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霧のなかのバーバラ

『霧のなかのバーバラ』片山恭一 2021年11月刊 文芸社

本書は映画化もされ、300万部の大ベストセラーともなった『世界の中心で、愛をさけぶ』の著者、片山恭一が記したノンフィクションです。

本書副題には「学習障害を克服した女性の物語」ともあるように、重度の学習障害を生まれながらにしてもったバーバラ・アロースミス=ヤング女史の半生とその障害を克服してゆく軌跡が記されておりました。

学習障害とは知的発達の遅れや聴覚・視覚に問題がないにもかかわらず、「読む」「書く」「計算する」などの能力に著しく欠ける障害のことです。

本書の主人公であるバーバラにはまず、学習障害の典型的特徴である読字障害(ディスレクシア)がありました。

この識字障害とは形の似ている文字、アルファベットが見分けにくく、文章の語尾や文末を読み間違えたり、文字や行そのものを読み飛ばしてしまったりするため、文章を読む速度も他の人と比べて遅くなるそうです。

また、書字表出障害(ディスグラフィア)という障害もあり、この障害は書いた文字が鏡文字となってしまったり、文字を書く方向が逆になってしまったりするため、彼女が学校でとるノートは汚くなってしまい、教師より何度も書き直しを命じられたとのことでした。

こういった学習障害の特徴は、当人の成長や発育が遅れているわけでもなく、視聴覚も健常であることから、周りからは「怠けている」と誤解されたり、本人が努力不足と思いこんでいることも多かったそうです。

小学生の頃のバーバラ自身、必死で学校での読み書きに取り組むものの、他の子どもたちと比べ、読み書きが遅く、ミスも多いバーバラを自身への反抗とうけとった教師に鞭で打たれるシーンは、時代が時代とはいえ、読んでいてい涙が出てきました。

さらにバーバラには算数障害(ディスカリキュリア)という障害もあり、その生活に大きなハンディを背負います。

算数障害(ディスカリキュリア)とは単に数を数えることや計算が苦手といったことだけではありません。

そもそも、数の概念や数量の大小、図形の把握や理解が困難であることから、時計が読めず、時間もわからないのです。

また、数の概念に代表されるよう抽象的な思考能力に著しく欠けるため、人と話していても、相手の話す比喩や例え話が理解できず、冗談にも気づくことができず、会話についていけないことがしばしばなのです。

27歳になり、学習障害を克服するまで、バーバラにとって世界は厚い霧に包まれているようにおぼろげで、不明瞭な世界であったといいます。

何一つ物事に確信がもてず、自信も持てず、人に騙されることも多かったとのことでした。

そんな彼女がどのようにして、その学習障害を克服していったのでしょうか。

私自身、学習障害は障害の一つであるから、どれだけ周囲が理解し、サポートをしていけるかが重要と考えており、障害そのものを克服できるとは思ってもおりませんでした。

しかし、本書を読み、その考えはかなり変容しました。

実際にバーバラ自身が考案し、読字障害(ディスレクシア)、書字表出障害(ディスグラフィア)、そして算数障害(ディスカリキュリア)を改善し、克服したメソッドを本書に知ってしまったからです。

そして、そのメソッドは現在、バーバラ以外の学習障害を持つ人々にもプログラムされ、多くの成果をあげているというのです。

本当に凄いことだなと思いました。

「ヘレン・ケラーの功績に匹敵する」という識者の言葉が本書でも紹介されていましたが、私もそう思わずにはいられませんでした。

今でこそ、脳科学の発達により神経可塑性(脳が生涯にわたって変化し、脳機能が変容していく能力)は知られるようになってきましたが、バーバラは今から40年以上前に、自身の経験からそのことに気付き、自らを実験体として、いくつもの学習障害を克服するエクササイズを独力で作りあげってしまったのですから。
(バーバラが障害を告げられた当時、脳は不変なものであると考えられており、自分の限界を受け入れて生きていかなければならないと言われていたそうです)

なお、著者はこのエクササイズを脳の「治療」でもなく「修理」でもなく、自分自身で「脳という畑を耕していく」行為に近いと語っておりました。

たしかに現在、自分の使うことのできる脳の領域を障害をもった機能に代替させてゆくトレーニングは脳を耕すという表現がピッタリでした。

エクササイズの具体的な内容は本書に紹介されておりましたが、著者いわく、
「バーバラが作り出したエクササイズ、知能訓練方法の中身は非常にシンプルだ。美しいとい言ってもいい。偉大なる物理方程式は、どれもシンプルで美しい。アインシュタインの特殊相対性理論も、現代の最先端の物理学であるループ量子重力理論も、その方程式は、ほんの数行で書けるくらいシンプルである(中略)このシンプルな方程式が、その後の世界や時間と空間の見方をがらりと変えてしまったのである。バーバラのやり方も非常にシンプルなものだった」
とベタ褒めでした。

いや、でもほんとにこれは凄いことですよ。

数の概念がわからなかった少女が自分で考案したエクササイズで脳機能を回復させたあかつきに、20年ごしに小学校の算数に対面し、楽しみながら理解していく姿には心がうたれます。

他にも、以前、読んでみてもまったく意味がわからなかった本の内容が、健常者からすれば何気ない他人とのおしゃべりがある日、突然理解できた喜びは何に例えられるのでしょう。

しかし、それまでの苦難と悲しみと煩悶の日々を思うと本当に涙を禁じ得ません。

その後、霧の中を抜け出した彼女は28歳にして、自分の作った学習方法でかつての自分と同じように霧の中にいるであろう学習障害のある子どもたちを受け入れる学校を作ったとのことでした。

インターネットで彼女のHPを確認したところ、齢70歳を迎えたチャーミングな笑顔をたたえた素敵なおばあちゃんの写真がそこにはありました。

「脳はいくらでも耕せる」俺も頑張ろうと思いました。

人々はずっと「脳が自分を形成する」と考えてきました。私はいかに「自分の脳を自分で形成できる」のかを示したいと思いました (バーバラ・アロースミス=ヤング)













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