い出話でもしに食事に行きましょうというところでひとまず話が終わった。

―――

はずだったのだが、
冒頭の「かなり急ですけど、今日の夜とかどうですか?」というメッセージが届いたのだ。

時刻は15時少しを過ぎて、いつも足を運ぶ小さなカフェでお茶をしていたところだった。
日曜日のお昼過ぎは、ひとりでゆっくりカフェのお茶を楽しむのが癒しなのである。

そんな癒しなの時間を弾くかのように降ってきたメッセージをなんて返信するか文字を打ち消し頭を抱えた。

行けなくはないのだが、SNSでやりとりした昨日の今日である。
今日はゆっくりするだけのつもりだったのでお洒落はしていないし、すっぴん。皮膚科通いの肌荒れと戦う最中の綺麗とはまだまだ遠い肌。

コンディションはよろしくない。が、今日を逃したら次がいつになるかわからない。

行かない後悔よりも、行って何かを得られたらよいだろうか、SNSのフォロワーさんも行ってみたらと背中を押してくれたので、またまた勢いまかせに了承し、ドラッグストアに走った。

コンディションがよくないならばカバーできるだけカバーしようといつもなら買い渋るコスメに次々手を出した。
誰かのためにメイクをしたのは久々かもしれない。

―――

私の最寄り駅まで来てくれた彼がいた。
写真でしか見ていなかったけれど、
やはり昔の面影がなんとなく残る顔立ちをしていた。

とりあえずご飯でも食べようかと、近くのイタリアン料理店へ。
奥の席に座らせてくれたり、セルフサービスの水をいつの間にか持ってきてくれたり、なんともさりげない、スマートである。
お酒を飲まない私に合わせて彼も飲まないでいたところも優しいなあと感じた。

本題の幼稚園の昔話は、お互い印象に残っていることを話し、まるで記憶のジグソーパズルをはめていくような楽しい時間だった。
いちばんのツッコミどころは、仲良い人の話になり「双子の女の子いたよね」と言われて、それはきっと私だよ(男女の双子は私しかいなかった)と答えると、「え、じゃあ仲良かったじゃん」なんて言われたことである。
正直、彼の記憶に少しでも私がいたならば安心した。

―――

今日は再会した記念だからと彼がお金を出してくれた。
時間があるから珈琲でも飲む?なんて話をしたが、某チェーン店のカフェは夜でも混んでいたため、散歩をすることになった。

季節は春。せっかくならばと
桜の咲く散歩道を案内した。

月夜に照らされる夜桜は、儚くて綺麗だった。

彼と一緒に歩く時間は、どきどきして、ときめきが弾けてなんでも綺麗に見えていたように思う。

ぐるっと散歩道を終えて、彼を改札まで送り、「じゃあ、また」なんて言い別れた。

こういう時のお礼のメールは相手側から来るまで待つんだよなんて聞いたことがあるけれど、待てずにお礼のメールをした。
交換した連絡先の彼は、さっき隣を歩いていた彼だけれど、まだまだ知らないことがたくさんだ。

お礼のメールに対して、彼は「ありがとう!!
そうだね、またの今度ねー」と返ってきた。

最後の伸ばし棒は何に対する伸ばし棒なんだろうか意味はあるのか無いのかぐるぐる考えたがやめておくことにする。

彼がこんなにも早く約束を果たしてくれたのは、4月は忙しいから3月中に会えたらと思ったからと言っていたように、恐らく私に対してそこまで強く興味があるわけではないと思う。

実際会った後に仕事の都合で聞きたいことがあり連絡を私からしたが、特にそれ以降やり取りはないのだ。

会社の先輩に話をすると先に進みたいなら連絡途切れさせちゃだめだよと言われたが、面倒なタイプとも思われたくはない。が、また会いたいと私は思っている。

実際私が彼のことを好きだったのか、そんなことを覚えているのかはまだ聞けていないし、なんだか会った時に不思議な感じがしたからだ。

人は不思議と感じることに興味をひかれる。

―――

恋をしたのは覚えているかぎり中学生が最後で、失恋してから部活にのめりこみ、大学も体育会にゼミに慌ただしくすぎて特に恋愛をすることなくきてしまった。
わたしの恋愛偏差値というものは谷底かもしれない。

今回のどきどきが恋なのか、思い出なのか、はたまた別のものなのかわからない。

けれど、パニック障害になってから自分を大事にすることに必死だったし、どこかで恋愛はできないと思っていた。

そんな思いを打ち砕いてくれた今回の感情は、この出来事から1ヶ月たった今でも忘れられない。

忘れていた初恋かもしれない彼への感情を、
大事にしていきたい。

そんなことに気づかせてくれたAくんにお礼を言いたい。
先に進むか友だちになるのかはわからないけれど、もっと素敵だと思える自分で会えるように、磨いていくという決意表明。

25歳、最終日。
26歳の目標はまた書き記しておこう。

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