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多分将来エンジニアになるであろうと思われた私が、UXデザイナーになった話 ー川下り的な生き方についてー

父親・母親はエンジニア・研究者(数学系)、私は情報学系の大学・大学院に進んで、周りの友達は7割くらいエンジニアになった。

普通に学生生活をしていたらデザイナーましてやUXデザイナーなんて夢は私の人生では出てこなかったはずなのだけれど、、、

でもそんな私の人生をよくよく振り返ってみると、「つくる」ことを後押しされ続けた人生だった。そして今は、新しくより良い体験をつくる仕事に出会って、楽しく仕事をしている。
今楽しく働けているのはたくさんのチャンスをくれた、周りの人たちのおかげだ。

人生の全てがチャンスや幸運だったかというとそうではないのだけれど、一つ一つの機会を逃さなかったから今があると信じている。
だから、これを読んだ人が、今目の前にあるかもしれないチャンスや幸運に気づくきっかけになったり、自ら動き出してみたり、
また、周りにいる人に、いろんなチャンスをあげてみよう、というきっかけ
になるといいな、と思って、出会った人たちをベースに体験記を書こうと思っている。

あと私の人生録になっているので、子供をUXデザイナーに育てたい人にも役立つかもしれません(?)

まず、私のものづくり生活の本当の本当の原体験から。

つくり/誰かに届けることの幸せを気づかせてくれた両親

私のものづくりへの原体験は父親の似顔絵をかいたこと。

家で過ごす暇な時間に、ちょっとした画用紙に、そんな仰々しい訳でもなく、父親の似顔絵を描いていた。それを父親に見せたら褒められた。

その絵のポーズを真似て、似てるって喜んでくれる両親は鮮明に覚えてるし、その時破茶滅茶に嬉しかったことも覚えている。
自分のものをつくる行動が誰かの喜びになる瞬間が強烈に頭に刷り込まれている。

私は何者になりたいのだろう、と思い返すときに、こういう原体験に帰ることができる。あの「やったー!」という体験を今でもずっと追いかけているのである。


そしてその後、わたしの「つくる」興味は、エンジニアの父や、ナウでヤングなHPを作っていた友達の影響でインターネットに向かっていった。

(ヘッダーの写真は4、5歳くらいの時で、この時からおうちにMacがあって、夜になると父親がダイヤルアップしてネットに繋いでいるのを聞きながら寝ていた💻この話はまたどこかで)

「何か作りたい」という雑な相談に真摯に答えて志望校を一緒に選んでくれた高3の時の担任の先生

インターネットにどっぷりハマった私は、ガラケーでぽちぽちホームページや前略を飾り立てながらも、
高校3年生春まで、「なんとなく良さそうな国立の情報学部」を志望校にしていた。数学だけは得意だったので(他は壊滅的だった、特に社会はビリに近い。)、二次で頑張れば、なんとかなりそうだし、名前も聞いたことのある大学ならなんとなく食いっぱぐれもなさそうだ、程度の理由で大学を選んでいた。

高3、春、初めて担任になった数学の先生に問われたのは「将来どんなことしたいの?」だった。
正直進路に関しては、将来を見据た上で選んだことがなく、なんとなくで決めていた私は、過去を思い出し、
うーーんなんかつくっていたいです。ものづくりとか。えんぴつでもなんでもいいから、つくりたいです。」みたいな返事をした。
(本当に一言一句違わず、まじだるテンションだったので、今の上司だったらブチギレられてたと思う。)

次に会った時、先生は一冊のパンフレットを持っていた。
「君はインターネットに昔から興味がある。この学部ならそういう世界でのものづくりを学べそうだ」

パンフレットに書かれていたのは、漢字とカタカナの折り混ざった不思議な名前の学部名だったけど、情報学部って書いてあるし、インターネットのこととか、メディアコンテンツのこととか、カタカナが多いけど、なんとなくモノづくりできそう!面白そう!偏差値も今の志望校より高くないし()という感じで志望校を決めた。

ざっくりいうと、面白そう で志望校を決めた。

多分この先生がいなかったら、この学部の名前は聞いたことすらなかったし、私が将来を考えるきっかけもなかった。
今の時代、自分の意見が間違っていたり、ぼんやりしていたりすると、たくさん詰められることが多いけど、学生時代の私に、わからないことを私よりも深く考えてくれた担当教員には本当に本当に感謝している。
新たな視点、可能性を広げてくれたことにすごい、、、すごい感謝している。

このあと、この担当教員と、入試のための小論文の指導してくれた先生にはさらに色々な気苦労をかけたのだけど、最後まで一緒に考えてくれて本当にありがたかった。。。

☝️ちなみに、芸大などへの進学も少し考えた。
でも当時の美術教員に「高3でデッサンもしたことないなら無理でしょ」「やるならデッサンの塾行かないといけないし、時間と覚悟とお金が必要」って言われたのでやめた。こちらの先生はとても現実的な先生だったし、私自身そこまでの覚悟は持ち合わせてない程度の人間だった。

そして、この大学に出会えたことは私に本当にいろいろなチャンスをくれた

つくるチャンスを絶え間なくくれた大学の友人たち

大学で出会った友人は本当に様々だったけど、何かに没頭している人が多かった。DTMとか、起業とか、部活とか、開発とか、研究とか、、、

私自身すごい自信があることもあったわけでもないし、そんな没頭できてスキルもある人が羨ましイナーと思いながらも、小中高時代から作っていた自分でデザインしたブログだけはずっと持っていた。

当時はnoteもなかったし、はてぶデザイン微妙だし、という理由で
自分で特に習ったわけもなくワイヤーフレームをかき、デザインし、wordpressコーディングをしていた。

▼当時のHPの名前は「KMDRISM.com」(こまどりずむどっとこむ)

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デザインの話題には興味があったのでそんな話もブログで更新していた。
情報学をメインとする大学の授業で多様な言語を書く機会を与えられたことも、ブログ作りに役立った(wordpressで使うPHPは、web言語しか触ったことのなかった私にとって、かなり難敵だった)

というのを続けているうちに周りに自然と、「こまどりは、なんかデザインが好きっぽい」という印象づけがされ、起業した友達の会社や、知り合いの研究室が携わっている研究会などのロゴ作成・HPデザイン・コーディング、学部会報誌の表紙のイラストなど、色々任せてもらうようになった。

自分自身、グラフィックをしっかり学んでいるわけではないのだが、それでも頼んでくれた人を失望させないように、色んな人にフィードバックをもらいながら仕事をした。
さらにさらに幸運なことに当時のゼミの教授は、芸術学部出身でグラフィックにも精通しており、気さくにアドバイスをくれた。1ミリでも揃ってないマージン部分があると「ゴミだね!」と明るく吐き捨ててくる愛情を持ったタイプの先生だった。この揃える感覚を植え付けてくれた先生には本当に感謝している。

情報学部という私が大好きだったインターネットに、私なんかよりもっと熱中している人がたくさんいる中で、自分に自信を失くしながらも、
好きで続けていたものづくりによって「デザインできる人っぽい」がアイデンティティになって、好きだったインターネットよりもデザインという概念に興味を持ち始めた。

きっと、人の考え方は、自分が自分であると認識できた体験で作られる。
思えば幼少期の体験も、大学での体験も、自分にしかできなかった体験で、だからこそやりたいことにつながったんだと思う。

エンジニアリングに囲まれた私の生涯で、デザインは自分が自分であると認識させてくれたものだった。

つくることを仕事にすることを教えてくれた人

就活よりちょっと前、デザインおもしろーと思いつつ、なお「どうせエンジニアになるんだろうな」と思っていた流されやすい私は、エンジニアリングのインターンにいくつか参加した。

お世話になった会社の人たちはみんなみんないい人たちだったけど、web関連の本を書いているような人とも一緒に仕事させてもらえたけれど、
エンジニアとしての仕事がどうも身に馴染まなかった。

むしろ仕様書を書いてる人やコンテンツ作成している人たちの方が楽しそうだなって思ってしまった。

というのをきっかけに、就活が始まる直前に一社だけ、「UXデザイナー」というインターンに応募して、あるユーザー課題に対して、それを解決するサービスをつくる、というテーマに取り組んだ。

デザインのインターンというと、とにかく学生になにか作らせたがるんだけど、このインターンは、
・なぜこの解決策になるのか
・なぜユーザーは使おうと思うのか
というWHYにめちゃくちゃフォーカスしたインターンで、今まで、ものづくりしたーい、とぼんやりしていた私の夢が、
「自分が考えていて面白いと思うこと」として具体化されたのだった。「なぜやるのか」を誰よりも語れる人間になり、物事を生み出すこと。
そして、それがそのまま仕事になって、UXデザイナーという役目になって今に至る。

もはやこのインターンとの出会いは偶然でしかないし、自分がやりたいことが就活中にドンピシャで見つかる人って少ないんじゃないのかな、って思う。

私がうまいことここまで辿り着いたのは、「なんかこの仕事違うなー」って思ったことをきっかけに、全然違う職業や業界にアプローチできたことがよかったのだと思う。

こうして、私はエンジニアを目指す人生をギリギリまで送りつつも、自分を自分たらしめてくれた、デザインの道を歩むのでした。(めでたしめでたし)

まとめ: 川下り的な生き方について

私の上司の話で好きな例え話がある。
「人のキャリアの積み方は、
ゴールを見据えて一歩ずつ進む山登り型か、その場その場で自分の好きな方へ臨機応変に進む川下り型だ。

私の人生は典型的な川下り型である。
面白い、楽しいと思った方に行き先を定め、さらに途中で得た経験を元に、さらに方角をエイッと変えてみる。
飽き性の私にはこの方が生きやすい。

でもこの生き方をしていると、ゴールが見えない分、今の自分の立ち位置が不安定に思えたり、過去の行いを後悔する場面があったりする
だからこそ、自分のアイデンティティを確立する環境、人が必要だし、今の自分をポジティブに捉える力が必要だ。

多分、幼少期の、自分でものづくりをしたらすごい喜んでもらえた、という体験が今の自分の原動力だし、エンジニアだらけの環境にいたから、デザインがほんの少しだけできることに対して「すごい!」と言ってもらえたこと、そういう環境・立場が今の自分のアイデンティティにつながっている。

何か一つ抜きん出た才能があったわけでもない私でも、環境と人が、自信と立場と私らしさを作ってくれた。
そして言うまでもないことだけど、エンジニアの知識があることは、今のデザイナーとしての仕事でもめちゃくちゃに役立っている。掛け合わせの強みだ。
川下りで得てきたことが今の私に繋がっている(と思えるくらいのポジティブさもある)。


多分今社会人として生きている人は、川下り型の生き方をしてる人が多いのではないかな、と思う。
だからこそ悩んでいる人もたくさん見かけるのだけど、「なんとかなったよ〜」という事例としてこの記事を読んでもらいたいなと思います。

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