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≒JOYの楽曲の歌詞全体についての考察

目的


本稿は、≒JOYのそれぞれの楽曲を俯瞰した際に発見される関係性について指摘するものである。
≒JOYの歌詞はすべてプロデューサーである指原莉乃が書いたものである。また、そのパート割についても指原莉乃が関与しているものとされている。
歌詞、パート割を1人が総プロデュースすることにより、楽曲間で相関性が生まれ、パート割にも意味が出るというのはごく自然なことだと思う。
これら”立体的な相関性”を認識することにより、≒JOYの楽曲をより楽しむ一助になれれば幸いである。

指摘①『≒JOY』のパート割と各メンバーのセンター曲との関連性

「それでも走りたかった」(村山結香パート)
村山結香のセンター曲『今日も君の夢を見たんだ』

「それでも走りたかった」というパートは、村山結香センター曲である『今日も君の夢を見たんだ』を連想させる。
この曲中で「走る」という単語が歌詞として出てくるのは「まだ走り足りない」「永遠に走る」のみだが、歌詞中の様々な表現から、また振付からも、走ることが大きなテーマになっている曲であると思われる。そして、走ることは、努力することの比喩表現となっていると解釈するのが自然と思われる。
『今日も君の夢を見たんだ』では、努力の人である村山結香がフィーチャーされた曲であるが、この1曲を聞いたうえで、「それでも走りたかった」という歌詞を聞くと、また格別に味わい深い。

「空が続くなら 僕らは行く」(市原愛弓パート)と市原愛弓のセンター曲『大空、ビュンと』

このパートも同様に、市原愛弓センター曲『大空、ビュンと』を連想させる。
この曲は、福岡出身の市原愛弓が夢を叶えるために上京するということが一つのテーマになっている楽曲である。
「大空、ビュンと」では最も重要な落ちサビのパートで「大切な人 今日も笑っていて 見上げた青空 繋がってる」と歌詞中にあるが、これはおそらくは故郷にいる家族を表していると考えるのが自然だろう。
それを踏まえて「空が続くなら 僕らは行く」と彼女が歌うことに意味がある。言うまでもなく、この表現からは、その空の先には故郷にいる家族がいて、夢を叶えるために家族を離れた覚悟を想起させる。
現在ハッキリと相関性があるのはこの2曲だけだが、『≒JOY』はグループにとって心臓ともなる曲であることから、今後各メンバーがセンターとなる曲が出た場合、この歌詞がハブとなって1曲できるということも考えられるということを予言しておきたい。

逢田珠里依の「丸ごと助けてあげたい」
藤沢莉子の「どうしてもここに立ちたかった」
大西葵の「時にはひどい言葉に殴られて」
このあたりは一曲作れそうなフレーズである。

指摘②『スイートシックスティーン』と『今日も君の夢を見たんだ』のバトン

「16歳ってちょっと複雑 大人は泣かないんでしょう?」(天野香乃愛パート,山野愛月パート)
「夕陽の眩しさ 涙は誤魔化せるかな」(村山結香パート)

時系列的に言えば、4thシングルが『スイートシックスティーン』で、5thシングルが『今日も君の夢を見たんだ』である。
4rdシングルのセンターは当時16歳になりたての天野香乃愛である。その彼女が「大人は泣かないんでしょう?」と言っており、そのバトンが5thシングルの村山結香(当時19歳の成人)に受け継がれるわけだが、その結果は、「見えないように誤魔化そうとしているけれど、大人も泣きます」ということなのだろう。

指摘③誰かのために尽くす山田杏佳

以下山田杏佳パート:
「誰かのため 生きてみたいなって」(≒JOY)
「誰かのため なりたかった」(大空、ビュンと)

「誰かのために生きる」という言葉は≠MEの「はにかみショート」でも出てくる指原莉乃作詞頻出キーワードの1つだが、なぜか指原Pは山田杏佳に誰かのために生きることを集中的に歌わせている。
偶然かもしれないが、多分これは多分伏線ではないかと考えている。彼女のキャラクターは今、ぶりっ子系を突き進んでいるが、多分指原Pは彼女に誰かのために生きる献身的な姿を見たのではないか。彼女のセンター楽曲があるときには、ぶりっ子系ではなく、意外にも「誰かのために生きる」ことがメインの楽曲が来る可能性があるのではないか。

指摘④:ラストアイドルを想起させる小澤愛実

以下すべて小澤愛実パート:
「何度でも」(≒JOY)
「夢見てられる環境なんて平等じゃない」(笑ってフラジール)
「最後の夢 もう1回だけ」(大空、ビュンと)
「そんな世界じゃ終わっていく」(その先はイグザルト)

これはどちらかというと、歌詞同士の結びつきというよりも、彼女自身の経歴が複数の曲で見え隠れするというものになっている。
改めて復習すると、小澤愛実は≒JOYに加入する前は”ラストアイドル”のメンバーとして活動してきた。ラストアイドルの解散後、≒JOYの通常のオーディションルートとは違い、プロデューサーのスカウトで後から加入している。これは=LOVE、≠ME、≒JOY3グループで唯一の事例である。なお、ラストアイドルというグループは毎週メンバーへの挑戦者が現れ、指名された現メンバーと挑戦者でパフォーマンス勝負し、現メンバーが負けると即メンバー交代というかなり厳しい弱肉強食のルールで動いているグループであった。

これらの背景を踏まえると、≒JOYの「何度でも」、大空、ビュンとの「最後の夢 もう一回だけ」は、アイドルとして何度でも蘇るという文脈に捉えられる。
笑ってフラジールでは、「夢見ることは自由 大人はそう言うけど」(市原愛弓)「夢見てられる環境なんて平等じゃない」(小澤愛実)という大手アイドル経験者の2人がこのパートを歌うことの意味深さ・説得力が指摘されていた。ただ、ここは私が思うにSTU48やラストアイドルの環境が言うほど悪かったのかというと結構疑問で、むしろ内情がどうであれ、少なくとも大手アイドルグループのメンバーになるという夢を叶えているのでは、と見えるなとは思う。なので、ここは当て書きだとすると個人的にはそこまでマッチしていないのでは、という評価である。

その先はイグザルトの「誰かが死に 代わりに立つ そんな世界じゃ終わっていく」というパートは、まさにラストアイドルのことを歌っているとしか思えない表現となっている。これはラストアイドルに対する強烈なアンチテーゼであり、もしこれがHIPHOPなら指原莉乃と秋元康の一大BEEFとなり、秋元康がアンサーソングを書いているくらいの騒動にはなっているはずである。(とは言ったものの、現状特にそういうことは起きていない。)なお、ここで指原莉乃がラストアイドルに対するあからさまなDis(あえてHIPHOPっぽく言う)を行っている理由はわからない。

このように小澤愛実には、明らかにその歌詞・パート割に元グループの文脈が付与されていると言えそうである。しかし、それはなぜなのか。イコノイジョイにアイドル経験者は多い。
イコノイジョイのアイドル経験者を数で考えた場合、実は≒JOYは他グループに比して明確に少ない。=LOVEでは7人(大谷、音嶋、齋藤、佐々木、諸橋、山本、佐竹)、≠MEでは6人(落合、川中子、櫻井、鈴木、谷崎、冨田)であるのに対し、≒JOYでは3名のみ(市原、小澤、村山)である。
※誤りがあったらすみません。

以上を踏まえて改めて考えた際、イコノイジョイ3グループを通してみた場合でも、特に例外的に小澤愛実に前世を匂わせる歌詞が多い理由は4点と思われる。
 ①ニアジョイにアイドル経験者が少ない点
 ②前グループが、カバーやshowroomのカラオケなどで特別な関係にある秋元グループである点
 ③オーディションでなく、プロデューサーのスカウトで入った点
 ④前グループから改名していない点

①、②までは市原愛弓も実は同じ。だからこそ、歌詞に盛り込むことまではしなかったものの、1stコンサートでSTU48の「暗闇」をカバーさせるという粋な演出があったのだろうと思う。
なお、今回はニアジョイの歌詞の中でのリンクにとどめているが、もしかするとラストアイドルの歌詞とリンクしている表現というものが出てくる・既にある可能性もあると思っている。(ただ、そこまでは調べられていない)

以上が2024年3月時点でのニアジョイの歌詞をグループ全体を通してみた際に気が付いた点である。また新曲や新たな気づきがあったら書き足していきたい。


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