見出し画像

安らぎの場

不登校」と言う言葉の響きに "違和感" を感じないだろうか?
学校側の言い分 表現になっていて 
 "当事者'' (こどもと保護者)の側に立ってはいない表現ではないだろうか?

学校に行けなくなる理由は「イジメ」を始めとして 計り知れないさまざまなものがあると思う
不登校」 = "社会的不適合者" みたいなレッテルを貼られてしまって 
ある意味 「切り捨て」られてしまって
学びの機会がなくなってしまっては
そのことに苦しむこどもも保護者も 救われない

そんな疑問から こども(と保護者の)の「安らぎ」の場になることを目的に 「マナviva! コネクト」を「マナviva! 寺子屋」と時間帯を分けスタートする

(勉強の遅れはもちろん心配だとは思うが)
先ずは 「安心できる居場所に来ることから始めればいいのではないか
無理はせず ほんの一時からでいいのではないか
人の優しさに包まれてただ過ごすだけでもいいのではないか
安心して話せる相手がいるだけで 救われた気持ちになれるのではないか

もちろん 寺子屋的に勉強することにも対応はする
しかし あくまでも 
こどもの気持ちや要望が第一でなければならない
こどもの個性と状況を理解し寄り沿っていかなければならないと考えている

これ以上 焦ったり 苦しんで欲しくはない

そしてやがては 「マナviva! 寺子屋」で他のこどもたちと型を並べて過ごせる日が来ることを願っている

学びの多様化」の一つの実戦の場にしたいと思う


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?