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山のある生活(祖母傾山系)

久々の山の紹介投稿です。
今回は、九州を代表する縦走路の東端の山、傾山のご紹介です。

双耳山頂

傾山(1605m)かたむきやま
傾山山頂は、宮崎県日之影町と大分県佐伯市、豊後大野市にまたがり、県境の目印になる山です。その山容は、ほかの山とは違い遠くからでもわかりやすい形をしております。
俗にいう『双耳』の山頂部です。
山頂に近づくにつれて、その吐出した岩峰に魅了されます。

黒仁田林道からのアプローチ。
車で行けるが、かなり道が傷んでいるので4駆車がお勧め。


今回のコース紹介は、ぼくが最も人を案内したいコースの一つ。宮崎県日之影町からのアプローチ。九折広場にてゆっくりテン泊。夕方の双耳山頂と、朝は、その双耳山頂にて海から上がってくる日の出を見る工程です。
下の写真は、昨年の夏にいつもお世話になっているお店で手に入れた、夏用マットを試しに行った際の写真です。(PORTAL宮崎)

いつも快適なテン場。えらく遠くに来たような気持になりますね。

ここで地盤のお話です。
傾山も大昔は、火山帯の一部でした。祖母傾山縦走路に立ち稜線を観察すると、宮崎県側は緩斜面が広がり、反対側の大分県側は、急斜面になり断崖も多いです。これは、簡単に表すなら大分県側からの溶岩が稜線あたりから溢れ外側(宮崎県側)にユックリ流れながら冷え固まったからです。
では、大分県側はどうして急斜面、断崖なのでしょう?

コールドロンとは陥没したことを示します。
少しわかりにくいですが、等高線が縦走路を境に違いますよね。

このように山の形状や、岩質を知ることで地形、地質を知ることもできます。あと一つだけつけ加えのお話です。
尾平鉱山

鉱山跡地(豊後大野市HP引用)

尾平鉱山は、江戸時代に寛永通宝の造幣所が設置されたことも有名である。数回の閉山の危機はあったが、昭和初期に現在の三菱マテリアルが引き継ぎ一気に産出量が増すも、昭和中期(50年過ぎ)から不調となり、59年に完全廃坑となった。その短い鉱山史の中で繁栄時期には、この狭い地域に3,000人を超える人々が居住し、学校、映画館、クラブなど当時の最新の生活があった。現在も、LAMPの近くには廃墟が見られる。この宿泊施設であるLAMPも昔の学校跡地を活用したものです。

尾平側だけでなく宮崎県側でも多くの鉱山が有り山に生かされた生活があったのでしょうね。

久々にいろいろ山の本や、山岳地図、アプリを見ながらパチパチ投稿してたら、あのフカフカのテン場で山登りキャンプに行きたくなってきました。
今月中にサクッと言ってこようかな(笑)
山のある生活、僕は満喫しています。

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