見出し画像

ガチ恋、オタ卒、結婚した元オタクが今思うこと(アイドルオタク人生録 vol.3)

「一杯作ってからまたご注文に伺います」
 白いジャケットを着たマスターはそう言って、我々のテーブルにおしぼりを置いてバーカウンターへ戻った。

 暗い店内に、カウンターは6席ほど。
 常連と思われる女性が3人。2人が楽しそうに談笑し、ひと席開けて、端に座った1人は、ゆっくりと葉巻をくゆらせていた。
 我々はその後ろのテーブル席で、2人で並んで座っていた。

 私たちは港区の地下の、とあるバーにいた。
 ゴールデンウィークの中日。5月2日。時刻は19時30分頃。
 彼も、私も、仕事終わりだった。

 彼と会うのは6年ぶりだった。なぜなら、彼は本当にオタクを辞めていたからだ。
 まさに、オタクの歴史から消えてしまいそうな彼だからこそ、話を聞きたいと思った。

 近くのビルのコンビニの前で落ち合った彼は、黒いパンツに白いシャツを着ていた。久しぶりに会った彼は、大きく太ったりも痩せたりもせず、当時の見た目のまま、そのまま年を取っているという印象だった。相変わらずの感じの良さはそのままで、優しい笑顔が似合う人だった。
 
 彼の左手の薬指には指輪が光っていた。

「あっ…かわもとさん、結婚したんですね」
「ああ、そうなんですよ」
「おめでとうございます。僕も結婚しました」
 私も左手の指輪を見せる。
「おめでとうございます。お互い6年もあると…いろいろありますね」
「本当に…そうですね」
「お子さんはいるんですか?」
 なんとなく根拠はあったので、直接聞いてみた。

「いますよ。半年前ぐらいに生まれました」
「おお、おめでとうございます。本当に6年っていろいろありますね…」

「お待たせしました。ご注文はいかがでしょうか?」
 このバーにメニューはなかった。

「ジントニックをお願いします」と、私。
「ハイボールを・・・何か、飲みやすいものでお願いします」と、彼。
「では、スコッチでお作りしますね」と、マスター。
「はい、お願いします」と彼は言い、マスターはカウンターへ戻っていった。

「今日はありがとうございます。かわもとさんにお伺いしたいことはいっぱいあるんですけど、まず、このインタビューシリーズで本当にオタクを辞めた人っていうのは珍しいんですよ。なので、まずはその辺を聞いてみたいです」
「オタクは・・・そうですね、2018年の2月以降、アイドルには行ってないですね。別に辞めるって決めたわけではないんですが、自然に行かなくなりました」
「あと聞きたいのは・・・アイドルにガチ恋していたんじゃないかっていう話です」
「あー、してましたねー」


「お待たせしました。ジントニックと、ジョニーウォーカーのダブルブラックです」

 私たちはグラスを合わせて、飲み始めた。

生い立ち~モノノフになるまで

 彼は1990年7月12日、神奈川県で生まれた。4つ上に姉がいたため、2人目の子供だった。

 両親の話を聞いたところ、70歳を超えた父親が上場企業の役員クラスまで上り詰めているとのことだった。最近、ものすごく大きな金額をふるさと納税していたそうだ。彼もはっきりと年収を聞いたわけではないが、その納税額から逆算するに、数千万円は稼いでいるのではないか、とのことだった。

 とはいっても、彼が大学生になり、成人したころからの話らしく、それまではとりわけ特に裕福というわけではなかったようだ。

 特に変わったところはなかった学生時代だったと彼は語るが、一つ、特筆すべき点としては、中学受験をすることを自分の意思で決めたという点だ。
 何故中学受験をすることになったのかを尋ねた。 
 "私は札幌出身だから中学受験する文化が周りにないのでわからないが、首都圏では当たり前なのだろうか?"と。

 すると、このような答えが返ってきた。
「姉に多額の教育費がかかってて、自分に同じだけのお金がかけられていない気がしていて嫌だったからなんですよ。なんか、変な話ですけど・・・」

 彼の姉は知的障がい者であった。
 なんとか普通学級で、という両親の配慮もあり、成人までは特殊学級等ではなく普通学級で過ごしたようだが、四則演算ができないなど、彼から見ると明らかに知的障がいだったという。彼女が成人後、知的障がい者であると認定されたということであるが、その姉には多額な教育費がかかっていた。

 彼が入った中高一貫の私立は、いわゆる名門と呼ばれる学校だった。「大学の進学先で慶應(義塾大学)だと、下の方って感じなんですよ」

「270番中230人ぐらいだったんです。もう全然ついて行けなくて。勉強する習慣というものがもともとないので」
「わかります、授業聞くだけでついて行けるものとかなら良いんですけどね。僕も政経とかは何もやらなくてもできたんですけど、理科系は全然ダメで」
「そうですね、僕も理科系全然ダメでした。でも数学は得意科目でしたね」
「数学か。凄いですね」
「でも得意になった理由がしょうもないですよ。追試ばっかり受けてたら、それが反復練習になって、どんどん解けるようになった、っていう」
「それはすごいっすね。でも、追試してるうちに解けるようになるんだから才能ですよ」
「そうですかねえ。あと英語が苦手でした」

「中高の学生時代は、主に何をしていたんですか?部活とかですか?」
「そう、部活ですね。ハンドボール部をやっていました。ものすごく忙しい部活で、一生懸命やっていましたね。夏休みとかも、40日あったら休みが4,5日ぐらいしかないんですよ」

 その後、彼は一年浪人し、慶応義塾大学の文学部に合格することになる。
「英語が本当ダメだったんです。だから、なんとか、って受けたのが慶應の文学部でした」
「3科目でしたっけ」
「そう、小論と、英語と、世界史で受けたんです」

「大学では、サークルとか入ってたんですか?」
「いや、入ってなかったですね。ゼミで史学をやっていたんですけど、ゼミで、発掘調査とかすることがあるんです。それで、そのゼミがほぼサークルみたいな感じでしたね」
「ああ、なるほど」
「そう、そこでオタクになるんですよ。ゼミの人にももクロをめっちゃ勧められたんです。あと当時、まあ今もですが、僕はお笑いが好きで。特にバナナマンが好きだったんですけど、当時、バナナマンも、ももクロをすごくプッシュしてたんです。それで、全然違う方向から同時にももクロをおすすめされて、じゃあ見てみるかってなりましたね。あと、百田夏菜子の誕生日が僕と一緒なので、それもあって興味を持つようになりました」
「時系列的には、大学3年なので2012年ですよね」
「ん-と、はい、そうですね。で、どんどんハマって行って、よし、ライブっていうものに行ってみよう、ってなったんです」
「なるほど。それまで他のバンドとかでライブに行ったことはなかったんですか?」
「なかったですね。初めてのライブでした」
「なんのライブに行ったんですか?」
「男祭りです」
 男祭りとは、ももクロの男子限定ライブのことである。2012年11月に武道館で行われていた。
「ちなみに誕生日の話がありましたけど、百田夏菜子と誕生日が一緒なのに玉井詩織を推したんですね」
「そうなんですよね。センターとかリーダーとかキラキラしてるタイプより、ちょっとそこからは外れた人のほうが好きなんですよ。自分がリーダーってタイプじゃないんで」
「なるほど。玉井詩織ってコミュニケーション上手みたいな、サポーター的な役割でしたよね」
「そうですね」
「ライブはどうだったんですか?」
「まあ、正直DVDで見るのとはちょっと違うな、という印象でした。楽しかった・・・のか・・・?どうなんだろう?みたいな」
「まあ、確かにいろいろ違いますもんね」

「こっち見てる~」私立恵比寿中学 真山りかとの出会い

「それで、ももクロの男祭りと同じ月かな、代々木公園でエビ中のフリーライブがあったんです。これも行ってみようって。そしたら、それがめちゃくちゃ楽しかったんです」
「なるほど。そのときから真山(りか)推しだったんですか?」
 私と彼が知り合ったのは互いにエビ中の真山推しとしてである。
「そうですね」
「どうして真山を推そうと思ったんですか?」
「あの子こっち見てる~って」
「えっ、そんな理由だったんすか」
「そうですね、あの子こっち見てる~って」
「ははは、そういうはじまりですか」

「それで、自分にはエビ中だ、っていう感じになったんですよね。やっぱ、ももクロの武道館とかって、流石に3階席とかだと、目が合ったとか、こっち見てるって感覚はないじゃないですか。でもエビ中の規模だと、あぁ自分を見てるなみたいなのってあると思うんですよ」
「ありますね。距離感は全然違いましたね」
「それで、エビ中にどんどんハマって行きました」
「なるほど」

「で、2013年も通って、SSA(さいたまスーパーアリーナ)でエビ中がライブするんですけど、これがもう、ものすごい楽しかったんですよ」
「2013年のSSAは伝説って言いますよね」
「そう、本当に楽しかったです」
 私立恵比寿中学はメジャーデビュー後1年7か月という史上最速でさいたまスーパーアリーナ公演を実現させた。
 これは、「ももクロの妹分」であることの追い風が多分に吹いていた影響はあるだろう。

 しかし、当時に通っていた人たちからすれば、エビ中のベストライブは2013年のSSAだ、と言う人も多いくらいの、凄まじい熱量とクオリティを伴った素晴らしいライブだったようだ。
 ももクロのブーストがあっての公演だったのは事実そうだとは思うが、内容はSSAという巨大な会場に見合うだけの最高のライブだったようだ。

「ちなみに当時ってCDどのくらい買ってました?」
「全然。1回に2,3枚ぐらいですよ」
「知り合いは結構いました?」
「2013年ぐらいから、知り合いが少しずつ増えてきた感じですね。もともとは大学の先輩と一緒に見に行ってたのがスタートなんですけど」

「ちなみに、かわもとさん、2014年のかほりこ(小林歌穂、中山莉子)の加入のとき、めっちゃ理事長(スターダストのアイドル部門のトップ)に嚙みついてましたよね」
「そうでしたっけ?」
「はい、Twitterで、理事長にめっちゃ噛みついてる人がいるな、って、それで僕はかわもとさんを知ったんです」
「マジすか、でも言われてみれば・・・」
「確か、メンバー2人に罪があるわけではもちろんないけど、どうして6人のエビ中で勝負しなかったんだ、みたいなことを書いていたような」
「ああ…思い出しました。9人のエビ中でやったSSAのライブが本当に素晴らしくて、この9人なら行けるって思ったんですよ。でも、12月の末に3人辞めるって出て、しばらくは、喪に服しているような、そういう期間があったんですよね。でも、1月にすぐかほりこの加入が発表されて、いくらなんでも早すぎるだろ、と」
「ああ、なるほど」
「それで、6人をどうして信じてあげられなかったんだ、みたいな、そんなことを書いていた気がします。それにしても、そんなに目立ってましたか」
「うーん、目立っていたかはわからないですけど、当時の僕は、ももクロが基準だったんで。ももクロのオタクって、運営に文句言う人ってあんまりいないし、いたら目立つし叩かれてたんですよ。だから余計にその批判している人が珍しく見えたというのはありますね。僕の仲間内では、理事長にリプしてるとがってる人がいるなあ、って話題になってました」
「えー。そうなんですね。エビ中は結構オタクが運営批判しますからね」
「今もそれは変わってないです」

「で、バタフライエフェクト(2014年6月発売のシングル)くらいから現場も6割ぐらい(地方等を含めて)は行くようになって、CDも結構積むようになりました。20~30枚ぐらいですね」
「枚数増えましたね。何があったんですか?」
「社会人になったことでお金を得たのはあると思います。初任給でCD買うみたいな」
「当時実家ですか?」
「はい、実家暮らしでした」

「その辺から現場でも知り合いがかなり増えていきました。積むことで交友関係が広がったんですよね」
「なるほど、僕たちが出会ったのもその前後ですね」
「そうでしたっけ」
「僕たちが初めて話したのって、ハイタテキ!(2014年11月発売のシングル)のフリーライブです。秋田で話したのが僕たちの初対面の場所なんですよ。2014年9月ですね。かわもとさんと初めて会ったとき、思った以上に感じの良い人でびっくりしました」
「ははは、それはなんだか、ありがとうございます」
「Twitterで理事長に噛みついてるイメージがあって、気難しいタイプに見えたんですよね。でも会ってみたらすごく話しやすくて良い人でした」

 その後、私たちは現場で会うと挨拶を交わすようになり、時にはライブ後、一緒に飲みに行ったりという仲になった。

 今でも覚えているのが、私立恵比寿中学の2015年5月9日の春ツアーの札幌公演だ。

 当時のエビ中は推しジャン(推しメンのパートで連続してジャンプすること)が許されていた。というか、推しジャンは、基本的に多く通っているオタクの中ではメインの楽しみ方だった。

 彼は、そこでジャンプに失敗したのか、アキレス腱を切った。(なお、余談だが別の公演で剥離骨折したオタクも、知り合いにいる)

 まさかアキレス腱を切ったとは思わない彼は、公演後、足を引きずりながら私と、私の知り合いのオタクと札幌駅前の居酒屋まで歩き、酒を飲んだ。そして翌日に病院へ行き、アキレス腱が切れていることが発覚した、という話である。

「夏だぜジョニー(2015年6月発売のシングル)は、あんまり積んでない気がします。アキレス腱切れてたのがあって」
「いや、そうかな。言うて結構積んでたと思いますよ。僕たち、一緒に名古屋まで握手するためだけに行ってるんで」
 2015年7月11日、夏だぜジョニーの個別握手会。彼の家の車で、彼の運転で、私たち2人は、名古屋へ向かっていた。

「僕たち、連番したの覚えてます?かわもとさんが7月12日生まれで、僕が7月13日生まれだから、真山レーンで連続して祝ってもらおうって連番したんですよ。そうしたら、かわもとさんが(握手に)入った後、車いすの人がきて、連番が途切れたんですよね、全然車いすの人が悪いとかじゃないんですけど、マジか!ってなりましたよね」
「ああー」

「ちなみにかわもとさんにルネ(アイドルネッサンス)を布教したのって、実は最初は僕なんですよ」
「ファミえん(エビ中の夏の恒例の野外ライブ)かなんかに向かうの車の中でしたっけ?」
「この握手会の名古屋に行く車の中ですね。あの時、道中、すごく綺麗に晴れていたんですよ。名古屋。それで、僕がアイドルネッサンスの『YOU』とかを流したらものすごく情景にあっていて、二人で、これは良すぎるってなったんですよね」
「なんか覚えてるかも。めっちゃ綺麗だったことは覚えてます」
「でも、そこからすぐにルネにハマってガッツリ通うっていうことにはならなかったわけですか」
「すぐには、ならなかったですね」

アイドルネッサンスは「ほぼ全部」行った

「アイドルネッサンスに通うきっかけは何だったんですか?」
「エビ中のオタクの知り合いが、恵比寿のライブのチケットを持ってて、無料でいいから来い、って言ってくれたんです。それでライブ見たらものすごく良くて、そこから、定期公演とか毎週行くようになって、って感じです。ちなみに、珍しいと思うんですけど、多分そこからアイドルネッサンスが解散するまでほぼ全部のイベント行ってますね
「ん、ほぼ全部、ってどういうことですか?結構ほぼ全部の定義が人によって違う気がするんですが」
「多分年間150とかイベントあると思うんで、ざっくり概算したら(アイドルネッサンスのオタクになってから解散するまで)400ぐらいイベントがあるとして、10ぐらいしか行かなかった日はないと思いますね」
「すごいですね」
「多分地方組のメンバーより現場行ってます」

 アイドルネッサンスには地方に住んでいるメンバーがいた。そのせいで、たまにイベントを欠席するメンバーがいたのだ。彼が言っているのは、そうしたメンバーよりも自分が現場に行っていたという話である。

「そっからはルネ(アイドルネッサンス)一色って感じですか」
「ですね。決定的だったのはFunny Bunny(2015年12月発売のシングル)ですね。エビ中のスーパーヒーロー(2015年10月発売)って曲がほんと好きで、スーパーヒーローは100枚以上買ってました。でも、Funny Bunnyはそれを上回ってきたんですよ。お互いの最高の楽曲だと思うので、名曲同士の頂上決戦でルネが(自分の中では)上回ったというのは大きかったですね」
「両方とも僕も大好きな曲ですね。Funny Bunnyって12月発売でしたっけ?」
「そのくらいに発売されたシングルだと思います。ただ、その前からライブでは歌われてたんですよ。当時、秋頃はなんかミュージックカードみたいな、ダウンロードできるやつを売っていたんですけど、まあ、って楽曲だったんです。それが、Funny Bunnyになったわけですよね」

「ルネのリリイベ(リリースイベント)って、どんな感じでしたっけ?個別の接触はないんですよね?」
「はい、接触(触れることそれ自体)禁止でした。なので、握手ではなく、お見送り会っていって、全員と話すんですよ」
「どのくらい話せるんですか?会話できるくらい長いんですか?」
「会話2,3往復ぐらいはできましたよ」
「最初は石野(理子)を推したんでしたっけ?」
「そうですね。僕にしては珍しく、唯一顔で選んだ推しですね」

「思ったんですけど、かわもとさんって真山を推したきっかけって"こっち見てる"だったわけですよね」
「はい、そうですね」
「こっち見てる、だけで100枚CD買ったり遠征できるもんなんですか」
「んー、そうですね。そこにあんまり疑問はなかったですね」
「何故ですかね?」
「続けるタイプだからかもしれないです。ハンドボール部も、ずっと補欠だったし、怪我もたくさんして試合出られなかったことも多かったんです。それでも続けたんですよ。だから、続けるのが当たり前というか、そこに疑問を持ったことすらなかったです」
「なるほど」

「で、石野を推したんですけど、石野は本当に対応が悪かったんですよ、圧倒的塩(対応)でした」
塩対応の話をしても彼は笑顔だった。
「ああ、有名でしたよね、彼女の塩対応は」
「そう、それでもずっと推してましたけど」
「かわもとさんだけっていうか、全員に塩ってイメージでしたね。なんでなんでしょう?」
「年頃だからじゃないですか」
「いや、そしたらその辺のアイドル全部年頃じゃないですか」
「はっはっは、それはそうかも。今だったら流石に普通に対応してくれる気はしますね」

「じゃあ、原田珠々華に推し変したのは、別に石野の対応が悪かったからじゃない、と」
「そうです」
「どうして推し変したのか聞かせてもらっても良いですか?」

 私たちは2杯目をオーダーした。私はマンハッタンを、彼は同じ銘柄のハイボールをオーダーした。
 互いの飲むペースは同じだった。
 というよりも、彼がなんとなく私のペースに合わせてくれているような、そんな気がした。

グループ内推し変した、あの夏

 2016年6月11日に、アイドルネッサンスに2人のメンバーが追加された。野本ゆめか、原田珠々華の2人だ。当時、原田珠々華は13歳だった。
 なお、同時に、AISというアイドルネッサンス候補生を中心とした妹グループが結成された。こちらには、後に原田珠々華と同じグループになる栗原舞優がいた。

「当時ルネにはエビ中のオタクが大量に流入していました。なので、僕もそのオタクと一緒に行動を共にしてたんです」
「2015年ぐらいって、エビ中のオタク、だいたいBiSH、夢アド、虹コン、アイドルネッサンス、ベボガのどれかにみんな行ってましたよね」
「そう、僕も夢アドとか行ったりしてみたんですけど、元気な曲じゃないですか、ベボガとか夢アドって。そっちよりもルネが刺さったんですよね」
「なるほど。当時ルネに通ってたエビ中のオタクって、ものすごくルネの現場でも目立ってて存在感があったと聞いてます」

 当時、アイドルネッサンスには私の知り合いで、エビ中出身以外のオタクがいた。
 彼から見ると、当時、エビ中出身の集団はとても目立ち、”軍団”と呼ばれていたそうだ。
「かわもとさんはその中の一員だったんですよね」
「そうですね、全部でその集団は20人から30人ぐらいいたと思うんですけど、やっぱ濃淡があると思ってて。だいたい中心的な人が10人ぐらいいたんですが、僕はそのうちの一人でした。その中では、かなり年下の方でした」

「原田珠々華がグループに入った時には推し変してないんですよね?」
「はい、そうですね」
「ではどうして」
「めちゃくちゃ推されたからです」
「おっ、どういうことですか」
「夏の間中、笑っちゃうくらいレスが来たんです」

ルネの現場基本ほとんど行ってたんですけど、ほとんどレスポイントで僕にレスが来るんですよ。それこそ7割とかレス来るんです
「7割??」
「はい。指差しポイントとか、そういうところはほとんど僕に来るんです。ほんと笑っちゃうくらいレスが来るんです」
「なんでですかね?」
「わかんないですけど、まぁ僕が良さそうに見えたのか」
「なんか、好みだったんですかね・・・」
「わかんないですね」

「他にオタクいなかったんですか?だってかわもとさんは石野推しですよね?」
「原田推しは、やっぱ入ったばっかりってのもあって少なかったし、僕みたいにたくさん来てる人が良かったのかもしれないです」
「もしかしたら例の"軍団"の中で釣れそうって思ったんですかね」
「どうでしょうね。でも段々申し訳なくなってくるんですよ。レスは来るけど僕は石野推しですから」

「でも推し変しなかったんですね」
「はい、夏の間はずっと石野推しでしたね。」
「原田はなんて言ってたんですか?」
「なんで自分を推してくれないんだ、こんなにしてるのにって感じでした」

「いつ推し変したんですか?」
2016年の夏のツアーのファイナルライブの後です。ライブを見て、それがあまりにも最高だったんです。これほど、夏の間、楽しませてくれたんだから、正式に推そうって決めたんです
「どんな風に、なんて言って伝えたんですか」
「あんまり覚えてないですけど、推しますって普通に言った気がしますね」
「相手はどんな反応でした?」
「あんまり覚えてないです。でも、泣いたりとかそういうのはなかった気がします。たぶん、普通かなと」
「推し変された石野はどういう反応だったんですか」
「なんか、後から『どういうことですか』みたいな感じでちょっと機嫌悪そうで。そういう面を推し変した後に見せられても、っていう」


「そこから、2018年2月にアイドルネッサンスが解散するまで、ずっとガチ恋みたいな感じですか」
「そうですね、ガチ恋してましたね・・・。でも、推してからは前ほどはレスが来なくなって、ちょっと僕が病んだりっていうのはありました。関係は悪化とまでは言わないですけど」
「喧嘩したりしたんですか?」
「いや、そこまでじゃないけど…一回ミスコンかなんかのことツイートしてたら怒られました」
「他の子を見るな!ってことですかね」
「まあ大体そうですね」

2018.2.24 アイドルネッサンス解散

 アイドルネッサンスは、2018年1月20日、突然公式に解散発表がなされ、2018年2月24日に解散ライブを行いグループとしての幕を閉じた。

「ルネの解散って発表は突然だったと思うんですけど、かわもとさんは、その前から『もっとステージを見ていたい』みたいなことをツイートしていて、まるで解散することを知っているかのような印象を受けるんですが、どうしてなんですか。知っていたんですか?」
はい。やっぱり近い現場なので(解散に関して)漏れ伝わってくるものはありました。あと、仲間内のみんながメンバーと仲良くなりすぎて、メンバーも結構ファンに裏話みたいなものをポロポロ話していたりしたんです。あとは、見ているだけでも、雰囲気とか含めて、いろいろわかりましたね」
「なるほど。結局、ルネってなんで解散したんですか?」
あれは、メンバーの不仲ですね
「そうなんですか」
「もともとリーダーの橋本佳奈ちゃんっていう子がいてそれで上手く取り持っていたグループだったみたいなんですけど、彼女が抜けて、原田と野本が入って、うまく行かなくなってしまったみたいです。もともといた6人対新しく入った2人、みたいな人間関係になってしまったというか。見てたら露骨にわかりましたよ」
「ああ、そうなんですね」
 注意書きさせていただくが、もちろん、これはあくまで個人の見解である。

「なので、仲間内で通い詰めてるメンバーはなんとなく近いうちに解散するって思ってたし、驚きはなかったです。っていうか、仲間内ではむしろ解散したほうが良いって言ってる人が多かったんです」
「それは、なぜですか?」
「売り方が下手すぎるというか、運営のムーブが全然ダメって感想を持っていた人が多くて、アイドルの貴重な青春時代をこんなのに使っちゃダメだ、っていう声があったんです。だから解散発表がでて、むしろ良かったっていう空気でした」
「なるほど、でもかわもとさんは、解散はしてほしくなかったと」
「そうですね、個人的には」

「解散ライブのあとはどうしたんですか?」
「みんなで飲みに行きましたね」
「どんな雰囲気だったんですか?みんな泣いてるとか」
「いや、普通の飲み会でしたよ。最後まで見届けたなあ、っていう感じはありましたけど」
「かわもとさんはどんな気持ちで参加したんですか?」
「その時は普通に飲み会は飲み会として楽しんでました」
「切り替えて楽しむって感じだったんですね。でも、確か僕の記憶だと、最寄り駅に帰った後に泣いて動けなくなったっていう話があった気がします」
「ああ、あったかもしれないです、あんまり覚えてないですけど」
「知り合いのオタクに電話したんじゃなかったですか?」
「そうですね、慰めてもらったのかもしれないです」
「何話したか覚えてます?」
「いや、ほとんど覚えてないです」

絵馬に記したメンバーと同じ願い

「ルネが解散して、そこから1か月ぐらいはもう上の空でした」
「みたいですね。ガチ恋でしたもんね」
「ですね。ガチ恋でした」
「ガチ恋でなんかエピソードってあります?ラブレター送ったとか」
「手紙はめっちゃ書いてましたね」
「どのくらいですか?」
「月1回は出してましたね。これはエビ中の時からそうでしたけど、手紙はよく書くんです。文学部なんで」
「ははは、文学部って言っても、史学専攻じゃないですか」

「かわもとさんの昔のツイート見ると、解散の日前後に、『みんなに向けた言葉じゃなくて、自分だけに向けた言葉が欲しかった』ってことが書かれてたんですけど、どういうことですか」
「解散ライブは接触がなかったんです。というか、解散の数ヶ月前くらいは、ルネの接触が激減してました。いろいろあったんでしょうね」

原田珠々華とは何者だったのか

 解散後、彼の推しメン、原田珠々華はソロアーティストとして活動を始めることになる。

「とにかく、アイドルになってほしくなかったので、アーティスト活動を始めたときはほっとしました」
「どうしてアイドルになってほしくなかったんですか?」
「うーん、集団行動に向いてない子だと思ったんですよね。グループ内部での人間関係がうまく行かなかったのは、彼女の性格にも少し原因があるかなと思ってはいたので」
「どういうことですか?」
「ステージを見ていたらわかるんですけど、例えば、ある曲でバキュン、みたいな、レスポイントになるな、っていう歌詞があったんですよ。その時に、わざわざ彼女、僕の前に歩いて移動してきてレスしたんですよ」
「ああ、対角線にレスするとかじゃなくて目の前に歩いてきて、わざわざレスしたと。すごいですね」
「そう、そういうところも、一体となってステージを作り上げてきている他のメンバーからすると許せないって思ったんじゃないかなって」
「フォーメーションとかもあるし、グループ全体でパフォーマンスしてますもんね。あんまりそういう感じだと確かに他のメンバーは良く思わないでしょうね」
「うん、そうですね」
「あと僕は石野推しだったのに、僕にレスしまくって最終的に推し変させてるんで、他のメンバーからすると略奪みたいに見えたかもしれないですよね」
「確かに、そうでしょうね」

「原田珠々華って、どんな子でした?どういうところに惹かれたんですか?」
感情を吐露するのが上手い子でした。ブログの文章とかすごく上手いんです。自分の感情を伝える能力がすごく高い子でしたね
「結構心が弱いところもある子だと思うんですけど、それで守ってあげないとみたいに燃えた部分はあるんですか?」
「そうですね・・・彼女はちょっとかまってちゃんというか・・・そういうところがありました。なので、加入当初は仲間内では結構いじられてたんですよ」
「どういう感じですか?」
「めっちゃ手を振ったりすると喜んでレスをくれたりとか、そういう感じで。すごく悪い言い方をすると、それでちょっと、みんながおもちゃにしてたところはあるかもしれないです」
「なるほど」
「で、向こうにもそれが伝わっちゃったところもあって、彼女、すごく落ち込んでたんです。それで、励まそうって手紙書いたんですよね」
「石野推しの時にですよね?」
「そうです。ていうか推されてた理由それだ。3人ぐらい釣り対象みたいな人はいたんですけど、僕が徹底的にレスもらったのは、手紙だ」
「それは間違いない気がしますね。加入当初はファンも少なかったんですよね?下手するとかわもとさんのお手紙が彼女最初のファンレターかもしれないですよね」
「ああ、たぶん最初だったんじゃないかなって気がします。うわー、そうだそうだ、手紙だったんだ・・・」
「普通に考えて、すごく嬉しかったんじゃないかなって思います」

「そうだ、あと、彼女、一回、リスカしたんですよ。腕に包帯巻いて来て、ブログとかでは『リスカじゃないよ』って言ってたんですけど、後から包帯取っても跡が明らかにリスカで。あの時は、とても悲しかったことを覚えています。自分が何もできない、無力な存在だということを痛感させられました」

「ちなみに、ルネの解散時、かわもとさんって27歳、28歳ぐらいですよね」
「あー、2018年だから、そうですね」
「やっぱそうですよね。僕の提唱している理論で、28歳理論っていうのがあるんですよ。オタクのピークはだいたい、28歳っていう。28歳って、お金と時間がある程度あって、メンバーからまだお兄さんと思われる年齢なので、本気になる人が多いんですよ。いろんなオタクに聞いても28歳ぐらいにピークが来てる気がしていますね」
「確かにそういう時期かもしれないですね」

オタクを辞めてからの生活

「オタクを辞めてから、何をしていたんですか」
「そうですね、とにかく仕事です。めっちゃ忙しくて、残業月100時間とか超えるレベルで働いてました」
「解散してから忙しくなったんですか?」
「いや、解散の半年前くらいからかな、忙しくて。でもイベントがさっき言った通りで、少なかったんでそんなに支障はありませんでした」
「休日、土日とかは何してたんですか?」
「土日は・・・なんだろう、疲れてるんで、土曜日は寝て、日曜日は彼女欲しいなって、婚活したりしなかったりですね。あと、散歩が好きだったんで、30㎞以上歩いたりした日もありました」
「他のグループでオタクをしようと思わなかったんですか?」
「なんか、自分の中で原田珠々華を超えるアイドルはいないと思ってたし、自分の中で、アイドルを推すっていうのは、CD100枚買って、全部通うのが前提みたいなもんだって思っちゃっていて、もうそれはできない、っていう思いがあったんです」
「結構完璧主義なところがあるわけですね」
「そうかもしれません」

「アーティストとしての原田珠々華のイベントに行こうとは思わなかったんですか?」
「2018年12月のワンマンライブに行こうと思って、チケットまで取ってたんですけど、その日に急遽仕事の対応が入っていけなくなっちゃったんですよ。それで、そこからは行ってないですね」
「やっぱ節目で行けなくなるとモチベが下がるというか」
「そうですね、会える運命じゃないんだな、ってちょっと思いました」

「ちなみに、さっき、アイドルネッサンス以降アイドル行ってない、って言ったんですけど、よく考えたら一回だけアイドル行ってました。野本ゆめかがいるグループを友達と見に行ったことはあります。野本ゆめかの接触に行ったらなぜか号泣されたんですよ。未だにどうしてなのかはわかりません」
「なんか、当時を思い出したんですかね」
「でもあの子、最初の夏、あんなに通ったのに僕のこと覚えてくれなかったんですよね」
「ふふっ、今更かいって感じっすね」
「本当に何故泣いたのかはわからないです。次の人、知り合いだったんですけど、ちょっとやりずらそうでかわいそうでしたね」

「原田珠々華が虹コン(虹のコンキスタドール)でアイドル復活したときはどうでした?」
「そうなんだ、って感じです」
「見たことはあるんですか?」
「いや、映像含めて全くないですね」
「興味がないんです?」
「うーん、やっぱり自分の中で過去の話として、薄れていった部分はありました」

 2021年に彼は現在の妻と出会い、2022年に結婚する。マッチングアプリでの婚活の結果出会った相手で、オタクの人間関係とは無関係だ。

 原田珠々華が虹のコンキスタドールでアイドルとして復活するのは2022年の話だ。
 その後彼女は2024年2月に虹のコンキスタドールを卒業する。

「今じゃ虹コンも辞めて、コンカフェやってますよね。もうお酒飲める年齢になってるわけですよね・・・。時間の流れは早いです。ちなみに、コンカフェ行こうと思ったりはしないんですか?」
「全然考えたこともなかったですね、でも(原田珠々華の)話してたら、会いたくなってきましたね」
「行きます?」
「えっ、今からですか?」
「いやいや、流石に今からは。別の機会にですよ」

「今、原田珠々華に対して何を思います?」
本当にありがとうと、楽しかったっていう感謝の気持ちです。ああいう終わり方にはなってしまったけど、楽しい時間をくれたことに本当に感謝しています

 私はなんとなく原田珠々華のInstagramを開いていた。そしてあることに気が付いた。
「あれ、インスタ見てたら、今日コンカフェの出勤日ですね、しかも今いるっぽい」
 私はInstagramのストーリーの画面を見せた。
 5/2は、23時まで出勤。ラストオーダーは22時30分だった。

「うわ、マジか~」
「かわもとさん、本当に行きます?」
「わかんないけど、今行かなかったら一生行かない気がする」
「じゃあ、行きましょうか」
「マジすか」
「行きましょう、今21時50分なんで、タクシーだと15分ぐらいで着きます」
「マジすか」
「面白くなってきましたねえ」

 私は残っていたマンハッタンを飲み干し、会計を済ませ、地上に上がった。路地にタクシーが入ってきたので、私たちは素早くタクシーを止め、乗り込んだ。

衝動

 タクシーの運転手へ住所を伝えると、タクシーは秋葉原を目指し走り出した。
「6年ぶりですよこんなの。久しぶりのオタクムーブでテンション上がってます」
「オタクって本当面白いですよ」
「はあ~、今めちゃくちゃ胸がドキドキしてます、今から緊張してます」
「いや~僕もめちゃくちゃ楽しみです。彼女どんな反応するんでしょうね」

 しばらく走り、目的地に着いた。
 これ以上は車では行けないため、残りの数十メートルは歩いてくれ、ということのようだった。
 GoogleMapを頼りに店の場所を調べて歩く。
「地図的にここですね、ここが入り口です」
「うわーー緊張するーーー」

 ビルのドアを開けると、上のフロアから若い女性の声がした。ちょうど男性が退店しているようだった。ありがとう、といった声が聞こえた。

 我々の緊張は頂点に達していた。
 「いやこれはやばい、緊張する」と彼はしきりに緊張を口にし、私は「いやーこれ本当やばいっす、面白い」と面白がっていた。

 階段を上ると、そこにあったのは、先程までいた暗いバーとは違って、白い蛍光灯の下に照らされただだっ広いカフェのような店舗だった。
 若い女性店員に案内され、席に座った。キャスト、ということだろうか。
「今日は・・・目当ての人とかいますか?」
 ここは、かわもとさんに言ってもらわないと面白くない。私は彼が話すまで黙ることにした。
あの…昔アイドルをしていた・・・原田珠々華ちゃんって子に・・・
 彼は丁寧に店員に答えた。

 店内を見渡した。そこそこの広さだった。客の入りはまばらだった。ただ…何かが変だ。そう、原田珠々華らしき人が見えなかった。

「あー、彼女は今日お休みなんです。すいません。急遽体調不良で」
「えっ!」
「ツイートで告知してたとは思うんですけど・・・熱出ちゃって」
「えっ、なるほど、、そしたらちょっと出直しますね」

 私たちは退店することにした。

「いやあーーーーーマジか!!!」
「こういうオチかーーーーー」
「こんなことある??」
 互いに口々に叫んでいた。私たちは爆笑していた。

「ある意味、会えないっていうのも、記事書く側からしたら面白いですよ。逆にすごい偶然です。僕がインスタ見たとき、Xもちゃんとチェックして、今日はお休みですって告知見てたらここまで来なかったですし。逆に面白いですよこれはこれで。タクシー代も無駄じゃないというか」
いやあ、やっぱ、僕、運命に歓迎されてないんですよ。ライブに行こうとしたときもそうなんです。仕事で急にいけなくなったりするから。今回もそう、会おうとした時にどこかすれ違うんです
「偶然出会っちゃうみたいな運命ってありますけど、逆に『会えない』っていう運命も面白いですね」
「いやー、本当にこんなことって…」

 私たちは電車で元いた駅の方向へ戻ることにした。
 私たちは歩いて秋葉原駅へ向かった。

 歩きながら、私は事前に聞いていたアルバムの曲について尋ねてみた。
「原田珠々華の曲に『聞いてよ』って曲があるんですけど知ってますか?」
「いや、あんまりわからないです」
「”私の声を聞いてよ 私の歌を聞いてよ すぐ叶う夢ならいらないから 私の声を聞いてよ あの時は聞かないでだったけど 今はただ聞いてほしいんだ”っていう歌詞なんですよ。なんだか、ルネの時に来てくれたけど今はもう来なくなった人に言っているような気がするんです。これどう思いますか?」
「うわー、確かに私信かも・・・」

 私信の話をしている時、彼は言った。
「私信と言えば、当時の彼女のブログは私信だらけでしたね。ほとんど交換日記と言って差し支えなかったレベルでした」

 私たちは何か食べるものを探して歩いていたが、もう23時近い秋葉原の街には、手頃な店はなかった。いっそ、元居た駅に戻って食べましょうか、ということになった。

 彼はその後も、歩きながらしきりに「いやー、体調不良で会えないなんて、こんなことある??」という話を繰り返していた。
「それにしても、会えないってなると、急に会いたくなりますね」と彼は言う。
「じゃあ、日を改めて行きます?」
「それは、わかんないですね・・・今日、今、この瞬間に昔の話たくさんして、お酒飲んで、それで行こうって気持ちになったんで」
「そうですよね、今この勢いが面白かったっていう。でも、会えないのも含めて面白いです」
「そう、すれ違うのも、僕の運命なんですよ。オタクとして持ってない、それがある意味もうオタクとしてダメなんですよねー」

She Said She Said

 私たちは家が近かった。最寄り駅こそ違ったものの、歩いて帰れる距離だった。だから、私は彼の最寄り駅で降りて、一緒に締めとしてラーメンを食べて、そこから歩いて帰ることにした。

 店内は深夜に差し掛かろうとした時間だったが、意外にも人が多くにぎわっていた。
 インフルエンサーのような見た目をした女性二人が入って来て、動画を撮りながらラーメンを食べていた。
 店内には、The Beatlesの「She Said She Said」が流れていた。

 そういえば、The Beatlesは今でこそロックバンドという認知だが、当時はアイドル的な人気を誇っていたグループだ。そして、ざっくり言うとメンバーの不仲で解散したグループでもある。

 しかし、The Beatlesは不仲でありながら、数々の伝説的な名盤を作ってきた。世界の音楽史に残る名盤「Abbey Road」の伝説的なB面のメドレーは、メンバーが不仲すぎてまともにレコーディングができず、苦肉の策で継ぎはぎして作ったという話もある。真偽のほどはわからないが。

 アイドルネッサンスは、動員や売上と言う意味では、それほど目立つ功績を残したグループではなかったように思う。しかし、彼女たちは間違いなく日本の2010年代のアイドル界に確かな爪痕を残したグループだっただろう。

 真っ白い衣装にほぼノーメイクとも言える薄い化粧で、往年の名曲を確かな歌唱力でカバーする。アイドルネッサンスは間違いなく唯一無二の存在ではなかったか。

 アイドルグループは仲良しであるべき、という言説がある。確かに、仲が悪いよりも良いほうが良いように思える。

 しかし、仲良しだからパフォーマンスが良いというようなことはないのではないか。

 Dorothy Little Happyも不仲で解散したグループだと思うが、映像で見る限りは本当に素晴らしいライブをしていたと思う。むしろ不仲な時にこそ、お互いをライバル視し、良いパフォーマンスが生まれるという可能性もあるのではないか、そんなことを考えていた。

おわりに

 帰り道、交差点で、互いに「お疲れ様でした、ありがとうございました」と言い別れた。彼は「ああ、会いたかったなあ」と言い残し、私の帰る方向とは別の方向へ歩いて行った。

 一人歩きながら、私は彼の言葉を思い出していた。
「正直、あんなしょうもないかまってちゃんを推してんじゃないよ、っていう声は仲間内でもあったんですよね」
 ”かまってちゃん”というのが、加入当初からの”軍団”の原田珠々華に対する評価だったようだ。それがどれほど続いた評価なのか、最後にはひっくり返されたのか、それはわからない。

 ただ、"軍団"がどう評価しようとも彼は当時から、そして今でも原田珠々華に対する一貫した気持ちを持ち続けている。それは、「感謝」である。

普通に、幸せになってくれたらいいなって思っています
 別れる寸前、ラーメンを食べながら彼はしみじみと語っていた。

 過去にガチ恋したアイドルに対して人々が取る態度は様々だ。あまり思い出したくないという黒歴史にする人、逆に顔も見たくないと手厳しく批判する人、綺麗に覚めて過去の推しメンの1人と変わらぬ対応を取る人・・・。
 彼が取ったのは、一番のままにして、ただ感謝し続けるということだった。

 インタビューする前に、彼のXを参照した。彼は特典会の2ショット写真や集合写真を、自分の顔を隠さず投稿していた。
 どの写真も本当に素敵な笑顔をしていた。

 今回インタビューしたかわもとさんが通い詰めた「アイドルネッサンス」というグループは、これまでのインタビューに出てくるアイドルに比べると規模が小さく、会える頻度も多いグループだ。いわゆる、「地下アイドル」と言っていいだろう。

 だからこそ、通い詰めた人にだけわかることが多くあった。
 多くの人にとって衝撃だった突然の解散発表が、仲間内では何の驚きもない発表になる世界や、メンバー間の人間関係までわかるような世界がそこにはあった。通い詰めたオタクと、アイドルとの濃厚な関係性がそこにはあった。
 これはこれで、アイドルオタクに関する一つのケーススタディであろうと思われる。

 私にも経験がある。
 距離が近すぎると知りたくないこともたくさん知りながら、色々な重荷を背負って、場合によっては知らないふりをしながら笑っていなければならない。これは、とてもつらいことだ。

 そんなことを思い出しながら彼の写真の笑顔を見ていた。それでも写真の中の彼は心から楽しそうに屈託なく笑っていた。
 その笑顔の底には無限の強さと優しさがあった。

 彼がオタクに復帰しない理由の1つに、「やり切った」という想いがあるのではないだろうか。周りを見ていても、もう「やり切った」と言い切れるくらいに推した人は、もうオタクとして戻ってこないか、もしくはオタクをしても前ほどの熱量ではない推し方をしている人が多い。

 アイドルに本気で通って、ガチ恋をして、オタ卒して、普通に結婚する。これは、多くの若いオタクたちの理想の1つだと思う。

 そのためには、まず今この瞬間に全力を捧げて、楽しみつくすことが必要なのだろう。
 いつの日か、今を笑顔で振り返ることができるように。

 東京タワーの灯りが消え、5月3日がやってきた。
 ゴールデンウィークの中日は終わり、再び、アイドルオタクたちの連休が始まってゆく。

◾️シリーズ記事


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?