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適応障害になったおはなし

もうだいぶ前のことになるのですが、適応障害と診断されました。
今は症状も落ち着いてきたけど、ふとした瞬間に涙がこぼれてしまったり、どう頑張ってもベッドから出られなくなってしまったりすることがあります。それでも睡眠薬と安定剤が手放せなかった時期と比べれば、もうかわいいもんです。

もうあのどん底は二度と体験したくない。けれど、そういう経験をした自分のことも認めて、今度ああなったときに自らを傷つけないようになりたい。そう思って、少しだけ備忘録を付けておくことにしました。

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去年の夏、会社を辞めて独立してから、結構ガムシャラに頑張ってきていたと思う。当時はとにかく「自分が働かないとお金が入ってこない環境」に慣れなくちゃと、仕事を詰めまくっていました。けれど不思議と辛いという感覚はなくて、これまで正社員時代にはなかった「私個人に仕事が入ってくる」というやりがいを感じていました。

不調が現れたのは秋頃。継続して受注していた案件の担当者と相性がよくなく、「朝6時までに納品」「原稿まるっと全部直し(具体的な指摘ナシ)」とかが多発していて。関連するチャットの受信音が聞こえると、なんとなくウッと気持ち悪くなったり、電話のコール音で胃がキリキリするようになった。

その不調はあっという間にエスカレート。もともとある不眠症がひどくなり、朝まで眠れなく、食事もロクにとれなくなりました。

みるみる体調がおかしくなり、チャットの受信音とともに泣き崩れたり、パニックを起こして玄関から泣き叫んで飛び出していってしまったり。

当時お付き合いをしていた方と一緒に暮らしていたのですが、目の前で豹変していく同居人をどう見ていたのかと考えるとゾッとします。暴言もたくさん吐いたし、暴れたわたしを力づくで抑えてくれたこともあった。本当に申し訳ない。それくらい自制が効かなくて、自分の体と頭がまったく別の行動をしていることがもどかしくてしょうがなかった。

毎晩過呼吸を起こし、涙や鼻水やよだれを垂らしまくりながらトイレで吐いた夜もたくさんありました。胃の中はカラっぽなのに吐くしかできない。元恋人はわたしが過呼吸を起こすと夜中でもビニール袋を口に当ててくれた。そんなみっともない姿がただただ恥ずかしくて、ああ、ここから居なくなってしまいたい、とにかくはやくラクになりたいと毎日願っていました。わたしのgoogle検索履歴はどんどんネガティブな手段検索で埋まっていく。壊れてるなって思いました。

すがるような気持ちで、自制心を保てている時にカウンセラーの友人に「こうなってる、病院に行った方がいいのだろうか」と相談しました。その友人はすぐに自宅近くのメンタルクリニックを紹介してくれ、わたしはようやく「適応障害」と診断して貰えました。

適応障害という診断名がついてからも、すぐに仕事を離れるとはできないのがフリーランスのつらいところ。引継ぎをして、数ヶ月休める算段を整えるまでに1ヶ月くらいかかったかもしれない。
薬で騙し騙し生きてはいたものの、自分の身体が限界であることはわかりすぎていました。

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いまでも自分がおかしい行動をしていることがあって、自分は多重人格なんじゃないか、メンタル弱すぎるんじゃないかと思うことがあります。
少しずつ自分を取り戻していきたいのに、3歩進んでは2歩下がる毎日。年末に適応障害と診断されてから、正直3月くらいには元通りの生活を送れるようになっているだろうと甘く見てました。年末以前のわたしからはまだまだ程遠く、あの状態に戻れるのはいったいいつなんだと毎日考えます。

いろんなことがあって、一人暮らしに戻った今。泣き叫んでも、自分を叩いたり過呼吸を起こしても、パニックになっても、誰もいない。その環境に、少しだけホッとしている自分がいる。...…新居はペット可物件だから、防音がしっかりしていてよかったな。どんなに泣きまくっても、今は新しくお迎えしたこねこが心配そうにわたしのそばにいてくれるだけです。ねこ、本当にありがとう。だいすきだよ。

そのかわり、誰かと生活することに対する怖さも、逆に安心感も知ってしまったことがつらい。自分の中にはなにか大きなマグマみたいなものがあって、自分でも予期せぬタイミングで噴火してしまうから、それを理解してくれる人なんてきっといないんだと今は決めつけてしまっている。一度は支えてくれた元恋人が限界を迎えてしまったのがいい例だと思う。

ひとりで、この問題にどう向き合っていけばいいのかはまだまだ手探りで、しんどくなって、つらくなってしまうこともあるけど、私が「私らしい」を取り戻せるまでゆっくりのんびり戦っていきたいです。

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