夢と知りせば

思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを

日本人であれば知らない人はいないだろう、かの有名な女流歌人、小野小町の歌だ。
私は数ある和歌の中で一二を争うくらい、この歌が好きだ。初めてこの歌を知ったのは中学のときだったと思う。教科書の中からこの一文を見つけたとき、運命の相手に出会ったような心地がした。和歌と言えばうんと昔の人たちの遊戯で、今を生きている私のような子供には理解し得ない領域なのだ、と半ば偏見のように決めつけていた。それなのに、この和歌はあまりにも簡単に私の心に入ってきた。

想いながら眠りについたから、あの人が現れたのだろうか。夢だと知っていたなら、目覚めなかっただろうに。

恋というものは、恋する女というものは、いつの時代も変わらないのだと知った。15歳の少女も、はたまた平安時代の優美な貴族も、恋する相手の夢を見てしまうのは同じなのだと、私は初めて知ったのだ。

◇◇◇

中学生のとき、私は片想いをしていた。そしてその間、何度も夢に彼が現れた。ただ、なぜだかその夢は、デートをしただとか恋人になれただとかそういう類ではなくて。夢の中でも私は彼と殆ど話したことがなくて、勇気を振り絞って彼と連絡を交換してもらい、その喜びで目を覚ます、というのが毎回の流れだった。殆ど例外なくそういう夢だった。夢なのに夢がない。
多分接点が欲しかったんだろう。夢に見てしまうくらい、彼と距離を近づけることを願っていたようだ。当時私は携帯を持っていなかったから、実際に連絡を交換することは叶わなかったわけだけど、そのつらさがまたこの夢を呼び起こしたのかもしれない。
結局その彼には振られた。受験期に本格的に入っていこうかという秋頃、手紙を直接渡したものの、数日後、共通の知り合いを通して、断りの言葉が書かれた小さなメモを返された。
今思えば、直接恋文を渡すなんて、私のどこにそんな勇気があったんだろうと思う。勇気、というよりは無鉄砲と言ったほうが正しいが。

そうして振られてから、ぱったりと彼の夢を見なくなった。代わりに、一度だけ今までと違う夢を見た。
その夢には、そのとき新たに気になっていた人が出てきた。(呆れられるだろうが、この頃の私はまさに恋に恋する乙女というやつで、失恋の薬は新たな恋だったのだ)。
詳細は今となってはうろ覚えなので省くけれど、いつになくはっきりと夢を覚えていたまま目を覚ました当時の私は、ふと気になって夢診断の類を調べた。ネットの情報を寄せ集めて調べた結果が案外的を得ていて心底驚いたのを覚えている。特にそういったものを信じる質ではなかったのだけど、ちょっと見方が変わったくらい。
確か、過去の恋愛は美しい思い出になった、だとか、新しい人生を歩もうとしている、だとか、そんな感じの意味。今思い返しても結構どんぴしゃな感じだ。
夢って不思議だなあ、なんて実感した中三の秋だった。

◇◇◇

小野小町は、どんな相手を思い浮かべて夢を見たんだろう。片想いの相手なのか、それとも両想いだったのか。
古典の世界においては、誰かの夢を見たときの解釈は二種類ある。自分が相手を想っていたから現れたのだ、というものと、相手が自分を想っていたから現れたのだ、というものだ。後者は古典ならではの考え方だ。この解釈を含むなら、小野小町は想い人と想い合っていたことになるのだろう。
いずれにしても、夢だと知っていたなら…、ああ、もう少し見ていたかったのに…。なんて嘆くさまは現代の恋する乙女となんら変わりない。言葉を巧みに組み立てて歌人として名を馳せた、千年以上前の美しき才女と感情を同調できるのだから、恋とは面白いものだ。

◇◇◇

ところで今、私は恋をしている。もちろんというか、中学時代に振られた彼でもなければ、その後気になり始めたという彼でもない。
あの頃よりは私も成長しているようで、玉砕覚悟で告白するような無鉄砲さはもう持ち合わせていないし、それどころか、もはや結ばれようという願望もない。いや、全くない、と言いきれるほど達観できてはいないんだけど、ただ、それは決して叶わないことだとちゃんと理解できているだけだ。安易なことをしてその人の未来が傷つくくらいなら夢見るだけの恋でいい、と自分を納得させただけなのだ。

夢見るだけの恋でいいから、現実なんて望まないから、夢の中でくらい、もっと話せたらいいのに。あわよくばもう少し、近しい距離にいられたらいいのに。そう思うのは、ワガママなのだろうか。
ちっとも夢に出てきてくれないあの人を想いながら、今夜は眠りにつくことにしよう。

#エッセイ

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