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万里子さんと、僕(2)

恋話と万里子さん

夏は薄手のブランケット。冬は着ぐるみかと
思う様なもこもことした毛布を纏って
大体年がら年中カタツムリに擬態しているが、
今みたいな春の中途半端な季節だと、
そんな万里子さんも部屋の中で少しヨレた
ルームワンピースを1枚着て、
体育座りで僕の部屋に居る。

「どうぞ。」

「あぁ、ありがとう。」

氷を入れた水出し紅茶を入れたカップを
目線を合わせずスッと掴んで口に含んでる。

「少しずつ暖かくなってきたね。」

「もう4月半ばですからね。お菓子も
置いてるので適当に食べてくださいね。」

「あ、これ好きなやつ。」

ココナッツサブレに手を伸ばす万里子さんから
小気味の良い咀嚼音が聞こえてくる。
昼下がりの平穏なおやつの時間。
こういう時間が何気に好きだったりする。

「そういえば、こないだの可愛い子ちゃんは?」

サブレを食べ終え紅茶を飲みながらポツリと一言。
平穏は、長く続かない。
万里子さんはたまに突拍子も無い事を聞いてくる。
そして僕の返答を待たずに次の1手が来た。

「先週来てたハーフアップの子。」

「あー……、ニトの事ですね。ただの友達です。」

「好きな子だったんじゃなくて?」

「どうしてそう?」

「その時、たまたま見た君の横顔から、
そんな感じがしたから。勘だよ。
普通の友達ならさっと即答するでしょ?」

小さな、自分の中の秘密事すらこの人には
出来ない様になっているのかも知れない。

「……学生の頃ですよ?ずっと昔。」

「もう頑張らないの?」

「既に撃沈3回してますから。片思いです。
ニトとは、そういうの無いですよ。」

「逆転サヨナラホームランで、
4回目が有るかも知れないのに。」

「4回目が叶っていたとしたら、
万里子さんはここに来ないでしょ?」

「そうだね。来ないだろうねぇ。」

「ははっ。」

ニト、二戸花江(ニト ハナエ)に対して僕は昔、
確かに淡い恋を抱いてた。
そして、その度に撃沈を繰り返してきた。


「君の言う好きは私には無いけど、
君の事は変わらず好きだよ。」


困った様な笑顔でそう言う彼女の好きと、
僕の好きは相容れず、平行線のまま今日まで
来たと思っていた。
年月が経つに連れて仲の良い友人としてのニトが
好きなのだと、漸くニトが当時言っていた
【好き】と同じだと気付いた。
淡い恋を諦めたというよりは、
心の中で距離感の折り合いが付けれたのだろう。

「ねぇ、万里子さん。」

「何だい?」

「万里子さんは、恋はどうなんですか?」

教えて貰えるとは思わない。ただ、それでも
謎の多いあなたが、どんな風に恋するのか、
恋をしてきたのかを少しだけ知りたい。

少しの間の無言。
しかしよく見ると手に持つ紅茶のコップが
ほんの少し、少しだけ震えてる。

「あ、違うんです!ちょっと聞き」

「…………っっクシュン!!」

コップの中の紅茶が激しく波打つ。

「……ごめん。さっきのサブレの粉が
変な所に入っちゃって……ティッシュ貰うね。」

そう言いながら、素早く
机の上のティッシュを取って
さっと処理して何事も無かった様に
少し波打つ紅茶を飲んでいる。
僕から聞いたのに関わらず、
返答が無かった事に安堵してる自分がいた。

「落ち着いた。」

「それは良かったです。」

「で……何だっけ?恋?気になる?」

「……。」

「恋する人には、とても可愛がって貰えてたな。
優しくて暖かくて心地良かった。
きっと皆、良い人達だったんだろうね。
私は、こんなんだからその人達の望む恋を
応えられなかったけど。」

望んだ愛は誰一人応えてはくれなかったけど。と
その後にポツリと付け加えていた。

「それは、万里子さんにとっての恋ですか?」

「ううん、その人達の恋。」

「そうですか…たまに思い出したりとかします?」

「それがさ、嬉しかったって感情は
しっかり覚えててもさ、今や顔と名前が
ゴッチャになって誰が誰だか分からんのよ。」

あっけらかんと言い放ちサブレに手を伸ばしてる。
モテてきた人は、そういうモノなのだろうか?
僕には分からなかった。

「でもさ。これで良かったんだよ。」

「え?」

「恋をしていたとしたら、離れがたい人が
今居たら、今の君との他愛の無い時間が
無かったでしょう?……君の事は、君が
どこかに行っても忘れたくないなぁ。」

「行きませんよ。お目付け役ですから。」

「知ってるよ。」

そしていつもの、してやったり顔をにんまりと
浮かべてる。片方だけえくぼが出来てて可愛い。
こうして今日も僕はからかわれてる。
幾人ものお目付け役と、代わる代わるこういう
やり取りをしてきたのだろう。
そうこうしてる内に、夕方前になり朝に
ポストを見に行くのを忘れていた事に気付く。

「ちょっと郵便物取って来ますね。」

「どうぞー。」

お目付け役じゃなくても、隣人として
万里子さんとの時間を楽しみたいと思うのは
傲慢なのだろうか?とふと頭によぎった。
どこからか風が吹き、少しだけ桜の木に近付く。
ピークを過ぎた葉桜から残った花弁が舞い、
もうすぐ新緑の季節を迎えようとしている。


「鈍いなぁ……。ここまで言ってるのに。」

紅茶を飲みながら窓から桜の木を見ている
あどけない彼を見ながら、つい本音が溢れる。

「お目付け役じゃなかったら、
そもそも出会えて無かったか。」

これは万里子さんと、僕の日常の話。
これは私の優しい記憶のお話。

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