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芸術鑑賞に苦手意識があっても、センスがなくてもいいじゃないか

一般的な芸術鑑賞と言われるものに、なんとなく苦手意識をもって生きてきた。その原因の一つになった出来事がある。


中学一年生の、ある日の音楽の授業で、クラシック音楽を聴いて、イメージした場面を絵に描くということをやった。

クラシック音楽なんて全く縁のないものだったし、絵も苦手。私にとっては最悪だったけど、授業だから仕方がない。

音楽を聴いて素直に感じたままをイメージし、絵もまあ、人が見てなんとか理解できる程度には描いたけど、その数問あった問題の全部、先生が言う正解ではなかった。

まだ中学生だった私は不正解だったことで、自分の芸術的なセンスを否定された気分だった。

その授業後、たまに一緒にトイレに行ったりするぐらいの、さほど仲良しではない隣の席の女子が私の拙い絵と全問不正解の回答をみて、追い打ちをかけるようにこう言った。

「○○って、センスないねぇ」
「私、全部合ってたよ」

彼女はこの言葉を手始めに、これはこうだからこうでしょうなどと詳しく解説してくれた。

それを聞きながら、楽器を弾いたり、絵を描いたりはできないから仕方がないけど、何かを感じ取ることさえもセンスがないなんて…と、とてもみじめな気持ちになっていた。その時のことはかなりショッキングだったので、いまだに鮮明に記憶している。

それからはっきりと苦手意識を自覚して、絵画を観る、クラシック音楽を聴く、そういう芸術鑑賞から、なんとなく距離を置くようになった。

それでも今はいい大人になったから、芸術鑑賞とは、自分が感じたことが正解で、誰かの答えに合わせることじゃないし、自分の答えを押し付けることでもないと、言い聞かせることができる。

それに、もちろん、そもそものセンスがないことは自覚している。だけど、「好きだ or 嫌いだ」、「なんとなくわかる or 全くわからない」というレベルでも、私がそう感じるなら、それも芸術鑑賞ではないか。

こんな風に開き直り的な考え方ができるようになってから、苦手意識も若干薄らぎ、一方で好奇心だけは旺盛にあるので、年に1,2度ぐらいは気になるクラシックコンサートに実際に行ってみたり、博物館一筋だったけど、美術館にもたまに行くようになった。

だけど、楽しくなかったり、よくわからなかったりすることも多かった。その原因は、圧倒的に私の勉強不足だ。何しろ、ずっと避けてきたことなのだから、知らないことだらけなのだ。

そうなると、私の得意分野、知らないことは知りたくなる性分が刺激されて、どんどん新しい知識が増えていく。もう、これは芸術鑑賞の域を超えてしまうのだが、それはそれで、問題はない。

芸術的なセンスがなくたって、私なりの方法で芸術鑑賞をして、私が楽しければ、それでいいのだから。


最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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