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【教育】「ほめ方・叱り方」がどんどん変化している今どうしたらいいか

教育に携わってから、「ほめ方」に悩み続けました。

日本人はどうしても「欠点凝視」になりがちです。
それに、「美点凝視」を意識して良い点を見つけても、その評価を言葉・行動にするのも苦手です。
しかし、それをしないと相手のモチベーションは上がりません。

どんな言葉・行動が生徒の心に届き、うれしくなったり、やる気が倍増したりするかを考えた末に、「さすが!」「すごい!」「よく理解できています!」と基本3つを使っていました。(表現方法や類義語に換えて、種類を増やしていました)

「さすが!」はすでに能力が高い生徒に。
「すごい!」は能力が格段に上がった生徒に。
「よく理解できています!」はふつうにできている生徒に。
そのほか、拍手や万歳、ガッツポーズなどを織り交ぜていました。

ただ、昨今は、ほめる意味での「頭ポンポン」でも、受け止める方は「キュン」となるか「セクハラ」になるかでは大違いです。
だから、「触らないこと」で誰も傷つきません。
これは、昔からそうであって、どちらであっても、なぜ触るのかが私には理解できません。

ところで、単に「褒めて伸ばす」だけでは子どもの成長は難しいと私は考えます。

昨今は「〇〇ハラ」を怖がって、「叱ること」に指導者がビビッているように思えます。「時代が違う」も逃げの言葉に聞こえます。

「叱ること」が「成長やモチベーション」になるか、「パワハラ」になるのかでは雲泥の差で、今はすべてがパワハラとしてしまうのが問題です。
私は、「人格」に触れるような𠮟り方、そして、「暴言・暴力」による叱り方、「地位・権力」を使った叱り方が問題であると思ってきました。

簡単に言えば、「自分の家族がそれをされて、嫌で怒りを覚えるような叱り方」を生徒にはしないということです。

「〇〇ハラ」の指摘が多くなればなるほど、「何もしないのが一番」という傍観者のような、ロボットのような教師が多くなります。
本当に、それでよいのでしょうか。

褒めるのも、叱るのも、「行為・言動」です。
そして、「ならぬものはならぬ」は今も昔も同じです。