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昭和・平成ごろに面白いテレビ番組が多かったと思ったことはない。
「昭和の頃のテレビ番組はどれも面白かった」という意見をよく聞くが、昭和48年生まれの私からすると全然そんなことはない、とはっきり断言できる。
昭和から平成にかけてのテレビ番組と言えばえげつない表現の巣窟みたいなところだった。
「大勢の人間で1人を袋叩きにして周りがそれを見てゲラゲラ笑う」
「子どもが聞いても酷いと思える暴言を吐く」
「障がいや精神の病気を笑いものにする」
挙げればきりがないことがバラエティ番組を中心にドラマや報道番組でさえ行われていた。特に私は他人をひどい目に遭わせて笑いを取るのが苦手で、子どもの頃はそういう番組を見るのが苦痛ですらあった。ドリフのコントは大好きで志村けんは天才だと思うが、暴力的なコントや不謹慎なコントや食べ物を粗末にするコントは見ても笑えなかった。
痛がったり苦しんだりしている人を見て笑える理由が理解できなかった。精神的に追い詰められて不安がっている人を見て笑っている人達が怖かった。拷問や公開処刑を見て喜ぶ群衆を見ている気がした。
それに暴力的でなくても不謹慎でなくても笑えることはたくさんあった。前向きで明るい笑いのほうが安心して笑えた。
恐らくこういう意見が増えてきてコンプライアンスが問われるようになったのだろう。それ自体はとても良いことではないのか。
私はテレビをほとんど見ない。録画した特番や映画をたまに見るくらいだ。子どもの頃はずっとテレビを見て育ったが結婚してからテレビを見る時間がどんどん減った。
理由は単純だ。テレビを見なくても時間が過ごせるようになったからだ。YouTubeは自分の見たい動画を選んで好きな時に好きな場所で見られる。ゲームも手軽に出来るしマンガもアプリで読める。テレビを見る必要がなくなった。
子どもの頃は違った。時間を過ごす方法がテレビしかなかった。ゲームは長時間やっていると親に怒られた。ファミコン全盛期にゲームははっきりと悪の存在だった。そしてほとんどの家庭でテレビは娯楽の中心だったし家族で同じ番組を見ることが当たり前だった。チャンネル権という言葉はそういう事情から生まれたのだろう。何が面白くて何が流行っているかはテレビが決めていた。
つまり昭和後期から平成にかけてはテレビしか見るものがなかった。
インターネット、ゲーム、電子書籍などの娯楽とPC、スマホ、タブレットとそれを楽しむためのデバイスがこれだけ個人に普及しているのにわざわざ家族が同じテレビ番組を見る理由がない。それによって家族の会話が少なくなったと嘆く人がいるがそれも違うと思う。
私の家では私も妻もそれぞれ違うスマホやタブレットを見て時間を過ごしているが、話したくなったら何時間でも会話する。そういう状態のほうがお互いの時間を尊重することになってストレスがない。
世間の人も同じではないだろうか。メディアやデバイスが増えたらテレビだけを見る人が減るのは当然ではないのか。テレビを見る人が減ったのは時代の流れなのではないのかと思う。
しかし世間では「テレビを見る人が減ったのは番組がつまらなくなったからだ」という意見のほうが目立つ。そして必ず「今のテレビはコンプライアンスに縛られて面白くない」と続く。最終的には「昭和の頃のテレビは面白かった」という結論になることがほとんどだ。
私はこの意見に違和感しかない。昭和から平成にかけてのテレビ番組も今で言うところのコンプライアンスに配慮していないものは面白くなかった。安易な不謹慎や暴力に流されないものの方がはるかに面白かった。
確かに今のテレビ番組はつまらないものがたくさんある。テロップ・効果音・人工合成による観客の声・ワイプ・多すぎるタレントのコメント等、一度に画面に情報を多く載せすぎて頭が痛くなる。ドキュメンタリー調のバラエティ番組も1つの事実を延々と説明するのでテンポが悪い。とにかく最近のテレビ番組は全体的に情報が多すぎて無駄が多い気がする。
しかし「コンプライアンスに縛られて面白くない」と思ったことは一度もない。
「一部の臆病者がテレビを非難して面白くなくなった」という意見を聞いたことがあるが、私からすると暴力や不謹慎に頼らず面白い番組を作る努力はするべきだと思うし、それは時代に関係ないと思う。
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