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♯01 苦しむことなく演劇を(ゲスト:山本卓卓)

このトークで話す人は?
山本卓卓:今回のゲスト。劇作・演出家。劇団範宙遊泳にて主宰を務める。
児玉健吾:かまどキッチン主宰。本作では脚本、演出を担当。
佃直哉:かまどキッチン共同主宰。本作ではプロデュース、ドラマトゥルクを担当。

はじめに

1月12日(水)より上演予定のかまどキッチン「燦燦SUN讃讃讃讃」では、前回公演『海2』にて好評いただいたプレビュートークを再び実施。

今回はコロナ禍において演劇活動をしていくことについて、先達の方に話を聞きにいってみました。
第一回は、劇団範宙遊泳にて作・演出家を務める山本卓卓さんです!

撮影:雨宮透貴

:かまどキッチン『燦燦SUN讃讃讃讃』関連企画プレビュートーク、はじめさせていただきます。今回はゲストに劇団範宙遊泳の主宰、山本卓卓さんにお越しいただきました。よろしくお願いいたします。まずは互いの自己紹介からさせていただければ。

1.それぞれのルーツ

児玉:かまどキッチンの脚本と演出と、佃とともに主宰をしております、児玉健吾です。今回お声掛けした山本さんとは僕は学生時代のときに大学の企画の公演で演出助手をさせていただいたことがあり、僕の現代演劇のルーツの一つでもあるってところで今日お話できたらなって思ってます。よろしくお願いします。

:かまどキッチンの佃直哉です。団体では児玉と共同で主宰をしながらプロデュース等の企画制作、あるいはその児玉と作品を創作するうえ相談を聞いたり現場にいて周囲を見たりするドラマトゥルクをさせていただいております。

:範宙遊泳の座組とは特に関わりがなかったんですが、演劇を見たことがなかった僕が大学に入って人生で初めて見た作品が『生まれてないからまだ死ねない』の初演だったんです

範宙遊泳「うまれてないからまだしねない」(2014)撮影:雨宮透貴

山本:そうなんですか。

:はい、現代演劇あるいは演劇自体を考える上での何か一つの軸みたいなところに範宙遊泳があったので、今回お話しする機会が設けられてすごくありがたいと思っています。

山本:お願いします。範宙遊泳の山本卓卓といいます。児玉くんと同じ大学を出ていまして彼に関わってもらったりしつつ、お芝居をずっと懲りずに続けてきました。範宙遊泳は学生団体として2007年から始めているので、15年近くもやってますね。…児玉くんとはかぶってないよね、大学の時期。

児玉:大学はもう全然違う世代ですね。僕が大学に転入した年に演大連[1]の『昔々日本』があって、そこで演出助手をさせていただいた…って感じなので。ただはじめてご挨拶をしたのは、僕がまだ名古屋で高校演劇をしていた頃になります。(範宙遊泳が)愛知県にツアー公演で来たとき[2]にすごいよかったので、わざわざ演出さんいらっしゃいますかって、楽屋いるとこから呼び出してもらって…ってことがあったんですよね。

山本:あったね。

児玉:その後YouTubeで公開されていた動画とかも見て、当時はYouTubeに今ほど作品の動画ってなかったので、そういった活動も含めてすごいいいなと思ったんですよね。佃の場合は範宙遊泳の作品にルーツがあって、僕の場合は範宙遊泳が作る環境にルーツがあるって感じですね。

山本:嬉しいです。すごくありがたい。僕自身のルーツは高校演劇だと思っているけど、遡ると小学生の頃に文化発表会・クラス会のお楽しみコーナーみたいなので、自分で脚本を書いて演出をして主演までやってました。

児玉:すごい脚本演出主演。

山本:めちゃくちゃだとは思うんですけど、漫画描けるクラスの友達みたいな感じだったというか。やりたいことがいっぱいあったんですよね。

山本:とはいえルーツと言っても、出身が僕みたいに山梨とかだと、演劇を観るチャンスがないから、だから演劇を高校の頃に志してても、やっぱり部室にあるビデオや戯曲、なんか劇団の記念何十周年記念本みたいな、そういうのを読んで、へえこういうところなんだと思ったり、扇田さん[3]の本を読んで、演劇界のマッピングを想像するしかなかったね。

児玉:名古屋はまあ栄えていて、高校演劇も盛んだったけれど、今みたいにアクセスしやすいところに作品や戯曲があるイメージはなくて、やっぱりみんなキャラメルボックスとかのVHS見てる印象ありました。

:なるほど、当時の高校生が演劇界のなんとなくの構図を知るのは扇田さんが入り口になることが多かったのは意外ですね。ネット記事などから入れる今と比べると少し格調高いというか。僕は大学図書館でまず業界を概観しようと思ったとき、適当に手を出せる本が演劇最強論[4]でしたね。徳永さんと藤原さんの。

児玉:高校時代、アニメとかが好きで演劇をやっていた僕みたいな人が、現代演劇にタッチしようとなったときの入り口もあの本でした。データとして分類するという形をとるのでどうしても賛否両論を聞きはしますけど。すごいありがたかったです。演劇は「一回性の芸術」で、それはそうだなとは思いますけど、アーカイブやラベリングを有効に使うことで間口が広められたらいいですよね。

脚注:

[1]演劇の実技教育を担う都内の5大学(桜美林大学芸術文化学群演劇専修、玉川大学芸術学部パフォーミング
・アーツ学科、多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科/美術学部演劇舞踊デザイン学科。桐朋学園芸術短期
大学演劇専攻、日本大学芸術学部演劇学科)が集い2013年春に設立した連盟。『昔々日本』は2016年に東京芸
術劇場シアターイーストにて上演された。

[2]2015年に愛知県芸術劇場小ホールにて上演された『幼女Xの人生で一番楽しい数時間』

[3]演劇評論家の扇田昭彦氏。60年代の小劇場運動を紹介した他、2015年に亡くなるまで長く演劇評論の一線
に立ち続けた。

[4]書籍「演劇最強論:反復とパッチワークの漂流者たち」を指す。2013年に徳永京子と藤原ちからによって書かれ
た。キャッチーな切り口で、現代演劇の若手をマッピングし、ラベリングしながら紹介した。現在では小劇場応援サイ
ト演劇最強論-ing(https://www.engekisaikyoron.net/として)WEB上で運営されている。


2.ルーツが生み出す作風の違い

児玉:ルーツが高校演劇なのは僕も一緒です。漫画やアニメに対する憧れがすごいあったので、部に入ったのは当時声優になりたかったからなんですけど。でも高校演劇自体にかなりのめり込んでしまって、はじめて作った作品も自分の感じた高校演劇のまとめを作りたいってモチベーションがあったから生まれたものです。

山本:僕もいわゆる現代演劇的なものとはジャンルが異なる高校演劇ってジャンルで演劇をやっていたけど、とにかく新しいことや今までと違うことに取り組みたくて、大学で劇団を立ち上げた頃はとにかく高校演劇っぽくない演技を目指そうと思ってたね。

児玉:大学に入って、あれとはもうおさらばだみたいな感じで。

山本:そうそうそう。

:せっかく新しい場所に来たなら今までのものは一度捨てようって感覚はよくわかります。ついでに僕のルーツのお話もさせていただきます。僕は大学入って初めて見たのが範宙だったと言ったように演劇には全く携わってこなかったです。僕のルーツは美少女ゲームで、中高時代からめちゃくちゃ好きだったんですよ。

山本:そうなんだ。じゃあ、かまどキッチンはアニメとそういうゲームでちょっと親戚じゃないけど…。

:なんというか、ちょっとアレなナードが集った集団みたいな空気感が生まれることがありますね…。

山本:それめちゃめちゃいいですね。

児玉:カラーとしてそういう劇団ではないんですけど、主宰ふたり繋がったのが元々美少女ゲームで。

山本:なるほどなるほど。

児玉:彼を劇団に誘ったとき、彼は演劇をやってなかった。ゲームとか、演劇の研究とかしてたんだけど。

山本:そのゲームとかの方面に行きたいなってのはぼんやりあったの?

:そもそも僕の志望動機が、好きなシナリオライターの元長柾木[5]さんがあんまりもう書かなくなっていた時期に、「演劇と美少女ゲームの類縁性を探る」みたいなことを遺言のように残していたので、それを探ろうと思ったからで。中高時代は美少女ゲームのコミュニティやブログで感想を書いたりもしていて、まあ、そういう若気の至りですよね。

山本:めちゃめちゃいいじゃないですか。

:いざ学んでみたら現代演劇は面白くて、確かにライターの方が言うようにゲームに近い要素もあり、このまま研究とかするのも悪くないなーって思っていた段階で、転入してきた児玉に会ったんです。彼のルーツにもゲームやキャラクター文化があり、話してみたところ意気投合して、現在にいたるって流れで。

児玉:うちの劇団で演劇をまともにやってたのは僕とスタッフのおにぎり海人の二人で、あとは元々専門が演劇じゃなかったんですよ。佃はそういう感じで、坂田は駅伝の強化選手として学費免除で大学に通いながらイラストを描いていたっていう。

山本:みんな面白い経歴ですね。

:ただそういったオタクの価値観で現代演劇に入ってしまったので、今でも自分が演劇をやっていていいのかと思ったり、価値観や物事の認知にずれがある瞬間があり、創作を他人とやっていく上で悩みの種になっているなと思うこともあります。

山本:いや、そういう人が絶対にいた方がいいと思いますね。うちも美術家のたかくら[6]なんか本当に全然違う角度から話をしてくれるので、すごいやっぱりそれは刺激になるから、とても大事だと思いますよ。どんどん言っていった方がいいんじゃないですか?

児玉:山本さんには今すごいポジティブに捉えていただいたと思うんですけど、僕たちって現代演劇に携わる者としては倫理的に問題ある人間だっていう自覚がずっとあるんです。そういった自負を抱くようなルーツが「キャラクターや人格を扱う際の倫理」を異様なほど意識したり、作品の特徴にも繋がっているんです。

山本:企画書にあった「人間を演じない、描かない」っていう。

児玉:そうですね。人を書かない方法でしか人を書けない、まあ書くときは書くであれなんすけど。僕ら本当にキャラクターが大事なんですね。何かキャラクターの人格否定したりだとか、キャラクターの人格を活用するみたいなのっていうのが、ある種作家の権利というか権限としてあります。そこに関して結構思うことがあって、なかなか難しい線引きなんですけど、あるプロパガンダのためにキャラクターを活用するであるとか、そういったことに対してすごいなんか抵抗があります。

山本:でもそれはすごく正しい抵抗だと思います。児玉くん、悪役を書けないでしょ? キャラクターたちを愛せないと書けない。

児玉:それはまさにそうですね。
 
山本:それはすごく気持ちがわかる。俺もそう思う。何かを主張するために悪役を作ってそいつに集中砲火させて、うん、こういうのってよくないですよねみたいなものを上演するのは、何ていうのかな。それはニュースとかでいいじゃんみたいな。プロパガンダのためにキャラクターを生み出さないって考え方はすごい共感できますね。

児玉:ある正しさ、ある倫理の中でこうあるべきだっていう考え方が、ここ二、三年でより強くなってるように思っていて、実際僕もその倫理観や考え方に強く共感するもののそこを強く押し出す作品を見ていくうちに、それに流される危うさを感じるようになっています。物語の使い方が危うくなっていると思う瞬間が増えたというのはあります。

山本:要するに世の中のスペースがどんどん狭くなってきてるって感じてるっていうことですよね。どういった考えや倫理観に立っていても狭さを感じる機会は増えてると思う。

児玉:自分は周りから見たときにたわいもないくだらないフィクションのようなものを書いているのだけれども、何かできれば、せめてそういうフィクションの中にあるその箱庭の中、箱庭の人間じゃない存在のキャラクターたちの中に自分たちの生活を拡張する何かを見出したいっていうのはずっとありますね

山本:なるほど。でも、僕はやりたいことが何個もあるので、同じ手法を連続で続けはしないかな。 YouTubeに作品の動画を上げているのも、範宙遊泳は色んな角度でいろんなことをやっている団体だって知ってもらいたかったからなんですよね。僕らは『うまれてないからまだしねない』みたいのもやるし、『われらの血がしょうたい』みたいのもやるし『さよなら日本』みたいなのもやる。1本だけ見て範宙はこういう劇団だから、うん、もう大体わかりましたっていうのが嫌なんです。

:団体広報の面から考えると、代表作を作ったらそちらにまず目がいくように導線を整えたいと考える気がするんですが、企画制作の坂本さん[7]とはどういうふうにお話しして方針を決めていたのでしょうか。
 
山本:そうですね…。外身がどう見えるかみたいな戦略はあんまり話し合ってないんですよね、実は。毎回自分が書き手として何を書きたいかっていうことをとにかく伝えるっていうところから始まりですかね。

山本:僕の作品は三つぐらいパターンがあって一つは割とキャッチーめっていうか、割とオーソドックスな、会話劇ではないんですけどそのような感じの系譜。一つ会話で組み立てつつ、お客さんが入り込みやすい世界で、友情とかの関係性を書きたいってモチベーションがあって。

山本:もう一つはもっと演劇に挑戦していくような作品、いわゆる実験的な作品。『われらの血がしょうたい』はその系譜なんですけど、インターネットっていう演劇と結びつかなそうなものにチャレンジするとか、演劇を試していくような所。あとその半々ずつ、その二つをミックスさせたみたいなやつ。オーソドックスでありつつも実験感もあるやつですね。

山本:僕の中で『ディグ・ディグ・フレイミング!』とかその系譜に実は入るんですけど、自分の中で毎回今はこの路線みたいなものがあるんです。この間ちょっと実験振り切ったから、今回ちょっとオーソドックスな方にやってみたいなみたいな気持ちになったりとかっていう。その都度サイクルをしてるっていうような感覚が大きい。

山本:本当に学生劇団の頃から1回やったから次はもっと違うことしたいっていうタイプでした。なんかそれは僕自身の性格も多分あるんですけど。最初はアンチ会話劇から始まって、次第に現在の形に遷移していったのかな。

:作風を公演ごとに使い分けてサイクルのように回しながら、周回を重ねる事で過去のパターンが洗練されていく。団体や作家として何周目かのサイクルに入っていると思うのですが、僕が見始めた『うまれてないからまだしねない』の頃から比べると、最近の山本さんの言葉はここ数年で他者の目を気にしない形に振り切った感があるというか、饒舌だったり、ある種のベタさや余分さまで飲み込むような勢いがある印象があります。

山本:佃さん以外からも2016年ぐらいから明確に変わったんじゃないかっていう指摘はあって、その頃までは自分の書きたいことをとにかく削って、引き算してたんです。自分のやりたいことっていうのに常にブレーキがかかってたんです。だからセリフはとても淡白。情景描写だけはするんだけど、会話の展開は切っていく。喋らせすぎるなって感覚でずっとやっていたんですよ。でもそこで何か精神いかれるかもって思ったんすよ。この声が増えすぎちゃって、書きながらこの声を聴き続けてたら俺死んでいくぞって思ったんだよね、明確に。こっちにいたらどんどん不健康になると思ってから、それこそ書きたいこと、とにかく書きまくって書き切ってやるっていうものに変えたんです。

[5]元長柾木。シナリオライター・小説家。代表作に『sense off』『未来にキスを』『星海大戦』など

[6]たかくらかずき。劇団範宙遊泳のアートディレクターを担当しながら、TVCM等のアニメーションを担当。

[7]坂本もも。劇団範宙遊泳のプロデューサー。並行して劇団ロロの制作も務めている。急な坂スタジオ勤務。
特定非営利活動法人舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM)理事。​多摩美術大学 非常勤講師。

3.山本卓卓の変化:SNSとの距離感

児玉:山本さんの変化は先日開設された範宙遊泳のdiscordや山本さんのツイッターの運用など、現在のSNSで活発に動いている最近の範宙遊泳の未来を見据えた活動にもつながっているように思うんです。

山本:そう思いますね。さっきのスペースの話ともつながる話だけど、世の中の息苦しさに抗いたいって気持ちがあるんです。僕は息苦しいと思うほど筆が進むんです。今、日本…っていうか東京かもしれないけど、本当に警察が増えてるっていうか、ライセンスを持ってない警察がひたすら増えているな、と。

児玉:今回脚本上でインディーズの警察っていう

山本:(食い気味に)面白いじゃん、そうそう、インディーズの警察が増えてる。今のいい言葉です。いや、まったくその通りで多分みんな同じように感じてる。みんな全く同じことをこういう場になるといいます。

山本:自由に自己表現がどんどんできなくなっているんだよね。言葉っていうのはライセンスのあるものじゃないんだけど、言葉は結構危うくて、言葉はすごく上手い人じゃないと使えないものなんです、実は。でも今は誰でも言葉を使える世界で、上手い人じゃなくても言葉を出せちゃうんです、公共の場に。TwitterとかSNSの中に。Yahooニュースのコメント欄なんてもう無免許運転をしてるぐらいのレベルの危なさ、酔っ払い運転をしてるぐらいの危なさで公道を走ってるみたいな人がいてめちゃめちゃぶつかってくる。そういう問題があって。そうなってくるとやっぱり生きづらいと感じると思うんです。生きづらいって声を上げるのが表現で、作品に込めているから、どんどん筆のスピードが上がる。

児玉:僕は悩んじゃうタイプで筆もSNSも止まっちゃって…。僕から見たときに山本さんは、Twitterとか範宙遊泳のDiscordとかはもちろん、逆に現実の空間も拡張するような試みをここ数ヶ月で実践していて、ツイッターも復帰して本名になって、僕が現場にいた時や、その後アカウントを消したりしていた時とも違っていて、触れ方とか逆に拡張しようというふうになった試みへの変遷みたいなどういうとこなんでしょうか。

山本:ツイッターは一回もうイヤーって発狂しそうになったんで消したんですよ。1ヶ月後とかに戻せば戻るんですけどそれも戻さず、本当に捨てた。それで1回この世界から抜けてみたんです。

山本:でも1年ぐらい経つと、戻ってこなきゃ駄目かもって思った。明確に自分を発信するツールが一気になくなったっていう気がしたんですよ。で、留学のタイミングで期間限定でちょっと復帰してみようって思ったんです。

山本:自己表現はした方がいいってモチベーションで、最初は自分の左手が喋ってるみたいな設定でリハビリをしていたんです。嘘とわかっている設定の中で…演技ですよね。無免許運転とか酔っ払い運転だらけの公道であるインターネットで、ひたすら避けるとか、ぶつかってるけど気づかないって能力や…スルースキルって言葉は嫌いですけど、ぶつかっても自分が大丈夫なくらい身体を鍛えて情報に触れていたんです。そうしたらすごくやりやすくなって、ここ数ヶ月でちゃんと戻ってこられた。

山本:Discordは本当楽しい空間でしかなくて、やっぱり信頼関係があるっていうか僕らのことを多少なりとも好いてそこに来てくれているから、ある種のファンコミュニティっていう感覚でやれてて。

児玉:あれは誰発案なんですか?

山本:あれも発案はたかくらですよ。やってみると話題のスイッチングがすごいできるんです。人にはいろんな人格、いろんなチャンネルがあるじゃないですか。そういう場があることで、いろんな好きなものがある自分を出すことができるのが楽しい。

児玉:僕は入っているので伝わってきます。タイムラインって僕たちにとってすごく情報を摂取したり、すごくエンジョイさせてくれるけれど発言や投稿が伴って初めて視覚化されるっていうのがものすごくなんだろう、自分の存在を担保するために何か公的なところに身を置き続ける、ある立場や指針を続けなければいけないという思考になりがちな傾向がSNSの現在としてあると思っていますね。

山本:だからちょっと閉じられてる方が心地良かったりするわけですよね。

児玉:だからDiscordめちゃくちゃいいなと思って。

山本:やっぱりちょっと閉じられてるから安心なんですよ。だから友達と話してる感覚になれるんですよね。どっちかっていうと。大事な友達って、もうすごい自分の駄目な部分を喋れて、自分の何ていうかな、普通の人に言ったらそれどういう趣味なのみたいに思われるかもしれないことも言えるじゃないですか。

山本:みんなSNSのオープンさっていうものに飛びついて、憧れて、楽しそうって思って来たけど、いよいよみんなやっぱりちょっと閉じられてる方がいいのかもしれないって思い始めてるタイミングが来てるのかなって思ってます。自分にとって、Discordがすごくやりやすいっていうのはそういうことなんだなって感覚があります。

4.苦しむことなく演劇を

山本:今Twitterに演劇の感想ってどんどん減ってるらしいんですけど、なんかそれってみんなが言いづらくなってるんですよね、だから僕は、終わった後に観客さんと交流する機会は今こそ増えた方がいいと思う。

:言えなくなったからこそ、ですか。

山本:公共の空間では言えなくなっているから、終わった後にちゃんと直で話す。そこは信頼関係のある空間だからコミュニケーションができる。そうなってくると作り手のメンタルも落ち着いてくるんじゃないかなって今思ってて。実はちょっと昔はそれができてたところもあったんですよ、公演が終わった後、劇団が劇場内にテントとかを建てて飲み会をするみたいな。

児玉:参加したことあります。寿司が出てきて、アゴラでこんなの食べさせてもらえるんだって。

山本:コロナ禍の前まではできてたんですよね。ツイッター使いづらい、治安の悪い空間になってしまっているってみんなが本気で思い始めているからこそ、今、Discordと意味が近いような場所を作っていくこと、劇場や演劇が安心できる空間を提供することにはチャンスがあると思っています。

山本:今、また演劇界はメンタルヘルスについてだいぶ問われている時期に来ている気がしていて、いろんな意味であらゆる意味でメンタルヘルスのことが問われる。このまま行くと誰か人が死んでしまうかもしれないという恐れが実は僕の中にある。

山本:15年やっている中でやっぱり演劇人のいろんな悲劇を見て、やっぱそうなって欲しくないっていう思いがずっとあります。いかれないで欲しいっていう。

山本:とにかくみんなが普通に生きて、演劇やって不幸になる人が減ってほしいって思うし、そんなに苦しんで作らなくていいようになってほしいって本当に思ってる。でもそれはある種のロールモデル的なものを示していかないと多分みんなもわからないから、自分はそういう経験も含めて、なるべく言うようにしたい。児玉くんも、絶対自分が楽しいっていう方に行っていいと思います。本当にそこはわがままで全然いいと思う。

児玉:言葉選びとして本来の言葉とは違うんですけど初期衝動をもらったような。初期衝動的な自分の強さを何かもらったような感覚になる。

:こちらの方でプレビュートークの方終了させていただきたいと思います。山本卓卓さんでした。ありがとうございました。

山本:ありがとうございました。楽しかったですね。


プレビュートークは以上になります。最後までお読みいただきありがとうございました。山本卓卓さんもアフタートークゲストとして登壇予定の、かまどキッチン「燦燦SUN讃讃讃讃」は1月11日(水)よりこまばアゴラ劇場にて。是非ご来場ください!

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