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NOWHERE TO TOKYO

2019/12/7(土)、お昼過ぎに東京へ向けて出発した新幹線に揺られながら、このエントリをしたためています。
前年の12/1に岩手の禅寺を目指して実家を飛び出し、2月に転がり落ちるようにそこを辞して、重度の突発性難聴に見舞われました。その治療が終わるや否や、わたしは小倉のこの字も知らないまま北九州にやってきました。

それから10ヶ月経って、ちょうど最初に実家を出てから一年。
わたしは、首都圏で音楽活動をするために、東京での生活を志すことにしました。

結論から言うと、北九州にはなにもありませんでした。
(トリプルミーニングくらいはかけていますが、補足はしません。)

わたしは来る日も来る日も秘密基地に通い続け、双極性障害の重い鬱で倒れながら、さながら竹槍で戦闘機を落とす訓練のような日々を送りました。

なにもない北九州には、だからこそくっきり見える重要な歴史上のオリジンがたくさんあったり、なにもないからこそそのスペースの中でごく稀に、異常に尖った人や、尖ったお店との出会いがありました。

"きっとこの街には何かあるはずだ、頑張れば何か見えるはずだ"
そこにいることへの疑問をかき消し、鼻をつまんでそんな観念を自分に擦り込むしかなかった時期もありました。

それらすべてを呑み込んだ上でわたしは、この10ヶ月間が自分の人生にとって二度と来ない、かけがえのない経験だったとはっきりと思うことができます。

東京に戻れば、戦闘機の影は、飛躍的に多く濃くなります。
もしかしたら優れた鉄砲やロケットランチャーが手に入るかもしれません。
突然ふと思ったのですが、仲間を捨ててまでどこへも行けないわたしは、東京にいるのが一番いいんです。

アーティストとして誰とどう組むであるとか、関数型言語Elixirのご縁は果たしてこの先の道を描くのかとか、はっきり言ってまだ全くわかりません。

東京だって、外から見たらただの首都機能やハブに過ぎません。
やれ福岡だ、東京だ、なんて言って敵視し合うのは不毛だと思います。
日本に住んでいることのディスアドバンテージは音楽の世界では飽きるほど語られてますが、いよいよその世界の限りではなくなってきていませんか。
出る杭は打つし、杭が出たままより共倒れしたほうがマシな島国根性から、目を覚ませと声を上げてくださっている上の世代の方々がいます。

いつものように書きかけのまま唐突にこの文章は終わりに入ります。
これ以上を語るのは、この先のわたしの人生の道筋に預けるとして、そろそろ筆を置くことにします。

うまずたゆまず、頑張ります。
Kento Mizuno




このnote内での活動にかかわらず、音楽家としてのわたしを応援してくれる方がいたらとても嬉しいです。読んで、聴いて、リアクションいただけるだけでも、飛び上がるくらい嬉しいです。宜しくお願い致します。