Redemption Song
大学を中退して、一番最初に始めたアルバイトが近所の漫画喫茶での仕事だった。まだ、都内にも数店しかなく、漫画喫茶が珍しい時代の事だ。
アルバイト初日、先輩スタッフのYさんに飲みに誘われ、仕事が終わると二人で飲みに行く事となった。
当時、バンドを組み、ライブ活動に励んでいた自分と同様、宮崎から上京し、プロのミュージシャンを目指していたYさんは年も一つしか違わない事もあり、すぐに打ち解け、飲みに行く運びとなった次第である。
好きなミュージシャンも重なり、二人ともボブ・マーレーが大好きで、ひどく影響を受けてきた事がわかり、大いに盛り上がった。
結局、朝まで飲み続ける事なり、最後は路上で缶ビールを片手に語り続けた。
音楽の事、好きな漫画や映画の事、どうして自分が音楽の道を志すに至ったか。話は尽きることがなかった。
会話をしていく中で、一つ気になったことがあったので、Yさんに思い切って聞いてみた事があった。
8月の最も夏の暑い盛りの中、Yさんはずっと長袖のシャツを着ていたのだ。仕事中はもちろん、飲んでいる時も、ずっとだった。
「なぜ、こんな暑いのに長袖を着ているのか」尋ねるとYさんはシャツの袖をまくると、和彫りの龍の入れ墨を見せてくれた。
プロのミュージシャンなる事を志し、高校を中退し、ギターを一つ抱え、上京したものの、思うようには行かず、次第にヤクザの事務所に出入りするようになり、準構成員として暮らすようになった事。
その中で、いくつかの犯罪、薬物に手を出し、その時に刺(い)れたのがその龍の入れ墨であったという事を訥々と語ってくれた。
若者がファッションの一つとして刺れているワンポイントのタトゥーとは明らかに異なり、その筋の人たちが彫りこんでいる本格的な和彫りの入れ墨が自分とは一つしか離れていないYさんの腕に刻まれており、少なからず驚いた。
詳しくは聞かなかったが、現在は昔の仲間とは縁をすべて切り、もう一度、音楽の道を歩むべく、住居も新たにし、久しぶりに就いたアルバイトがこの漫画喫茶であるとも語ってくれた。
その日以降も仕事のあるなしに関わらず、よく飲みに行く様になり、朝まで飲み明かすこともしばしばだった。
数年後、漫画喫茶は移転の為、閉店し、以降、お互いに職場も変わり、以前の様、会う事は少なくなっていった。
そして、音楽の道に見切りをつけ、別の道を歩み始めた自分からYさんに会う事は次第に少なくなっていった。
一方、Yさんは組んでいたバンドの解散等もありながら、ギターは続けているとの事だった。
今でも家の片隅にギターは立てかけてあり、酔いのままに爪弾くこともあるが、音楽を聴くこと自体、昔と比べてグッと減ってしまった。
ただ、今でもボブ・マーリーが好きな事は変わらず、夏がくるとあの歌声を無性に聴きたくなる。さらにいえば、Yさんが歌って聴かせてくれたボブ・マーリーの名曲「 Redemption Song 」が忘れられない。
ギターリストであったYさんは決して歌が上手な訳ではないが、この歌だけは、彼が弾き語ると心に沁みた。酔っぱらうといつもギターを片手に歌いだすのだ。それは「贖罪の歌」そして「自由への歌」を意味する、こんな曲だった。
Redemption Song
遠い昔に海賊が俺達をさらって
奴隷船に売り払った
そして奴らは俺達を商品として
船底から引きずり出した
だけど俺は逞しくなった
全能の神が手を差し伸べてくれて
俺達はこの時代を進んでいく
勝者のように誇らしく
一緒に歌ってくれ
自由の歌
俺が歌ってきたのはすべて
自由を取り戻す歌
自由を取り戻す歌
奴隷精神から自らを解き放とう
俺達の心を解放できるのは俺達しかいない
奴らの原子力なんて恐れることはない
時間を止める力など持っていない
いつまで奴らは俺達の預言者を殺し続けるんだ
俺達はただ突っ立って眺めているだけなのか?
誰かが言った、この受難こそ預言の一部だと
俺たちで聖書を完結しよう
一緒に歌ってくれ
自由の歌
俺が歌ってきたのはすべて
自由を取り戻す歌
俺が歌ってきたのはすべて
自由を取り戻す歌
この自由の歌
自由の歌
Yさんはその後、フジロックを始めとする有数のロックフェスの常連となるプロミュージシャンとなった。今日もどこかで自由への歌を爪弾いている事だろう。