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3月25日は、何の日?

近頃、いろいろと考えることも多く、夜な夜なパソコンで自分の考え方や、これから行い事柄をパチパチ。
今日は、天気もすぐれない休日。少し遠出も含めて資料館へ出かけてまいりました。


鹿屋航空基地史料館
南九州に位置する鹿児島県鹿屋市西原。ここには、現在、海上自衛隊 鹿屋航空基地が有ります。その敷地内に、史料館が在り、外には退役した航空機、ヘリコプターなどが展示されております。

ここで、本日頂いた資料から少し引用させていただきながら、皆様にもご紹介です。

戦時中、鹿屋には3つの飛行場(笠野原・鹿屋・串良)がありました。なかでも鹿屋基地は、昭和11年に鹿屋海軍航空隊が開隊して以降、上海渡洋爆撃から終戦に至るまで、海軍の重要基地として活動し続けました。
昭和16年、真珠湾攻撃の作戦計画が練られた「鹿屋会談」が鹿屋基地内で行われ、対米戦争が始まるきっかけとなりました。
戦争が激化すると、昭和20年2月に第5航空艦隊司令部が鹿屋に設置され、鹿屋から各基地へ特攻の命令が下されるようになります。
鹿屋基地からは日本で最も多い九〇八名の特攻隊員が出撃し、戦死しました。

戦跡を旅するKANOYAより

トップの写真は、史料館入り口にある衝撃的な展示です。毎日、鹿屋基地から出撃した数名の実名と所属、二度と帰ることのできなかった出身地が、毎日、毎日、館の方々に紹介されているとのことでした。
因みに、本日、3月25日は、鹿屋基地から13名の特攻出撃・命日となっております。

僕は、45歳。勿論、戦争を知らない世代です。ただ、記憶に残る戦争関連のニュースとしては、湾岸戦争(1990年)・同時多発テロ(2001年)その後の対テロ戦争・そして現在のウクライナ侵攻。
人は、生きている限り、性別、年齢、人種に関係なくトラブルや、他人との軋轢が生じ、不安などからの行き違いは多くあります。それの大きなものが戦争であり、古代のように宗教による戦争は減っているのでしょう。それに代わり、エネルギー問題、大企業による利権や政治家の思想による戦争が原因が多くなっているのではないでしょうか。
今回、鹿屋航空基地史料館には、現生に知られることなく散って行かれた、九〇八名の名簿や写真、手紙などが大切に保管され展示されております。上記に挙げたような、他国の戦闘が、この平和な日本でもあったことをもっと多くの人に知っていただきたいです。
近頃は、SNS社会と言われますが、この惨事をもっと発信し、今の生活のありがたみと、平和を共有し、自分たちだけが安心できる社会でよいのかと感じての投稿でした。
自分の子供たち世代が、国、家族、ふるさとを守れることを信じ、二度と着陸できないとわかっていても飛び立っていった場所で涙してしまう菜種梅雨の休日でした。
是非、多くの人に訪れていただきたい施設です。
鹿屋航空基地史料館

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