人生邂逅 ・まなび編 ◆体験談から -15
2005年10月 18年ぶりの仙台勤務
娘が半年間の新人研修を終え、正式な配属先である東広島に転勤するタイミングを見計らったかのように決定した仙台への異動でした。
といっても、私の方は自分から希望しての異動です。
娘は、社会人1年生としてスタート。
わたしも、18年ぶりに事業部に戻っての心機一転でのスタート。
ものづくりの現場、それも光ディスクの開発、製造部署と密接に関係する事業推進部への配属でした。
18年前まで席を置いていた事業部でもあり、もちろん顔見知った方々もおられ、いわゆる里帰りでもしたようななつかしさを感じる異動先でした。
ただ、18年間の時間の経過は大きく、技術の進歩は凄まじいものでした。
WO(追記型)からMO(光磁気)、それからDVDに、そしてBD(ブルーレイ)に。
時はまさに、BDがHD-DVDとの競争に勝利し、世に産まれ出ようとするタイミングでした。
自ら志願して戻ってはみたものの、何をするのか? 何ができるのか?
DVDの事業拡大とBDの事業立ち上げを支援、推進する部署。
開発、製造、マーケティング、営業と連携しながら、いかに売り上げと利益を追及していくか。
競合の激しい事業領域でしたので、やることは多岐にわたり、時間的にも待ったなしの課題が山積しているような状況でした。
かといって、私の経験やスキルをもってできることは何がある?
世代替わりで若手の人たちが台頭してくる時期でもあり、老兵が邪魔しないようにとの配慮も頭の片隅にはあったように思います。
開発? 製造? すでに遠い過去の経験でありとても通用しない
マーケティング? 営業? こちらも、BtoBの営業経験では通用しない
いろいろ悩んだ末にたどり着いた先は、やはり「応援団」でした。
もちろん、そんな部署などありません。
開発、製造、マーケティング、営業 それぞれが抱える課題の中で、応援団精神と私の経験・スキルでサポートが有効(?)なものに注力する。ということです。
BDラインナップ確保のためのOEM商品の導入支援。
国内外の有力カスタマーの工場見学ツアーサポート。
全国の専属販売員の方たちを招待しての研修、懇親会のサポート。
など。
もちろん、これだけがすべてだったわけではなく、定常的なルーチン業務もありはしました。
そしてもっとも応援団らしく、強烈なシーンは、
当時のソニー会長が来仙されたときのことです。
社員とのタウンミーティング終了時に、エールを切ったこと。
前日、事業本部長から指名されてのことでしたが、さすがに緊張しました。
コストカッターで名を馳せていた会長に仙台工場の重要性を理解してもらうための招待だったそうですが、仙台テックはその後も存続してきましたのでひょっとすると少しは役に立ったのかもしれません。
もちろん、真実のほどはわかりません。
「置かれた場所で咲きなさい。」 の言葉をしみじみ、かみしめています。
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