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万里子さんと、僕(1)

カレーライスと万里子さん

実家から大学までそう遠くは無かったけど
進学を期に1人暮らしをして早6年目。
始めて作ったカレーライスは散々だった。

母の手伝いで野菜の皮剥きを何度かした時に
横で見ていた筈なのに、出来たのはカレー味の
何とも言えないスープの様なモノだった。

食べれない事は無いけど、美味しく無かった。
おまけにご飯も炊き忘れるんだから、
カレーライスが成立しなくなった。
1人でワンルームの部屋で食べるのに
3日間程掛かって少しだけ寂しくなった。
あれから年月が経過して、何とか一通り出来る様に
なったけど、1人のワンルームは寂しかった。

「カレーが食べたい。」

スマホで何かを見ながら、万里子さんは呟く。
この人はいつも何かをしながら話してる。
長めのブラケットを頭から被り、カタツムリの擬態か何かの様に目元と手先だけ少し出してる。

「えらく急ですね。どんなのが良いですか?
あまり辛いの駄目でしたよね?」

「中辛なら食べれる。普通の……君の家で作ってた
カレーが食べたい。こういうのって、お家カレー
って言うのかな?」

「お家で作るカレーは全部お家カレーですよ。」

「本当に?」

「……多分。」

お家カレーの定義は僕にもよく分からない。
万里子さんが子どもの頃に食べていたカレーを
僕は知らないし、聞いてみた所で彼女はきっと
普通の、とかよくあるやつと云った返事だろう。

ワンルームのシステムキッチンは
住むほどに使いやすくなっていく。
以前不得手だった料理も少しずつ出来る様になり、
万里子さんにご飯を作る頃には
今では玉ねぎの微塵切りにも泣かなくなった。

「そうそう。昨日作ってくれた
ご飯の材料費、机に置いてるから。」

「あー……、昨日の残ってる食材で
作ったから要らないですよ。」

「じゃあ、作ってくれた事に対する対価。」

「というか、毎回思うんですけど、
お金要らないですよ。」

「駄目。こういうのはキッチリしたい。」

「……はーい。」

こだわりというか、マイルールが強いので
言い出すと引いてくれない。
それでも以前よりずっと丸くなった。

「トマトも入れるんだ。ハヤシライスみたい。」

気付くと足音も無くカタツムリに足が
生えた状態で近くに居る。

「結構合いますよ。甘いというより酸味が入る感じだと思います。」

「そういえばトマト、最近食べてなかったな。」

「冬のトマトも美味しいです。旬は夏ですけど。」

「明日もトマト食べたくなる。」

「買っときますね。」

こうしたやり取りを重ねてる晩御飯と隣人。
鶏肉も火が通ってきたので、弱火に切り替えて
椅子に腰を掛ける。

「ねぇ。」

「どうしました?」

「元々、ご飯作るの上手なの?」

「いえ、最初は本当に出来ませんでしたよ。
今でも上手か分からないけど……。」

「本当に美味しい。何作って貰っても。」

「ありがとうございます。改めて褒められると…
結構照れますね。」

「照れさせて見たかったのよ。」

「止めてください……。」

「顔赤いなー。素直か!」

少しだけ、不敵に笑う口元を覗かせてる。
万里子さんの、してやったりの顔だ。
この人は時々こうして僕をからかう。
何考えてるのか未だによく分からないけど、
始めて会った時の無機物の様な、感情が全く
読めなかった頃に比べるとよく笑う様になった。

「良い匂いがする。そろそろ食べれる?」

「そうですね。あ、ご飯も丁度炊けたので
先によそって貰っても良いですか?」

「はーい。手洗うからちょっと待って。」

ブランケットを畳んで、その上にスマホを置く。
カタツムリはゆっくりと人に変身する。
寒っ……と一言呟いて、その長い手足を伸ばす。
緩く髪を1つに結い、こちら側に来た。

「おしゃもじ、置いときますね。」

「ん、ありがと。」

流れる水の音が止まり、横からスッとお皿が来る。
蓋を開けるとよく知ってる匂いが部屋を覆う。
ちゃぶ台に二皿のカレーとお茶を置く。

「いただきます。」

「いただきます。」

口に運ぶ前に、少しだけ万里子さんの顔を見ようとすると、目が合った。スプーンが止まる。

「あんまり見ないで。食べにくい。」

「……ごめんなさい。」

正論過ぎてぐうの音も出ない。
改めて口の中に運ぶ。自分で言うのも何だけど
カレーとしては及第点で美味しい。
ただこのカレーを、万里子さんに作るのが
始めてだったので、どうなのだろうか?と。


「そんな顔しなくても、凄く美味しいよ。」


そう話す目は、カレーしか見てない。
僕より少しだけ早めにスプーンが動いてる。


……見てない筈なのに、いつ見たのだろうか?
万里子さん、ずるいな。
この人は時々何とも言えない、良い顔をする。

「おかわり有る?」

そして食べるのは、結構早い。

「よそおいますよ。」

「いいよ。自分で入れるから大丈夫。」

そう言うとサッとキッチンに向かって行った。

洗い物の音が終わり、万里子さんは再び
カタツムリに擬態してスマホを触ってる。
そして眠気と共に自分の部屋に帰る。


半径5歩程度の隣人。どんな人かはよく知らない。
たまに、ふとご飯を食べに来る人。
万里子さんも、僕の事はあまり聞かない。
というか、名前を呼んでもらった事すら無い。
覚えていない可能性の方が高いと思われる。


ただ、ワンルームの部屋でご飯を食べる事が
寂しくなくなった。何故か寂しいを抱えた時に
万里子さんはふと、チャイムを鳴らしてここに来る。
誰かが居るのが、心が緩くなる。


正体不明の冬のカタツムリが帰り支度をしてる。
眠たい時は虚ろげな目をしている。

「今日もありがとう。」

「いえいえ、また来て下さい。」

「カレー、また食べたい。」

「また作ります。」

万里子さんは、帰り際に小さく笑う。
僕は彼女の、満面の笑顔を見た事が無い。
いつか、見れるのだろうか?

これは、僕の万里子さんの日常の話。




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