米ジルシの半生2

どももー!
前回に続き、今回は住まいが変わるまでに至るまでをつらつらと書いていこうかなと思います。
ダンスに出会ってからどうなっていったか

名古屋の専門学校に通うことになり、ダンスインストラクターを目指すべく頑張ろう!と発起したのですが、2年間みっちりダンスをするわけではなく、スポーツ医学やビジネスマナーなど生きていく上で社会人として働く程の学校でした。ダンスは主体でしたが、基礎を学んだだけであとは自分でどうにかしなくちゃならない、ダンスで食べていくには到底難しく、普通の会社に就職しなくちゃならないような状況でした。ですがそこは若気の至り笑

就職なんてしてたらダンスできないし、フリーターでええわ!って学校から勧められた就職先も蹴ってがっつりダンスにのめり込みます。

そしてその学校で運命の出会いもします(奥さんでは無いw)
ダンスの講師さんが多方面(イベント主催、ショップ運営、自ブランド立ち上げetc)を手掛ける方で、のちに僕の師匠となる方なのですが、正にこんな人になりたい!と、その方の後をついて回るようになりました。傍ら、自分もチームを何個か渡り歩き、クラブに足繁く運び(ただ遊ぶだけw)、少しずつですが小さなハコのショーケースに出演したりするようになり、名前を色んな方に覚えてもらうことが出来ていました。※ハコ=クラブハウスやイベント会場の事

フリーター兼ダンサーとして生活を続ける事3年。

師匠についていたものの、なかなか大きなことには実りが出せず、ただバイトしてダンス練習して、クラブで遊んでたまに出演する。そりゃお金も無いし、日々生活苦でした。

そんな矢先に、専門の先輩からの就職のススメを教えてもらい、一度体験としてやってみるか!と就職を決意します。

仕事は工場勤務でした。先輩からは若い人多いし仲良くなれるよ!って言われてて期待してたのですが、待ち受けてたのはまたエゲツない縦社会組織でした。
慣れてはいたものの、直属の上司が同い年でも仕事では先輩だからとそのノリは慣れててもかなりキツめでした。
(内容は伏せますが、いわゆる超絶激しめの体育会系なやつです)

結婚を機に引っ越すまで3回ほど辞めようと思いつつも続けていました。
おそらくこれが社会人なんだと自分にも言い聞かせてたり、本当の気持ちを隠し込んでたんだと思います。

社会人になってからは、ダンスももちろん続けていましたが、費やす時間は格段に減り、師匠との時間も無くなっていました。
それでも活躍をされていたのでダンス仲間から師匠の話を聞くと嬉しかったです。

でも、突然の別れが来るとは思いませんでした。

不慮の事故で訃報を仕事中に聞き、頭が真っ白になるってこういう事なんだなと。

全く信じられなく、告別式でご本人の顔を見ても実感しませんでした。ただ寝てるだけ、本当にそんな感じでしかなかったです。

涙が出たのは帰りの車内で、仲の良かったダンサーの人と師匠との思い出の話をしていた時に止まらなくなりました。後悔しかないなと、もっと気にかけて会って話をしておけばよかったって、感謝を伝えたくても伝えられない。辛かったです。

しばらくはダンスから離れようかな思いましたが、決まっていることもたくさんあったのでこのまま続けれるとこまで続けようと心に決めた時でしたね。

それから結婚をして、それを機に移住をし、その先で自分なりの繋がりを作り、なんとか副業ではないですがダンスイントラとして5年間働く事も出来ました。
いろいろなことがありましたが自分のダンス人生はこんなところでしょうか笑

まだ機会があれば踊りたいなぁと思っていますが、やはり流行りものなので若い人達が盛んだとオジサンダンサーはちょっと入りにくいと言うか…😅
後輩の子達から誘いもありますが、今は転職した仕事と別の副業やNFTで手一杯なので来年ぐらいに、少し出来たらなーって感じで

ま、こんなところでしょーか🌾

だらだら話としてましたが😅
ここまで読んでいただきありがとうございます🙏

それではhave a rice day!🌾

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