夢と魔法の国
仕事で幕張に用事があったので、京葉線に乗った所、平日というのに車内は親子連れで混み合っていた。
舞浜駅に到着した途端、乗客数は一気に減ったのだが、おそらく多くの家族が其処にあるディズニーランドへと足を運んだのだろう。
印象的だったのが、子ども達の表情が強張っていた事だった。
慣れない満員電車、ディズニーランドに行った事のない子どももきっといるのだろうから、当然ともいえる。
しかし、傍に居る両親たちの表情も見ているとご機嫌とは言い難い。
まあ、電車の中でよく見る疲れた日本人の顔だ。
その点、対象的だったのは観光に訪れているであろう外国人家族だ。
こちらは子どもも大人たちも機嫌よさそうに、笑顔もチラつく。
この違いは何だろうかと幕張までの車中、しばし考えてみた。
結局、答えは出なかったのだが、日本人にとってディズニーとは何なのかを改めて考えるきっかけとなり、ある仮説が浮んだので、記しておくこととする。
それは、ディズニーとは新興宗教の一宗派であるということだ。
ディズニーランドは勿論、ディズニー教の聖地かつ寺社であり、ディズニー映画やグッズは教えの信徒を獲得する為のプロパガンダであり、グッズはその信心、帰依の証である。
いうまでもなく、入場券やグッズはお布施だ。
宗教が悪い訳ではない。
ただ、多くの人がディズニーをエンターテイメントの一つとして捉えているのではなかろうか。
無自覚な場合はとても危険だ。
ややもすると思考停止状態となり、ご本尊への依存が強まると同時に、宗派の集金マシーンとなる日も遠くないだろう。
特に日本人は敗戦のショックから、アメリカのマテリアリズムの影響を色濃く受けてきたので、ディズニーとの親和性は非常に高いものがある。
ディズニーは我々の生活に相当、深く入り込んでいる為、なかなか気付きにくいが、その信者獲得から集金方法まで、驚くほど宗教団体のシステムと酷似している。
よくよく考えてみれば、夢と魔法の国と題されたテーマパークのキャッチフレーズも欺瞞に満ちている。
お金と科学技術で成り立っているアトラクションのほとんどを夢と魔法とうたっているのだから、皮肉と言うしか他にない。
しかし、ディズニーが悪なのではない。
俺が憎んでいるのは、言うならば、無知、無関心。
ディズニー以外の楽しさや喜びを知ろうとしない好奇心の摩滅や慣れや怠惰を憎んでいる。
そして、生気の欠けた大人たちにディズニーランドに連れてこられ、それ以外の楽しみを知らない子供たちが少なくなる事を心から願う。
ディズニーランド以上の価値と愉しさを提供できないか、最近、そんな事をよく考えている。
金と欲 夢と魔法で 包みては 鼠走らし 人踊らしむ
人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光りあれ。