ONE VOICE ZINE vol.9 ゆか(CRUNK,HardcoreDays)
大変ご無沙汰しております。今回はゆかさん(CRUNK,HardcoreDays)にお話を伺いました。活動間もない頃ライブ動画で注目を集め、そこからコロナ禍という状況の中で急成長を遂げたCRUNK、先日始動したハードコア主体のライブスケジュールサイトHardcoreDaysとは、その一方でアートワークを手掛けるのは一体どんな人物なのか、いろいろと語って頂いたので、是非ご覧ください!
■上京〜学生時代
ーインタビューはEL ZINE以来ですか?
そうですね。でもEL ZINEはメンバーみんなで、そこから代表が受け答えした感じですね。
ーバンドのインタビューでもわかるかと思うんですが、個人の事ってそんなに聞かれないじゃないですか。あっても4,5行というか。ONE VOICE ZINEはそういった行間を聞いていくwebジンなので、お付き合い頂ければと。
ーお生まれはどちらですか?
生まれは浜松です。浜松駅から車で20分ぐらいの東区です。
ー関東に出てきたきっかけは何ですか?進学とか就職とか?
話すと長いんですが…18から地元で就職して、社会人として働いていたんですが、色々人生に挫折したのと、病気で入院して、退院したタイミングで「今だな」と。思い切って人生違う道に行ってみよう、それで引っ越そう、と。
ー珍しいパターンですね。
退院後の自宅療養期間で人生を思い詰めていた時に、京都に住んでるパンキッシュな先輩と友達のとこへ行ったんです。その二人には会ったら喝入れてもらえると思って。で、その時に「いいからお前は浜松を出ろ、見ている世界が狭いから」って言われたんです。最初は先輩の家に居候する形で京都・大阪に行こうとしていたんですが、そこに入って、先輩たちの言ってる事というか教えみたいなのを聞いてというのもな…と思って。それなら敢えて東京の方に行ってみようと。東京なら色々ありそうでしたし。
ー東京の方に何かツテみたいなものはあったんですか?
いや、何も(笑)
ー「浜松から出ろ」っていうアドバイスもなかなかパンチが効いてますね。
「1ヶ月以内に引っ越さなかったら縁切る」って先輩に言われて(笑)「そんなクヨクヨしているゆかちゃん、マジダサい。そんなグジグジしてるような女だったら縁切る」ぐらいの感じで言われて。私も思い詰めてて、でも何か決断しなきゃなとは思っていて、それで1ヶ月して本当に引っ越ししたんですよ。就活も1ヶ月以内に済ませました。
ー凄いですね!
手術の後の療養期間もそこそこに面接受けて、その次の週?には不動産で契約済ませて家も決めました。全部1ヶ月ぐらいでやりましたね。
ー頭からヘヴィなエピソードですね…!時間が前後するんですが、子供の頃や学生時代はどんな人でしたか?自分で言うと。
おかしかったとは思います(笑)ぶっとんでいるというか。どの時代も何かおかしかったかな…。
ー中学の時とかどうでした?
中学の時から音楽大好きでしたね。V系だったりとかバンド好きな仲間とわいわいやっていたかな…。自分はそんなでも無かったんですけど、中学時代が荒れてる田舎のヤンキー中学で。なんかそれで感覚がバグっている(笑)でもそんな中では地味でしたし、中2の時ぐらいにちょっとグレて、そういう子達のグループにいたぐらいですね。
ー部活はやってましたか?
部活は吹奏楽部で、ほとんどドラムでした。パーカッションというか。クラシックはティンパニー。部活はめちゃくちゃ厳しかったですね。部活ばっかりやっていたから中学の思い出が無いのかも知れないです。昼練夜練あって土日も全部部活で。休みも月に1回とかでしたし。
ーハード過ぎますね!僕が通ってた中学の吹奏楽部はそうでも無かったんですが、厳しいところは厳しいですよね。外走ったりとか。
私はドラムだったので無かったんですが、金管楽器とか楽器隊の人たちは外周したりしていましたね。ほんと運動部みたいでした(笑)
■音楽との出会いから目覚めまで
ー音楽との出会いは何ですか?きっかけだったり誰かの影響だったり
最初の最初を辿ると、小学校5年の頃なんですけど…
ーちょっと待ってください…CDって買った事ありますか??
ああ、買いました買いました!といっても小学校の頃はTSUTAYAのレンタルばっかりでしたけど。
ーそうでしたか。僕がゆかさんよりだいぶ歳上なもので、CD買った事無い世代が遂に来たんじゃないかと思って…
今もあるんですけど、L'Arc〜en〜Cielのアルバムとか買いました。
ーすいません、話の腰折っちゃって。それで出会いですが…
一つ上に兄がいて、昔から男っぽくて。海賊とかそういうものが好きで、小5の時にラルクのライブを見て"SEVENTH HEAVEN"の衣装がパイレーツオブカリビアンみたいだったんですよ。それでドハマりしちゃって。
ラルクの中でMötley Crüeの"Live Wire"のカバーしてるのがあって、当時GLAYとかも聴いていたんですけど、小6ぐらいの時に(モトリーの方が格好良くない?)ってなったんですよ。その時にギターを始めたのもあったんですけど、ちょうどギターの本にMETALLICAとかSLAYERとか載ってて。それでTSUTAYAやYouTubeでGuns N' RosesとかSKID ROWとかハードロック,ヘヴィメタルとかを漁りまくって、その時にいろいろ聴いていました
ー年齢の割に…というと失礼ですが、凄い感性ですね!
V系も並行して聴いていて。同時にDEVILDRIVERとかも知って、ゴリゴリのメタルにハマって行ったりもして。Children of BodomだったりArch Enemy、Slipknotですね。でも中1中2ぐらいの時はV系の方が好きで、バンギャみたいな格好したり。仲の良い友達たちもV系が好きだったりしましたしね。けど中3くらいでV系の商売っ気というか…若干ホストっぽい売り方というか…音楽は良いんですけど、それよりメタルの方が惹かれるようになっていったんですね。
ーわかります。良い悪いの話ではないですけどね。
それで高校の時にはメタル三昧になっていました。最初はメロスピから入って、だんだんメロデスに行きながら、なんだかんだでスラッシュメタルに入り、ハードコアを意識するようになったのはクロスオーバースラッシュですね。そこから高2高3ぐらいにはクロスオーバーとニュースクールハードコア系を好きになりました。自分が好きだなと思う要素がハードコアのエネルギーがグサッと来てたというか。クロスオーバーでもMUNICIPAL WASTEとかS.O.D.ら辺が好きで。どんどんメタルよりハードコアかもしれない…って(笑)
ライブとか高校の頃は凄く行ってたんですが、ハードコアのエネルギーがライブだと凄く楽しくて。高校卒業してからも行ってたんですが、CRUNK組んでから更に広がって行ったのかな。そんな感じですね。
ー本当にメタル三昧というか音楽三昧だったんですね。
あ、でもNU-METAL時代も大きいです。もしかしたら一番CD持っているのがそれかもしれない。普通にStatic-Xとか好きなんですけど。メインなところは全部好きです(笑)
ーNU-METAL…ドベタなんですけど、例えばKORNで言ったらどの時期が好きですか?
KORNはライブ行きました!どれも好きなんですけど…難しいですね。初期…1stなのかなあ…。最近のもまたスケールが違って、あれはあれで好きですけどね。ライブでドハマりしましたね。正直音源だと暗くて重くて、そこまででは無かったんですけど、ライブは最高でした。大好きですね。
ーニュースクール系だと、どの辺を聴いていたんですか?
WALLS OF JERICHO,SICK OF IT ALL,HATEBREED,TERROR,FIRST BLOODとかですかね。WALLS OF JERICHOが大好きで。ずっと聴いていて。高校生の時にコピーバンドをしていたぐらいなんですけど。
ー渋い…!
キャンダイス・カシュレインに憧れてて。ただ、その時はボーカルは自分にはやれないと思ってたんですね。その時はギターだったんですよ。CRUNKで初めてボーカルになったんです。キャンダイスのインスタとか見るとボディビル関連多いじゃないですか。あれぐらいストイックじゃないといけないのかなみたいな。
ーちょっと意地悪い質問なんですけど、ハードコアにあって他の音楽に無いものって何だと思いますか?
なんだろう…難しいですね(笑)音もそうだけど、ライブの演奏云々よりも熱量が好きですね。パンクも好きですし、HALESTORMみたいな音楽もいまだに好きですし、熱量のあるものは好きだなと思います。ハードコアを通して考え方だったり学ぶものが多いし、やっている人が格好良いっていう事で好きになっている面もありますね。
■バンドを始めた経緯〜コロナ禍での活動
ーCRUNKを始めた経緯は?
メンバー募集です。引っ越してきた時に、最初はバンドをやりたかったんですよ。浜松にいた時にメタルとかハードコアの人達に「お前はEl Puenteが似合うよ、しっくりくるよ」って言われて。それでまずTHRASH ZONE(横浜にあるクラフトビールのバー)の壁にフライヤーとか貼ってあるのをSNSで見て、あと名前的にここならプエンテの事わかるぞ、と察して飲めないのに行って。
その時カウンターにいたモッサさんに、プエンテって初めての人でも行っていい感じですか?とか聞いたらイベントに遊びに来なよと誘ってもらって。プエンテのシギーさんを紹介してもらったりしたんです。それで「横浜でMUNICIPAL WASTEみたいなバンド組みたいんですけど、同い年ぐらいで誰かいませんか?」って聞いたんですけど、21ぐらいの時ですね、でも「そんな人いないよー」っと言ってて(笑)…そこで諦めちゃったんですね。
ーちょっと難しいかもしれないですね…
それで一年くらい、違う道を探そうと思ったんですけど、それも挫折しかけた時に、バンド、プエンテだけで諦めるのも早かったかなって思って。それでなんとなくバンドメンバー募集のサイトを見ていた時に、一個目ぐらいにポンと"SLANTやKRIMEWATCH,80年代ハードコアとかをやりたい"みたいな募集が目に入ったんです。これ何か運命かなーと。私が見た時はvo.以外埋まってたんですけど、逃したら勿体無いかなと思って。関東で音楽好きの知り合いが出来るだけでも良いから、vo.やった事ないけど歌ってみたいです、じゃあSLANT合わせましょう、って事で入って行ったのがきっかけですね。
ーちなみに職場でバンドやってるって言ってますか?
言ってます!でもまさかこんなのだとは思ってないはず(笑)
ーCRUNKがライブを始めたのは2020年の3月でしたよね。ちょうどそこからコロナ禍に入って行くわけですけど、その時はどうでしたか?
1回目のライブの後に止まっちゃったんですけど、そのライブも今で言ったら出来は酷いもので。でもその時にライブの誘いとか結構声をかけられたんです。vo.やるの初めてだけど何とかなるんだ!もう一回ステージで歌ってみても良いかも!って感動したんですよ。でも止まっちゃって、あれ何だったんだろ…って気持ちになっちゃいました。調子に乗りかけていて、一瞬おおっ!てなったものの、またすぐしゅーんと。それで休止中もバンドに対しても、あまり考えなくなったりもして。
ーそこから持ち直したのは後々ライブが入っていったからですか?
コロナ禍のその時は曲も全然作ってなくて。ちょっと落ち着いた時から作りだしたんです。それで10月11月と連続で3本くらいライブが入って、復活の時のモチベーションも、最初の1回は有って無いようなものなので、またここから初ライブのつもりで頑張ろうって。そうしたら11月のライブで動画がバズっちゃって。ネットで急に伸びてる…と。
ーその時の感じってどうだったんですか?
もう???しかなかったですね(笑)バズったって言っても凄い数字じゃ無いですけど、その時ほんとに何が起きてるんだろう?って。メンバーでも伸びてる伸びてる…と。そこから色んなところから声もかけられるようになったんですが、私がマイク持って間もない事もあって、技量的にもライブが出来なくて、不安とストレスでライブやってられないぐらいの心境でしたね。
ー昨今そんなに聞かない状況ですよね。
何より色んな人から連絡が凄くて、ライブにも人が来るようになって実感しました。でもそれに耐えられなくて、ストレスで結構やられそうなぐらいでしたけど。そんなに期待されても、喉ばっかり潰しているし…って、最初はそんな感じでした。
ーキツイですよね。本数を重ねていないうちは特に。
ライブも短いスパンで入れちゃってて。期待されても1週間や2週間ではどうしようもないんですよね。でも日にちは来ちゃうし、お客さんも来ちゃうしなのでやるしかなくて。自分は不安だけど、出来る100%を出してやろう、と。緊張でライブどころではない感じでしたけど。
ーそれがあったから今の活動に繋がっているんだと思います。
そんな始まりがあったから、急に知り合いが増えて、どんどん誘われるようになって有り難い限りです。今は素敵な人達といれて幸せですね。結果オーライでした(笑)
ーコロナ禍で活動が下火になるバンドが多い中でCRUNKは伸びていったので、結構珍しいケースですよね。
動画のおかげというか(笑)運が良かったんだと思います。でもYouTubeに上がってるのは見るとストレスになるので見ていないです(笑)
■アートワークについて
ーCRUNKのジャケやフライヤーなど様々なアートワークも手掛けていますよね。結構独特だなと。インスタも見ているんですが。これって独学とか何か学んだりしたんですか?
高校がデザイン科だったんです。こういう絵を学んだわけではないんですけどね。デザインに関してはバカ高校なりにちょっと…って感じで(笑)
ーアーティストに明るくないんで、乏しい知識からなんですけど、Pusheadにいろいろ足し引きしたみたいな印象を受けます。
Pushead好きですよ。いろいろ漁って見てました。
私は頭を使えないというか、デジタルとか出来なくて、ちゃんと勉強してなくて高校も在籍してただけで(笑)デジタルアートとかもやったはずなんですけどね…。なので手描きでやっています。それをスキャンしてデータ化しています。モノクロに、二階調化して。
ー現時点でもだいぶ世界観出てると思います。将来的にアートジンとか作れそう。
作品が少な過ぎて考えた事なかったですね…。
ー溜まったら、って感じで。
溜まる事あるのかな(笑)でも思っているのは、バンドをやらなくなったら、今繋がっている人達に、無償でフライヤーとかアートワークを描きまくろうかなと。ハードコアのフライヤーが好きで、ENDさんとか格好良いですし、得意で描けるってわけじゃないんですけど、年齢だったり体力的な事でバンドが出来なくなったら、ライブでもイベントでもガンガン描いてみたいです。引退後?にやってみたい事ですね。
ー音楽以外に一個あるのはだいぶ強いと思いますよ。話は変わるのですが、
↑このフライヤーで学帽描いてるじゃないですか。
個人的に渋い!!ってアガったポイントでした。
あれはドラムの松井さんのこだわりですね。昭和レトロが好きだそうで、イベント名もバンカラなので描くしかないよねって。私は「あ、オッケーでーす」って感じで(笑)
ーツイートを見て気になっていたので聞いてみるんですが、CRUNKの2nd DEMOのアートワークはどんな意味が込められているんですか?
私はまだ内面が未熟だし、人間として学ばないといけない事が多くて本を読み漁ったりしているんですけど、正直このDEMOの中に入ってる曲の歌詞で今現在の自分と合っているのが1曲しか無いんですね。他の3曲も悪くは無いけど、ちょっと前の自分の考え方かなってところがあって。その時もいろいろ考え過ぎて悩んでた部分もあったんです。このDEMOではみなとみらいを描いているんですけど、それは現実世界を表しているんです。目の前に見えている世界を、どう生きるのが、真っ当に生きるのが、何が正しいんだろうって、常に悩んでいた事があって。曲自体も成長途中の自分だなって事もあって、敢えて混乱しているジャケって感じです。
ーアートワークから話が逸れるんですけど、DEMOじゃなくて良いのに!ってクオリティですよね。スネアの音が大好きです。
みんなのネタなんですよそれ!(笑)カンカンカンカンってやつですよね。でも松井さんは喜ぶと思います。むしろ私達の中ではネタで、意識しちゃうともう…なんですが。ドラムのこだわりなんですよ。
ー良いじゃないですか!
レコーディングの時もエンジニアさんが大笑いしていて、ほんとこれ?!高過ぎるよ!って。フィンランドのハードコアではいるけどなあって。それから取り憑かれ出しちゃって。こだわりみたいですね(笑)
ー他の曲も楽しみにしています!(インタビュー時は3月末)
※CRUNKのDEMO 02は2022年4月21日発売です!
■HardcoreDaysについて
ーHardcoreDaysについて聞いていこうと思うのですが、2022年の3月に始めて、結構伸びていますよね。
最初は結構観覧数があったんですけど、ちょっと最近は減っちゃったかな…。そもそもそんなに沢山の人に向けてじゃなくて、少ない方に目を向けて始めたので、(減って)ガッカリという事はないんですけどね。
ーご自身の情報収集も兼ねてっていう面もあったりしますか?
自分もハードコアが好きでこっちに来た時、情報が何も無かったんですよね。それなので来日バンドを見に行ったくらいしか…。POWER TRIPとかEXCELとか。急にこっちに出て来てもわからないんですよね。ライブハウスもどんなのかわからなくて。BushBashならハードコアっぽいのやってるって言うのなら、じゃあ行ってみようってなるんですが、聞く人もいなかったですしね。東京みたいな大都会でも(情報サイトは)無いんだって。本当に情報が無かった。その時に何か有れば良いなと思ってたんですよね。たまたま仲の良いTHE BREATH(LOW VISION)の岡村さんがWEBエンジニアで、協力して下さり、今になって実現した形です。
ー過去そういうサイトもあるにはあったんですが、いつのまにか…って感じでしたね。
知らないと行かなくなっちゃうっていうのがあって。こんなにハードコアが好きでも。そういう経緯があったからというのと、ただ単にTwitterを見るのが嫌だったっていうのもあって。ライブ情報見るためにTwitter見てたんですが、毎日嫌な情報も流れてくるじゃないですか。なのでTwitter無しでサクッと情報入れたいと思ったんです。あと昔の自分みたいに情報を知らない人もいて、CRUNKのライブならハードコアの対バンが多いから、CRUNKのライブに来てるよって人もいるんですね。今、日本に住んでいる海外の人とかですね。そういう人達のためにもやりたいなって思ったんです。
ーまた海外の人が来るようになったら重宝しそうですね。
あとは、どんな生き方をしたら良いんだろうって考えていた時に、自分のために生きるより、何か尽くせる事をしたいと思ったって事もあるんです。それまで自分のために生きていて、他人のためにっていうのは考えてなかったんです。アドラー心理学とかを読み漁っていた時に、人生の目標設定の仕方に感動を受けたんです。「コモンセンスに準じた生き方をしましょう」みたいな事があって。目標設定の仕方をクリアしてるのがこれだなって思って、やりたいなと思って始めました。
ー※アドラー心理学に関して、検索しても色々出てくるので、各々チェックして貰えると幸いです。
アドラーを読んだ時は凄く悩んでて、そもそも何のためにバンドやっているんだろう?ぐらいで。それが自我のためにやってるからわかんなくなっちゃってて、劣等感を埋めるためにやっているような気もしましたしね。
企画やろうと思ったのもそれで、他人と他人を、自分が組まないと関わらないだろうなって人を繋げてみたくて。どっちかと言えばサポート側についた方が良いのかなとも思って。HardcoreDaysもそういう事ですね。
ー個人企画の有りそうで無かった組み合わせって良いですよね。
今はバンドを通してシーンみたいなものに居させて貰えているので、だからこそ出来る事をやらせて貰おうかなと。
ーHardcoreDaysを見ていて思ったんですけど、今後3か月1年と続ければ結構な記録になると思うんです。何かの都合でやめた時でも、どこかにまとまって残っていれば、後々の人が見た時に面白いんじゃないかなと思うんですが。
それは私も思ってました。バンドで対バンした時に前まで◯◯ってバンドやってましたって人多いじゃないですか。結構大御所の方で、過去の事を言われても(すいません!来たの1,2年前なので観た事無いです…)みたいな事があったり。
ー世代的なものもあるので仕方ないですよ。
でも過去のフライヤーとかを見たり先輩たちに話を聞いたりすると、こんな対バンしていたんだ!っていうのがあったりするんですよね。コロナ前って、海外のこんなバンド来てたんだ!対バンしてたんだ!とか。私はコロナの1年前ぐらいから出て来ているから、自分たちみたいなバンドと海外のバンドが一緒にするっていうのが全く想像つかなくて。コロナ禍以降の東京のライブハウスしか知らないんですよね。後々追う時に情報サイトがあったら良いなと思いますね。
ーTwitterだと追うのが少し面倒ですしね。
■最後に
ーこれからのゆかさんに関して何かあれば
バンドとしては…メンバー皆でうまくやれる範囲でやりつつ、やれるところまでやってみたいなと思います。
個人としては30までやれるとこまでやり尽くしたいと思っています。多趣味過ぎていろんなことやっちゃうんですが、全てに於いて、やれるところまでやり尽くそうと。それで30になったら、それはそれで次のステップを踏むというか。そんな感じです。
ー有り難うございます!長丁場で色々なお話、本当に有り難うございました。今後の活躍に期待しています!
■逆質問コーナー
ー迷物企画なのですが、最後の最後で何か聞きたい事ってありますか?
聞きたい事…難しいですね(笑)そもそもKMさん自体が謎な人なのですが…?
ーあ、そうですよね。丸っきり初めましての人にオファーって実は今回が初なんですよね。
今回が初の人にもわかるように説明すると、バンドとしてはDISTANCEとGUIDINGっていうバンドをやっています。前者に関しては、コロナ前からメンバーの仕事や家庭の都合があって活動が鈍化していって、今では…なのですが、GUIDINGは音源バンドなのですが先日EPをリリースしました。あとはコロナ禍に入ってZOOMを覚えた事をきっかけにインタビュー形式の、このONE VOICE ZINEっていうのを始めて、こちらも徐々にマイペースになり、なり過ぎて今に至っています。プチ再始動って事で、今回ゆかさんにお話を伺った次第です。
そうなんですね(笑)有り難うございます。たぶん共通の知り合いもいるかと思いますし、今後何かあったらまた!
※これ以降も少し続きますが、それは各々に聞いてください…。
■あとがき
いかがだったでしょうか。これまでのovzはキャリアの長い人や、ある程度のキャリアを積んだ人にインタビューをしていたのですが、今回はvo.歴の短い、バンドとしてもコロナ禍以降のバンドの方に声をかけさせて貰いました。ひとつ言えるのは経験の浅い深い関係無く、それぞれにストーリーがあり、心の底流というか心境の流れがあるんだなということです。どれも全部興味深い。燃え尽きかけているハードコアおじさんにハッパをかけてもらった心持ちでした。
これからも、自分の気の赴くままのペースではありますが、面白そうな事をしている人にお話を伺っていきたいと思います。従来の"ちょっとでも繋がりがある人"に声をかけてるんだろ?的なパターンは今回で崩したので、もしかしたら次はあなたのとろこに行くかもしれせん…それでは!
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