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Bishkek2019 その5: ブラナの塔(ベラサグン遺跡)

ビシケクの東郊外へ足を伸ばした。途中、中国からの輸入品をコンテナハウスを積み上げた卸売り市場ドルドイバザールを越えてさらに東へ、キルギスの熱海(イシククル湖)へ行く途中のトクマクの南にカラハン朝の東の都であったベラサグン(10-13世紀に繁栄)の遺跡があり、ブラナの塔が1970年代に復元されている。

ベラサグンはソグド人が建設した都市でブラナはその西端に位置した。唐代には突厥の拠点となったが、1132年に満州系契丹族の遼に滅ぼされ、これがカラキタイ(西遼)となる。

さらに南へ数キロに、7世紀に玄奘三蔵が天山北路を通ってインドへ行ったときにこの地にあった都市スイアブ(6世紀に突厥が台頭、西突厥の本拠地、11世紀には放棄、現在のアク・ベシム遺跡)に滞在している。ここには中国風の城塞、ゾロアスター教徒の納骨堂、ネトリウス派キリスト教会や仏教寺院(唐代の砕葉城)の遺構が残っている。

バラサグン(ブラナ)とアクベシム(スイアーブ)は、2014年に「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」を構成する中国、カザフスタン、キルギスの33箇所の遺跡の一つとして世界遺産に登録されている。

今回はベラサグン遺跡だけの滞在だったが、次回はアクベシム遺跡も季節の良い時期に訪れたい、それにもう少しこのあたりの歴史を頭の中に入れてから来たいものだ。

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石人

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アラビア文字で書かれた石碑

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石に刻まれた十字架

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街の跡らしいが・・・。

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