日々の澱、日々の喜び


労働労働労働労働。誰もが安全地帯になどいず、先の見えない不安を抱えながら生活をしているここ数ヶ月。テレワークなど無縁な時給労働者はそれでも今日も働きに出かけなければならない。わが家には給付の申請書どころかマスクも「お肉券」も一向に来ないのだから。


5月12日現在、コロナウイルスの全国感染者数は減少傾向にある。事態はやや好転しつつあるように見える。が、緊急事態宣言が仮に解除されたとしても、半ば内面化された「不要不急」な「不謹慎」という思いはなかなか払拭されないだろうし、娯楽も元どおりというわけにはいかない。だからしばらくは僕も感染のリスクと不謹慎バイアスに取り囲まれたまま働きに出るしかない。
そうすると、日々の澱がどんどん溜まっていく気がする。澱とは淀んだ水底に降り積もったカスのことだが、僕は労働その他の生活で知らずしらず溜まっていく疲れのことを「日々の澱」と呼んでいる。ブクブクと性急に大量に消費されていく泡のような時間の早さに気を取られて、それは自覚している以上に身体と心を重くしているのだ。特に今のような、外に出ること自体が"リスク"となってのしかかっている状態では、余計に。
そういった澱を払うのが日々のささやかな喜びである。今言ったように、自粛の中外で発散できるものがない現状では、それがさらに重要だと思う。何も特別なことはない。睡眠や食事。普段の生活の中に喜びを見出していくことだ。特に食べること。おいしい食事は沈んだ気持ちを想像以上に浮き上がらせる。引っ越ししてキッチンが広くなり、料理をする回数が増えたこの一年はよりその思いが強くなった。
だが、食事=無条件な喜びというわけにもいかないようだ。先日、料理研究家・土井善晴氏のインタビュー記事を読んだ。去年、連れ合いが引っ越しの際に持参した料理本でその名を知って以来、僕は彼のフォロワーで、その考え方には信頼を置いている。
インタビュー上で土井氏は食事本来の「楽しみや幸せ」のための考え方、ということを説いていた。このご時世、なかなか外に出られず、食事を作る機会が増えたかと思う。普段できなかったことをやってみるという点ではプラスな面ももちろんあるが、普段からそれをしている人には負担にもなってくる場合もある。子どもや配偶者が昼間も家にいるようになって、毎日三度の飯を作らなければいけない、という人などは特に大変だろう。
毎日毎日毎日、いつ終わるともわからない一日三回もの料理を、バランスよく何品も……しかもそれには賃金すら発生しないのだ。そんなのはまさに「地獄ですよ」と。
まず皆が満足するように、何品も作り豊かに、という考えを捨てなさい。そう土井氏は言う。献立を毎回考えるのはしんどい。基本は「一汁一菜」。みそ汁に好きな具をたくさんぶち込めばそれだけで事足りる。みそ汁なら変に頭をひねる必要もない。そしてそこから何か作ってみたいものがあればプラスしていけばいい。家族ならいつもは作らない人が料理してみるのもいい。そういったささやかな変化こそ大切なのである。


このインタビューを読んで僕は、今このような否応ない「非日常」の中で、どのような変化

ーー生活様式や考え方そのものーーをしていくかの肝要さを思った。
"災厄"が蔓延している非日常の中の日常。そんな状況では往々にして個人が軽視されがちである。「絆」とか「一丸」とか言って、個性の喪失を「要請」してくる。そこからはみ出す人々を排除しながら、僕らの日常を壊しにくる。
そうならないためには実際に抗議することも必要だし、繰り返すように生活の見方を変えてみるのも大事だ。要するに何も考えず流されるな(もしくは騙されるな)ってこと。流されるがままの、行動が制限される非日常で溜まってゆくストレス、「澱」は"弱者"への憎悪、そして暴力に発展ーー現実にそれはそこかしこで起こっているーーしかねない。それに対処するための、疲弊してしまわないための個性を創出しなければならないと思う。それは文学用語でいうところの「異化」にも似ているかもしれない。流れゆく、見過ごしがちな日々を、いつもと違う視点と文体(スタイル)で際立たせる、というような……

僕はずっと「死なないように生きる」ということを考えてきた。変に気張る必要もないが、やたらに悲観することもないということ。こんな人生ぬるま湯だとか、どうせ死ぬんだし……というありきたりで脆弱で流されやすくてとっても甘美な、偽物の虚無主義。そんなものはいらない。残念ながら人生はそう簡単には終わらないのだ。
ならば僕らはありきたりな、だが自分だけの個性を受け入れていけばいい。そして、そんなありきたりな日々に喜びを見つけていくことこそ、その第一歩だと思う。「死なないように生きる」ことは、端的に僕たち一人ひとりの個と生が揺らいでいる今、充分な効力を持っていると思う。


日々の澱を払うための日々の喜び。それはさきほども言ったように、とてもささやかで基本的なことだ。食事睡眠風呂や運動。今まで知らなかった季節の食材から献立を考えてみる。いつもの風呂を薬湯にしてみる。寝起きや風呂上がりに新しいストレッチや筋トレを加えてみる。そしてその気持ちよさを誰かと共有してみる。そんなありきたりな喜びがあれば、きっと僕らはまだ死なずにいられるだろう。








↓参考までに、いくつかおすすめの料理サイトを貼っておく。酒メーカーや製薬会社などは割とどこもこういう料理のページがあり、献立を考える助けになる。

養命酒
https://www.yomeishu.co.jp/genkigenki/recipe/

パブロン
https://brand.taisho.co.jp/pabron/recipe/

アサヒビール
https://www.asahibeer.co.jp/enjoy/recipe/sp/


#エッセイ #コロナウイルス #食事 #生活

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