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鳳鏡夜の努力と可能性に祝福を


たぶん、どこかでひとつでも他の道を選んでいたら、私はホストにハマっていただろうと思う。

前世の魂がバンギャだなんだと騒いでいる私をご存知の方は、まあ違和感なくわかっていただけるだろう。
私はイケメンに弱い。特に綺麗なタイプや美人なタイプに弱く、髪が長めだとなお弱い。さらには夢小説生まれ・乙女ゲーム育ちの生い立ちもあいまって、甘い言葉にもめっぽう弱い。
わかりやすくて大いに結構。私はそんな自分が好きなので、あまり気にしていない。

そんな私が、『桜蘭高校ホスト部』のアニメを今更ながら完走した。


なんとなく知っているようでちゃんと見ていなかったこの作品だが、放送されていた年代的にも、作画やテーマ的にも、楽しめるであろうことは以前から明白だった。

見終わった感想としては、やはり「おもしろい、見てよかった」だ。

しかし、ひとつの作品に対して特定のキャラに入れ込みがちになる女こと、私。
今回もご多聞に漏れず、私の目と心は、あるキャラクターをずっと追っていた。


それが、鳳鏡夜である。




ここから先は、テレビアニメ『桜蘭高校ホスト部』のネタバレを大いに含みます。
未視聴の方はなんのことやらわからない上にネタバレを踏みかねない内容になりますので、ご注意ください。





鳳鏡夜。
桜蘭高校2年、ホスト部の副部長であり店長でもある、鳳家の三男。
身長181cmのクールなメガネキャラで、大変優秀。
そう、大変に優秀なのだ。2人の兄よりも。


しかし、彼は環に出会うまで、“三男として”優秀であるために努力をしていた。

自分の実力が兄たちを上回ることを理解していながらも、出過ぎた真似はせず兄を立てる。
父の厳しい言葉に心のどこかで怒りを感じていながらも、笑顔で期待に応える。

望まれたとおりの模範解答を出してさえいれば当主になれる兄たちと違い、期待以上の成果を求められる(その成果を出しても三男であるが故に当主になれない)彼は、正当な努力を正当に評価されない世界で、それでも努力を怠らなかった。


そんな折、恵まれた環境に身を置く環と出会った。

人を見抜くことと人に見抜かれないことに自信があった鏡夜は、思い通りに動かない上に、こちらを見抜いているような言動をする環に苛立ちを覚える。
自信のあった能力において、自分よりバカな奴が一枚上手であったことは、もちろん自尊心を傷つけられただろう。

しかし、鏡夜が環に怒りをぶつけた根幹の理由はそこではなかった。

環が、手を伸ばせば欲しいものが手に入るのに、そのための努力を怠り、剰え他の可能性を求めていること。

鏡夜の怒りの本質はここにあったのだ。


鏡夜には、『兄たちを上回る実力』と『現状に満足していない目』があり、『利用できるものがあったなら利用して上まで昇り詰める』気さえあった。

それはつまり、鏡夜にも「実力を最大限に発揮して、当主にもなれるほどの力であると正当に評価されたい」気持ちがあったということで。

三男たる自分は当主にはなれないと理解しているからこそ、押さえ込んでいたその気持ちを、環への怒りを通してはっきりと自覚していくほどに、自分が三男である現実を突きつけられる。


現実主義者の鏡夜にとって、可能性を求めることは、現実(を変えるための努力)を諦めることと同義だった。
だから、様々な可能性を口に出す環が、せっかく恵まれているのに易々と現実を諦めているように見えた。

対する環は、可能性を求めないことこそが、現実(を変えるための努力)を諦めることだと考える理想主義者。
鏡夜にとって、この思考は初めて触れたものだったに違いない。



そもそも鏡夜は、この問題に対して努力しても無駄だと思っていたのだろうと思う。
誇示するまでもなく自分のほうが優秀だと自分でわかっていたし、たとえそれが証明できても生まれた順番が変わるわけでもなければ、後継順が兄2人を飛ばして自分に来るとも思えなかった。

だから、鏡夜の中では、この問題解決までの現実的な道筋として、“三男の枠を超える”努力は採用できなかったのだろう。
悪く言えば、鏡夜は、出生順に甘んじて、机上論だけで、そう結論づけてしまった。

そこに環が、「何もしないで最初から諦めてるのはお前のほうだ(やってもいないのに決めつけるな)」と言ってきたわけだ。

可能性を求めることも、現実を変えるための努力であること。
鏡夜にはまだ、やれるのにやっていないことがあること。

環が鏡夜に示してくれた。
賢い彼は、あの瞬間に負けをも認めて受け入れ、たくさんの気持ちや思考の限界を乗り越えたのだろう。



鏡夜が向かっていたキャンバスの立派な額縁の外で、これまで描いていた絵に使われていなかった赤い絵の具を、勢いよく置いたあの筆の主は、環だったと思う。
そこ以外にも、その色以外にも、選べるものがたくさんあって、それを選んでも良いのだと、鏡夜の目の前で示してくれた。

そして、それから徐々に枠をはみ出して、環の赤を中心に持つ大輪の薔薇を描きあげたのは、間違いなく鏡夜である。
きっと枠をはみ出すにも、大作を描きあげるにも、たくさん努力をしたはずだ。
彼は努力家だから。



鏡夜はその後、当主になる手段は後継だけではないと気づいて努力を始めたのだろうと思うし、その結果がアニメ最終話だと思う。

そのアニメ最終話にて、鳳グループの事業を全て実力で奪って、そのままそっくり「いらない」と突き返した鏡夜。
大変優秀な彼のことだから投資くらいやってるだろうとは思ってはいたが、これはつまり、中3の夏(環と出会って)から高2の秋(桜蘭祭)までの、わずか2年で、あの鳳グループの企業を買収できるほどの資金を貯めたということである。
そしてこれは、当主になれないはずの三男が自身の力だけで当主になれたということでもある。



私には、最終話まで見ていてずっと考えていたことがあった。

「鏡夜自身の力とは何か」ということだ。

本人自身の力というのは、先輩たちなら武術、双子なら入れ替わりの能力、環やハルヒなら人間力がそれにあたると私は考えている。
大人も舌を巻くような、むしろ大人にも現実的に勝る力だ。

鏡夜が「利用できるものは最大限利用すべき」と考えるタイプなのはわかるが、彼はこれまで、プライベートポリスをはじめ、小松匠陰のときも、新聞部や笠野田を脅したときも、家の力(鳳グループの権力)を使っている印象があった。
これらは彼の指示で動くものだが、彼のものではない。現当主である父のものだ。
その点、環に至っては、須王の力を自ら使っているところを見た記憶すらない。

しかし、最終話のこのシーンでようやく、「鏡夜自身の力とは、謀の力である」とわかった。

もちろん彼の計算高さや手腕は作中で何度も描かれていたが、少なくとも個人的には根回しがうまい程度の認識しかなかった。
また、その効果を最大限に上げるために、然るべきときまで本領を秘めていたところもあると思う。
そしてその然るべきときが今回だった。

彼は、彼自身の力だけで、当主になってみせた。
さらに、その上で「いらない」と突き返すまでして。


父の言うとおり、これまでの鏡夜なら買収してそのまま上に立ち、さらなる利益を求めただろうと私も思う。
でも、そうしなかったのは、きっと環のおかげだ。


環が教えてくれた“現実を諦めるためじゃなくて現実をより良くするための可能性”が、鏡夜にも持てたのだと。

きっとたくさん努力した。そしてたくさん成長した。

しかもこれから彼は、文字通りの無限の可能性を持って、何にでもなれるのだ。

もう鳳家や桜蘭学院という、彼の実力に対して小さすぎる箱に留まる必要はなく、正当な評価がなされるもっと大きな世界で、彼はその実力を最大限に発揮できる。


その嬉しさで涙が込み上げてきたその勢いのまま、私はこれを書いてる。

また、口ぶりからして、買収までは父の想定の範囲内だったようだが、突き返される(=当主になることを簡単に手放すほどの“次”へ向けてすでに進み始めている)ことは想定外のようだった。

それはつまり、鏡夜が期待以上の結果を出したということで、鏡夜の努力が輪をかけて実ったことに、本当に涙が溢れてしばらく止まらなかった。




それにしても、少し話が逸れるが、全編を通して、環はずっと優しい子だった。

いつでも相手を思いやることができる、本当にいつでも。
ただのお人好しとか、女たらしとか、そういうことではないのだろう。

ハルヒと喧嘩をしたとき、心配をした/かけたという点では環に軍配が上がっていたはずなのに、「頼ることをしないまま育ってしまったんだね」と、ありのままのハルヒを責めもせず、逆に受け入れ、自身を負けとさえして、「これからは目を離さないようにしよう」と自分が変わることをすんなりと決めてみせた。

エクレーヌとの婚約を受け入れたときは「自分が母親に会えるなら」ではなく「母親が須王に認めてもらえるなら」と言ったし、エクレーヌが意地悪をしてきたときも「家のためとはいえ、知らない男と婚約させられて、君は嫌じゃないのか」と言った。

こうやって、自然に人を大切にする環だからこそ、ある種の効率主義者だったハルヒや鏡夜を成長させることができたのだろうと思う。

ありがとう、環。

もしかしたら彼のピアノが、人々に涙を流させるのはこれを所以とする部分もあるかも知れない。


そんな環の考え方は、鏡夜にはないものであり、突拍子もないものであり、これからもそれを知ることができるとわかっているから今もつるんでいるし、つるむことで新しい景色を見られるのがメリットなのだろう。

金銭的なメリットだけじゃない、それ以上に価値のあるかけがえのない関係を、鏡夜が手にできたことにまた涙腺が緩んできたので、このあたりで一度終わっておこうと思う。


死ぬまでに、そしてミュージカル第2段が上演予定の今、この作品と鏡夜さんの存在を知ることができてよかった。

ありがとう、ホスト部。




ちなみに、作中で「ホスト部(ぶ)」として呼ばれる彼らだが、タイトルが「桜蘭高校ホスト部(クラブ)」となっていることは、アニメを全部見終わったあとWikipediaを読み漁って初めて知った。
口頭で人に話す前に知ることができてよかった、本当に。
ありがとう、Wikipedia……。

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