見出し画像

自分が『何者』であるか分からなかった私はあがいてあがいて私になった①

おはようございます😃


昨日帰り道にふと思いついてnoteのプロフィールをシンプルなものに変更しました。


大きな変更点は、【夢は自殺する人を1人でも減らしたい】と書いていたところを【夢は自分らしく生きること】に変えたところです。


ミイコさんの記事で知った朝井リョウさんの『何者』と、『死にがいを求めて生きているの』の2冊の感想文を書きながら、プロフィールを変えた理由を自分なりに2回に分けて言語化してみようと思います。

ネタバレ含みますが、よろしければお付き合いください。


まず『何者』です。就活中の主人公拓人は同居人含め、たまたま知り合った5人の学生と情報交換、交流しながら就活を進めていきます。


しかし、少しずつ関係性に変化が起こり…。

就活というどこにでもありそうなありふれた題材。しかしTwitterやInstagramなどのSNSといった現代らしいツールを活用しつつ、いつの時代も変わらない人間心理の普遍を抉り出すような心理描写が冴え渡る渾身の一冊だと感じました。


ミイコさんは記事の中で抉られる部分がなかったこととその理由をこう書かれていました。

その理由は、私自身が高卒で大学生特有の就活を経験したことがないこと、そして、悲しいかな本の中の就活生たちと違い、若い頃にこんなに何かに真剣に打ち込んだことが、私にはなかったことΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン
発信にまつわる感情については、今まで散々自分と向き合ってきたことで今のところほぼ消化済みだったこと。

ミイコさんのnote『何者』より引用


しかし私はといえば、読み進める中、至るところで抉られっぱなしでした。😅


一方、抉られつつも、読むのを辞めたいという気持ちはなく、読めば読むほど心がスッキリと浄化されていくような感覚を味わいました。


この物語には主人公拓人含む大学生5人の他に本文中にはほとんど登場しないのに、圧倒的な存在感を放つギンジがいます。


拓人とギンジは同じ学生劇団で活動する仲間でした。


引退して普通の就活を選ぶ拓人。大学を中退して劇団を旗揚げするギンジ。


2人はその進路の選択だけでなく、お互いにお互いを否定することで自分の正しさを証明せんと言わんばかりに決別しています。


むしろ旗揚げして必死に頑張るギンシには拓人を否定する気持ちはなかったのかもしれない。


しかし、自分は大したことはないと見切りをつけつつも、心の奥底で自分はすごいんだ、ただ今は機会に恵まれていないだけで、いつか必ずピックアップされるんだと思いたい拓人には、みっともなく諦めずにあがいてあがいてあがきまくるギンジの存在は、痛くて痛くてたまらないのです。


それは、頑張って頑張って頑張った先に何者にもなれない見たくない自分の姿を突きつけられているように思えるから


安全なところにいて、みっともなくあがくのに成果が出ないかつての盟友を冷ややかに見下ろすことで、拓人は『自分の選択は正しかった』とやっとのこと正気を保っている。


この物語を読んだ時、私は自分の中には拓人もギンジもいたし、今も確かにいると感じました。


学生時代、他に選択肢がなく、ややアンダーグラウンド(学生運動など、反社会的な動き)的な雰囲気を引きずるダンスサークルに入った私は一年、二年までは、運営してくださったいる年上の先輩や、時々顔を出すセミプロみたいなOBを『痛い』と心の奥底で馬鹿にしていました。


あんな自己満的なことやっちゃって、何者にもなれなくて、せっかく大学まで出たのにみっともなくてかっこ悪い。


でも、3年になっていざ自分が運営する側に回ってからは、見える風景が全て一変しました。


今まで当たり前にあった練習場所も練習メニューも活動の発表の場も舞台監督さんも照明さんも、全て、自分たちで手配をしなければならない。


痛々しく、みっともなく、必死でバタバタもがかないと、今までの当たり前がキープできない。


『何者』の拓人とギンジに話を戻します。


学生時代の私には、確かに拓人もギンジもいました。


そして、みっともなく、あがいてあがいてあがきまくって、今まで自分が何者であるか分からない、自分が自分であることが許せないという自分から、やっと私は私にしかなれない、そう分かったのだと思います。


しかし、話はここで終わりませんでした。


明日は同じく朝井リョウさんの『死にがいを求めて生きているの』の感想文を書きつつ、プロフィールを変更した理由を言語化してみようと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?