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”君はスパークル”のセンターが川中子奈月心でなければならない理由

以前「”君はスパークル”がイコノイジョイ最高の作詞と思う理由」という記事を書いた。
この曲のセンターは言うまでもなく川中子奈月心であるが、私はこの曲のセンターは彼女以外ありえないと思っている。
そこで、今回は、”君はスパークル”について、前回の記事の流れを汲みつつ、なぜ川中子奈月心がセンターでなければならないのかについての理由を述べたい。

※メンバー名は原稿上、全員呼び捨てさせていただいています、ご容赦ください

前提:君はスパークルが目指す世界観に必要なもの

曲調に由来するもの

曲調については聞いたまま理解したまま、ということだと思うが、かわいいアイドルソングというよりもギターをザクザク押し出した疾走感あるシリアスなロックナンバーとなっている。
BPMは177とされており、かなり早めだが、それほど激しいロックナンバーという感じはしない。

したがって、にぎやかなアイドルソングとしてよりも、ある種、①ロックに近い形で、歌をきちんと聞かせられるパート割設定がふさわしい。

歌詞:主人公のペルソナから由来するもの

この曲の歌詞については以前述べた通りで、オタクのちょっと痛くも切実な部分を解像度高く描写しつつ、一方でそのオタクは実はアイドルとの距離が縮まらないことを理解しているというのが私の解釈である。
加えて主人公について言うならば、他の人とつるむようなオタクではなく、自分は他のファンとは違うんだということさえ思ってそうな、ちょっと暗いオタクがペルソナとして浮かぶ。
間違っても友達と仲良く連番しているタイプでもないし、ビブスを着て素直にペンライトを振るイメージはない。どちらかというとライブの開演時間ぎりぎりに私服で来て、でも気が付いてほしいからペンライトをつけて、ライブ中はコールはしないで一人で泣きながら見て、終わったらすぐに牛丼屋にでも寄って家に帰るみたいな、そんなイメージである。

この楽曲のセンターはこの主人公の代弁者たる存在であるべきという点を踏まえると、②切実さ、孤独感のような主人公の気持ちを上手く表現できる人をセンターに起用すべきである。

歌詞:「スパークル」のペルソナから由来するもの

同時に、この曲は≠MEというアイドルの楽曲である。見ているオタクにとって、歌い手はスパークルたる存在でなければならない。メタ的でわかりにくい構造だが、「アイドルに憧れる歌を歌うアイドル」は、主人公のようなペルソナを表現しつつも、同時に「オタクから憧れられるアイドル=スパークル」でありつづける必要がある。
その点この曲の「スパークル」に関してはこんな歌詞が出てくる。

きっとこんな人だ、とか
作り上げられてる
君は ずっとずっと繊細で
もっと複雑な人だから

もちろんオタク側の思い込みみたいなものがここに表現されているといえばその通りなのだが、文字通り解釈すれば、この曲の「スパークル」のペルソナは、「人からこういうキャラだよね、と言われているが、実際はもっと繊細で複雑な人」。
少し意訳すると、③「アイドルとしてのキャラクターと素の姿にギャップのある人」がペルソナ像に該当する。ゆえに、その人物をセンターにすべきであるといえる。

①~③を改めてシンプルに記載する。この曲の世界観をよりよく成立させるためには、下記3点が重要であると考える。
①歌唱力の高いメンバーを中心的に起用すること
②センターに切実さ・孤独感を上手く表現できる人物を起用すること
③センターにアイドルとしてのキャラクターと素の姿にギャップがある人物を起用すること

あてはめ:各要件を検討

①歌唱力の高いメンバーを中心的に起用すること

≠MEで歌唱力の高いメンバーと言えば、冨田、櫻井、蟹沢、川中子の4人だろう。ユニット曲「月下美人」ではこの4人が起用されており、まさに歌唱選抜となっている。

したがって、この時点でセンターはこの中の誰かであるのが自然であると考えるべきである。

②センターに切実さ・孤独感を上手く表現できる人物を起用すること

その上で考えたい。4人のうちで切実さ、孤独感を表現させたら誰がいいのだろうかと。
端的に言えば全員アイドルとしては素晴らしいスキルを持っているから、4人なら出来る、と言うのが答えにはなるだろう。とは言え、じゃあ全員!というのもどうかなとも思うので改めて考えてみたい。

ここでは、声の質に注目してみることにする。
主観的だが、陰陽の二元論で言うと、この4人はこのように分類できるのではないかと思う。

陰…川中子、冨田
陽…櫻井、蟹沢

大人っぽく、どこか重くて陰のある歌声を持つ川中子。
「歩く青春」と言われる唯一無二の個性を持つ冨田。彼女は陰とまではいわないが、華やかで明るい声というよりは、どこか切実さのある歌声で、川中子よりは中立的だが、どちらかといえば陰ではないかと感じる。

力強く明るいはっきりとした声を持つ櫻井は間違いなく陽だろう。一方で、自在の表現力を持つ蟹沢は、どちらも行けるタイプだとは思うが、声に艶があり、どちらかといえばやや華やかなタイプ、つまり陽であるように思える。

そして、その前提で考えた場合、この曲に相応しいのは「陰」であろう。
よって、この時点で川中子、冨田が最も候補としては強い。

③センターにアイドルとしてのキャラクターと素の姿にギャップがある人物を起用すること

最後に考えたいのはキャラクターである。無論誰もがアイドルを演じている面があることは否定できない。

ただ、最も二面性があると考えられるのは川中子ではないかと私は考える。
他3名に表裏がないとか、二面性がないと言いたいわけではない。ただ、バラエティではダジャレを言いながらも、ファンクラブのブログではネガティブな一面を吐き出す川中子の姿は、両極端である。今回の休業の件があり、改めていろいろな人がブログを目にして「こんな一面があったのか」と気が付いているというのは記憶に新しい事実である。そして、推していた人にはそれが当たり前の事実だと認識されていた点も、この曲の歌詞に類似している。

一貫してアイドルを演じる”プロ”櫻井にももちろん二面性はあるだろう。しかし、彼女はそれを見せることを良しとはしない。
歩く青春こと冨田にももちろん二面性はあるだろう。ただ、彼女の場合はステージとそれ以外のギャップという点で二面性が完成されつくしている。つまり、どちらも冨田のキャラクターだと認識されているように感じる。
自在の表現力を持つリーダー蟹沢にももちろん二面性がある。しかし彼女はそもそも複雑そうに見え、二面というよりも底が見えないというような感じがある。誰も「理解した」と彼女を思わないのではないだろうか。

総括

以上、①、②、③の要件を検討した結果、やはり、「君はスパークル」のセンターは川中子しかあり得ないのではないか。
彼女は「自分がこの曲のセンターでいいのだろうか」と悩んでいたようだが、逆説的にも、それ自体が彼女がセンターに適任であるという一つの証拠になっていると言えてしまうのである。

この曲のセンターやパート割を決めるときに、このように論理的に検討されたかはわからない。だが、おそらく運営側が頭の中で検討したのは上記のようなことで、それがふわっとしたイメージがあったのではないか、私はそのように考えている。

実際の采配

では、実際にこの曲に対して行われたのはどのような采配だったのだろうか。センターは言うまでもなく川中子だが、それ以外の要素について見てみたい。

下記が秒数ベースのパート割の割合のグラフである。これだけだとなかなかわかりにくいと思うので、イコノイジョイのその他の楽曲のパート割と比較して考えてみたい。(手作業で集計したので微妙なズレはあると思うが、概ね下記の数字である)

君はスパークルにおけるパート割(秒数)

参考:他の曲の割合(TikTokより抜粋、消えてしまってリンクがない)

特徴①:歌唱メンバー4名の比率が非常に大きい

特徴の1つは、明らかに歌唱メンバーにパートを寄せているという点である。
先程も述べた通り、≠MEの歌唱メンバーは冨田菜々風、蟹沢萌子、櫻井もも、川中子奈月心の4人であることは異論はないと思われる。この楽曲はなんとの4名で約75%もの割合を占めている。これは様々な楽曲を見たときにもかなり特異な数字である。

特徴②:歌唱メンバーの中でも、川中子、冨田の比率が大きい

上記4名を中心に楽曲は進行するが、その中でもパート割に偏りがある。
先程の陰陽で言えば、陰に分類される歌声を持つと私が考えている川中子、冨田の割合が多めで、陽に分類される櫻井と蟹沢のパート割が4人の中では少な目なのはまさに声の質を意識した采配なのではないかと考える。

特徴③:センターの比率が極めて大きい

「アンチコンフィチュール」、「ラストチャンス、ラストダンス」のように冨田が圧倒的存在感を示す楽曲でさえ、パーセントで見ると彼女のパート割は3割にも満たない。その点、この41%という数字は圧倒的である。
この曲においては、センターの比重を大きくすることで楽曲の色を明確にしたかったものと思われる。
そして同時に、センターの負担はそれだけ大きくなる。

総括

このように見て行くと、私が上記で言っていることもそれほど妙なことでもない、と言えるのではないか。
もちろん私もこの曲を聞いた時には、もうセンターもパート割も全部決まっている。後付けの理屈だよね、と言われればそれまで。
だが、こう見るとやはり、この曲はノイミーの中でも特異。特別な何かを表現したかった曲なのではないか、それだけ重要な曲だったのではないか、ということはなんとなくわかる。

あとがき

この原稿を書き始めたのは、川中子の休養が発表された数日後だった。何かしたいと思ったのも事実だが、それよりも、この曲に特異な采配がされていること、そしてその采配を理想通り実現できるのはセンターの川中子しかいないということがどうしても言いたかったのが、この原稿を書き始めたきっかけだった。

書いているうちに筆が止まったり別の原稿が進んだりしているうちに時が経ち、彼女は無事復活して、ツアーに間に合った。

私もノイミーのツアーの鹿児島公演にも行き、いろんなことがあった。

無事に戻ってきた彼女を前にこの原稿をどうしようかとも考えた。ただ、改めて読んだ時、まぁそうだよね、と自分で納得してしまったので、やはり完成させることにした。そして、何より、推しメンではないにしても、僕は川中子奈月心という人が好きだから、最後まで書きたいと思った。

彼女が休んだ本当の理由はよくわからない。ただ、リーダーのツイートから推測するに、もしかしたら心無い言葉に傷ついたこともあったのかもしれない。

この世に人間がいる限り誹謗中傷は無くならないだろう。身体はトレーニングで強くなるが、心は強くなるのだろうか。千回褒められてもたった一つの誹謗中傷で人の心というものは簡単に壊れるものだと思う。
でも、だからこそ私は千一回目を積み重ねたいと思う。
流れに逆らってボートを漕ぎ進めるように。それがオタクだから。

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