見出し画像

JUZU aka MOOCHYインタビュー前編

KKV Neighborhood #205 Interview - 2024.1.10
インタビュー、構成 by 小野田雄

インドやパキスタンでレコーディングした様々な素材を軸に、国内の音楽家たちの助力を得て、昨年12月にJ.A.K.A.M.名義の新作アルバム『FRAGMENTS』を発表したDJ、プロデューサーのJUZU aka MOOCHY。世界各地の音楽家たちとセッションを重ねながら、唯一無二のダンストラックを生み出し続けてきた彼の音楽遍歴、キャリアは多岐に渡り、そして濃密濃厚だ。
10代からDJとバンド活動を始め、自身がヴォーカル、ギターを務めたヘヴィジャンクバンド、EVIL POWERS MEの作品は、アメリカ西海岸のグラフィックアーティスト、パスヘッドのレーベルからリリースされ、DJとしてはジャングル、ドラムンベースのパーティ『Rhythm Freaks』を主宰。現在も語り継がれる伝説を残すと、その後もNXSやTulululusといった先進的なバンドで活動を行い、ソロアーティストとしてもキューバを皮切りに世界各地で行った現地の音楽家とセッションをもとに、これまでに5枚のアルバムと無数のシングルを発表しながら、トライバルなダンスミュージックの進化を推し進めてきた。
そんなMOOCHYの新作は、“断片”を意味する『FRAGMENTS』というタイトルが示唆するように、MOOCHYが長年培ってきた壮大な音楽世界、その無数のかけらが乱反射し、聴く者それぞれに異なる像をもらたす作品だ。このアルバムをより深く楽しむために、DJの視点とバンドの視点からMOOCHYの音楽観を紐解くインタビューを敢行。前編の今回はDJの視点から話をうかがった。

ーMOOCHYくんは子供の頃どんな音楽を聴かれていたんですか?

俺は小学校6年生の時、今は原宿でGLOCAL RECORDSをやっている箕輪弦太が同級生だったんだけど、彼のお兄ちゃんがやってたパンクバンドのライブを観に行って。そこでみんなが好き勝手に暴れているところに衝撃を受けて、パンク、ハードコアを聴くようになって。でも、パンク、ハードコア一辺倒だったわけじゃなく、中学に入ると洋楽を聴いてた友達やベストヒットUSAを通じて知ったU2やSADEをはじめ、ありとあらゆる音楽を吸収して。ヒップホップも、中2くらいの時、DJ KRUSHさんがやってたKRUSH POSSEを聴きに行ったりしていたんだけど、同じ中学に通っていた(DJ)TASAKAとおすすめの曲を入れたテープを交換したり、日曜になるとTASAKAはターンテーブルとミキサーをかかえて家に来て。当時、俺はギターをやってたんだけど、お互いのレコードをスクラッチしたり、ラップしたり。ラップは全然ものにならなかったんだけど、新宿のミロスガレージでECDとDJ DOC HOLIDAY(須永辰緒)がやってた『Club Of Steel』に遊びに行ったりしていて。そこでは(当時のクラブシーンで人気だった)TOKYO AIR RUNNERS(TAR)っていうブランドをやってた関くんと知り合って。KLFのオタクでもあった彼から808Stateのようなデトロイトテクノに影響を受けたUKのテクノとか、イギリスのストリートブランド、Anarchic Adjustmentとも繋がっていたマンチェスターものとか、当時は4つ打ちとブレイクビーツも曖昧なまま混在していて、そういった音楽が雑多に入ったテープをもらって聴いたりもしていました。


1989年の裏原 左端はDJ TASAKA


1990年の夜中の山手線内 中央サングラスはMACKA-CHIN(学校は違うがよくツルんでいた)


1992年 幼馴染のバイクに跨り嬉しそう


1992年 大好きだったS.O.Bと写真撮れて嬉しそう

ー80年代末から90年代にかけて、クラブミュージックをはじめ、ヒップホップ、グランジ/オルタナティヴロックが発展していくシーンの大きな転換期にあって、面白そうな音楽を片っ端から聴いていたと。バンドとDJ、どちらを最初に始めました?

15歳の時にほぼ同時に始めたんですけど、最初に始めたのはDJですね。(地元である中野区)野方の先輩が『LONDON NITE』で遊んでいた人たちで、自分たちもそういうイベントをやりたいということで、野方の駅の近くにあった『FLASH BACK』っていういかがわしいDJバーで『NOGATA NITE』っていうイベントをやってて。「レコードいっぱい持ってるんだったら、お前もやれよ」って言われて、既にやってた幼馴染みと一緒にやったのが最初です。Attitude AdjustmentのようなUSのハードコア、Cypress HillとかHouse Of Pain、Luscious Jacksonのようなヒップホップ~オルタナとか、基本的に暴れられるような曲ばかりかけていた……というか、自分が暴れに行ってたんで、盛り上げようというより、自分が盛り上がりたかっただけでしたね笑。


1992年 MOOCHYがオーガナイズしたパーティーのフライヤー


1992年 MOOCHYがオーガナイズしたパーティーのフライヤー

ーDJは有り余るエネルギーのはけ口だったんですね。

その後、TASAKAを誘って、新宿の『3BOZU』っていうクラブで『HIGHTIME Inc.』っていうパーティをやったりしていたんだけど、程なくして、高円寺の不良連中と仲良くなって、そのなかにサイコビリーとかジャズとかブラックミュージックを聴いてる先輩がいて。その彼がブラコンがかかって、黒人とビッチが集まる『ROOTS』っていう渋谷のクラブで働いていたので、そこで頼まれて何度かDJをして。その時点で暴れるためのDJからNapalm DeathのMick HarrisがやってたScornとかを45回転でかけたり(Andrew Weatherallのユニット)The Sabres Of Paradise、(The Chemical Brothersの前身である)The Dust Brothersとか、そういう重めのダビーなブレイクビーツをかけるようになって、そこでいい感じにDJをやってたんだけど、

そうこうするうちにその箱の店長が飛んじゃって。高円寺・三茶の連中と「このスペースをどうしよう? 新たにクラブ作る?」という話になり、19歳で自分が名付けた『HIGHHOLE』っていう箱を始めたんです。そこのスピーカーはDesert Stormっていうリアルなレゲエのサウンドシステムだったから、レゲエ自体は15くらいから聴いてはいたんだけど、低音の鳴りの凄さは『HIGHHOLE』でで学びましたね。ヒップホップも東より西のヒップホップの方がサウンドシステム・ライクで、ウェッサイ系のSnoop DoggやWarren GをDesert Stormのサウンドシステムで聴いてみると全然話が違った。


1994年 渋谷宇田川町に仲間達と作ったHIGHHOLEでのパーティー(太鼓を叩いているのはIZPON)

ークラブの音響で音楽を鳴らしてみて、聴いてみて、初めて分かることは無限にありますよね。

箱はケミカル&オーガニックというのがコンセプトで、金曜日はテクノ、土曜日はルーツレゲエ、ダンスホール、ダブだったんだけど、自分達でやってた箱だったんで、どちらの日もよく現場にいて。程なくして、ジャングルっていう音楽を知り、レコード屋で買い始めて、自分でもジャングルをかけるパーティを始めたタイミングで、六本木のラフォーレ飯倉ミュージアムでやっていたパーティ『Sound Of Universe』に遊びに行ったら、サブフロアでDJ FORCEくん、KAJIくんがDJでジャングル、ドラムンベースをかけてて。当時、そういう音楽をかけてた人間はいなかったから、「俺も渋谷でやってるんで、一緒にやりましょうよ」って言いに行った。その時、自分は長髪に上半身裸で入れ墨だらけだったから「なんだ、コイツ?」って思ったらしいんだけど笑、その後、『HIGHHOLE』で、3人で『Rhythm Freaks』を始めてから、最初は30人くらい、身内レベルのお客さんしかいなかったんだけど、回を重ねるごとにどんどん増えていって。もっとも箱自体は19歳から20歳をまたいだ7か月くらいしか続かなかったんだけど、サイドMCとしてルーツ系のMCとダンスホール系のMCを付けて、レゲエのニュアンスを出していた初期の『Rhythm Freaks』は『HIGHHOLE』の環境も影響していたと思う。

ージャングルを初めて聞いた時、どう思われましたか?

DJと同時進行で始めたEVIL POWERS MEというバンドは、それはそれで活発に活動していたんですけど、そのドラムのCOZIと昔同居していた1、2個年上の人がパンクからテクノにどっぷりハマって、彼からele-kingのことも教えてもらったり、ダンスミュージックの情報をやりとりしていて。当時は今のように細分化されていなかったので、多種多様なテクノやハウス、例えば、シカゴハウスやデトロイトテクノ、トランスをごちゃ混ぜでものすごい量を買って聴いていたし、同じ時期、初来日で青山のManiac Loveに来たDJ Hellを聴きに行ったり、新宿LIQUIDROOMでやってたCLUB VENUSに行ったり、トランス、テクノ、ハウスに関係なく、東京のアンダーグラウンドなクラブシーンで毎晩のように遊んでいたので、4つ打ちは慣れ親しんでいたんだけど、ジャングルが出てきた時、この音楽は何なんだ!?と衝撃を受けた。当初はレゲエ臭を感じたんだけど、MOVING SHADOWみたいなレーベルはもっと先進的な、違うレベルの飛びを感じたし、当時、情報はほとんどなかったけど、ジャングルのレコードは日本のあちこちのレコード屋で手に入って。しかも、メジャーだけでなく、全く知らない小規模なレーベルまで、色んなやつらが色んな手法でジャングルのビートにトライしていた時代だったから実験的な作品が次々リリースされていて、とにかく刺激的だった。


1996年 青山にあった伝説的テクノ箱MANIAC LOVEの月曜日毎週100人近いコアなフロアでプレイしていた ヘッドホンにはNAPALM DEATHのステッカーが

ー90年代中期は当然のことながら、今とは違ってネットがない時代でした。

自分がジャングルをかけ始めた時はUKシーンの状況は全く分からなかったから、東京というコンクリートジャングルに育った自分なりに想像してJungleをやっていたし、うちの実家の庭に棕櫚の木があって、うちの妹が『Rhythm Freaks』でジャングルっぽい装飾をやってくれたりして。だから、『Rhythm Freaks』は東京でしかできないジャングルのパーティだったと思う。そこにはドレッドのラスタみたいなやつもいれば、テクノ、トランスのレイヴァーやチンピラ、不良芸能人もいたし、『Rhythm Freaks』のウェブサイトを運営していたのは足が悪い車椅子だったんだけど、そういう人をみんな運ぶのを手伝ったり、魑魅魍魎なりに、底辺ならではな下町的魅力があったと思う。自分個人としては、UK、USのことは全く意識してなかった。


1997年 渋谷にあった巨大なレンタルスペースMOにて紙フライヤーだけで500人近い人が集まったRHYTHM FREAKSには 毎回4トン車で大量のサウンドシステムがインストールされた


そしてその巨大なスピーカーの壁にはいつも巨大なダルマが

ー当時はジャンルもそこで遊んでいる人も今のようには細分化されていませんでした。

当時、自分は若かったし、その後すぐシーン自体も『Rainbow 2000』のような、より大きな規模に発展していったんだけど、東京の夜は混沌としていて、すごく面白かった。変な人も多かったし、まだバブルの影響もあったから、すごい貧乏というわけでもなく、金持っている人もいたし、当時、まだ合法だったキノコも街中で売っていたり、職質もたいしてなかったし、指輪を売ってるような外国人のトラヴェラーも沢山いて。トランスシーンも僕はもちろん第一世代ではないけど、KAJIくんはトランスの草分けであるARTMAN aka K.U.D.O.さんの弟子だったし。彼は彼で面白い人間で、もともとヒップホップ、ブレイクダンスをやってて、その同級生がラッパーのRINO(LATINA Ⅱ)くんで、後にRINO君と自分は一緒に曲を作ることになるんだけど、K.U.D.O.さんのレコード持ちを止めた後、ジャングルにハマって、実際にイギリスにも行って。当時、ネットがなかったから、ジャングルの情報はなかったけど、クラブでは現地に行った人のリアルな情報が得られたし、アンダーグラウンドなコミュニケートの場だった。


1998年 渋谷CAVEで定期的に開催されたRHYTHM FREAKSにて DJ KAJIと

ー近年、若い世代の間で、90年代初期のレイヴ・カルチャーがリバイバルしていて、トランスやBPMの速いブレイクビーツ、ジャングルに脚光が当たっているじゃないですか?そういう流れをMoochy君はどう捉えていますか?

レイヴカルチャーのリヴァイヴァルだけじゃなく、例えば、幾何学模様とか吉祥寺を拠点に活動しているMOKUってバンドもそうだけど、サイケロックをやってる若いバンドも多くて。その現象も僕からみると似たようなことだと思う。要は自分の世代のダンスミュージック、マンチェスターのバンドやグランジは60's、70'sの要素を受け継いだものというか、当時のレイヴカルチャーはヒッピーカルチャーだったり、CrassのようなUKのDIYなパンク、ハードコアの要素があったり、10年、20年なのか、一定のサイクルで巡ってくるイメージがあって。自分が30代前半の頃、50になった時のことをイメージした時、自分の子供が大人になる頃に当時の感覚がまた巡ってくるだろうなと予想はしていたので、驚くことはなく、むしろ、やっと来たかという感じ。だから、幾何学模様にもシンパシーを覚えるし、彼らもたぶん色んな音楽を聴いて、レイヴにも遊びに行ってるんだろうなって。そういう意味で、自分の息子と近い世代の人たちは親の世代と似たようなものを求めているのかもしれない。

ーヒップホップとベースミュージックを横断するMOOCHY君のプロジェクト、ZEN RYDAZの「CROSS-BORDER」にフィーチャーした愛染 eyezenはトランスがルーツにある若手ラッパーだと聞いていますし、90'sの音楽からサンプリングしていたり、近年トランスに歩み寄っているゆるふわギャングのRyugo Ishidaくんの親はそれこそMoochy君と同い年だったりするんですけど、おっしゃるように音楽のサイクルが再び巡ってきているんだなと個人的にも感じていますね。

自分が21、2の頃、マドモアゼル朱鷺ちゃんとやってたバンド、Tulululusは、CANとD'Angeloの『VooDoo』を掛け合わせるのが自分の中ではコンセプトにあったんだけど、自分にとってCANなんて親世代のクラウトロックバンドじゃないですか?そういう音楽を継承しつつ、D'angeloのエッセンスを加えて、自分たち世代なりにアップデートしようとしたわけで、幾何学模様やMOKUしかり、愛染 eyezenやゆるふわギャングしかり、同じように僕ら世代の音楽を継承しつつ、それを彼らなりにヒップホップを通じてアップデートしようとしているので、その姿勢には共感を覚える。


1997年 高円寺にて取材中。タイダイ仕様のサイプレスヒルのTシャツが象徴

ー12月にリリースしたMOOCHY君のJ.A.K.A.M.名義のアルバム『FRAGMENTS』はアマピアノの影響を感じさせる「MOON DANCE」と「ME & CONTRY」、ジュークからインスピレーションを得た「NIGHT」と並んで、「PURPOSE OF LIFE」ではドリルが下敷きになっていますよね。ヒップホップの進化についてはどんなことを思われますか?

ヒップホップはずっと聴いてきて、自分にとって大きな変化を感じたのがTimbaland。彼の登場によって、それまでのサンプリングではない、新たなアプローチによって、良くも悪くも派手になったし、ヒップホップがよりメジャーな音楽になった感じがする。その後、PharellがThe Neptunesでプリセット音源を使うようになって、汚した音が格好いいというそれまでの美学を覆したピカピカの音を提示して、個人的にはそうした変化に違和感を感じつつも、Busta Rhymes feat Janet Jacksonの「What's It Gonna Be?!」をDJでかけてたり、常にそういう音楽の進化は見逃したくないなって。今にして思えば、ジャングルという音楽もヒップホップの亜流だと思うし、90年代に「ブレイクビーツ・サイエンス」という言葉があったけど、サンプリングはもちろん、ビートの組み立て方によって面白い音楽が生み出せるし、それはトラップもジュークもグライムも同じものを感じる。グライムなんかはRUB-A-DUB MARKETのMALと付き合うようになってからよりリアリティをもって聴けるようになったというか、Dizzee Rascalとその仲間たちがジャングルをかけながら楽しそうにラップしているBBCの映像を観ると、やつらはやつらで10代の時、ジャングルで遊んでいて、そこから自分たちのスタイルを作っていったんだろうなって思うし、俺は自分のジャンルをヒップホップだとは言わないけれど、自分もヒップホップから大きな影響を受けていることは間違いないなって。

ージャングルはヒップホップの亜流であると同時に、トラップやドリルがそうであるように、ヒップホップはベースミュージックの亜流でもあると思いますし、ダンスミュージックという大枠のなかに、民族音楽をはじめ多種多様なダンスミュージックの断片が散りばめられている今回のアルバム『FRAGMENTS』は聴き手によって色んな解釈が楽しめる作品になっていますね。

商品紹介的にはこのアルバムを形容する特定のジャンルを付けたほうがいいだろうけど、実際の作品には色んな要素が入っているのが当然だと思う。愛染 eyezenなんかもトランスだけじゃなく、オルタナロックなんかも聴いていたみたいだけど、今の若い世代は色んな音楽を聴けるだけ聴いていると思う。でも、それを自分のリアリティにしていくためには何か行動を起こさないとね。フォロワーのままだと、それはまだクリエイションの段階には入っていないというか、逆に何か今までにないものを自分のなかで編み出そうとする時に初めてジャンルじゃない音楽になるんじゃないかな。

亡くなる直前のフィッシュマンズのヴォーカルだった佐藤伸治氏が雑誌でお勧めしてくれたり、色んな人に知ってもらうきっかけになった1997年のDJ MIX作品

KOKO-130

NOW ON SALE
J.A.K.A.M. / FRAGMENTS
CD ¥3,300 (TaxIn)
日本のみならず世界中からも評価の高い、アンダーグラウンド·ダンスシーンのDJ、プロデューサーの、JUZU a.k.a. MOOCHYによるJ.A.K.A.M.名義では、実に3年半ぶりの新作「FRAGMENTS」は、近年の彼の充実した活動が反映された重厚かつ、自由な空間性が強調された、どこにも属さないがトライバルなダンスビートに、どこか記憶の片隅では覚えているようなエスニックなメロディラインが乗っかった、組曲のようなアルバム。
全12曲が夢見心地のまま、流れていく。いや、ただ流れていくだけではなく、あくまで目線は土着で、生活音に混ざり、そこではっきりと意思となり蓄積されていく音が存在している。
2020年にインド、2023年にパキスタンに出向き、土地土地で人びとと生活を交えながらフィールドレコーディングや伝統楽器を収録。それらを国内の腕の立つ演奏陣を交えミックスし、またダブ処理することにより産まれた、オーケストレーションの妙というべき作品。さながら、ON-Uの伝説的アルバム、CREATION REBELのStarship Africaにも似た感触が味わえる、2023年アジアから産み落とされた強烈なアンサーとしても愛聴して欲しい。まさにストリートから逸品の誕生である。
なお、今回のアルバムのデジタル配信に合わせ、JUZU a.k.a. MOOCHYが90年代末から2000年代初頭に在籍、プロデュースしていたグループ、「NXS(ネクサス)」「Tulululus」の過去のタイトルも同時に、初デジタル解禁となる。
新作「FRAGMENTS」のリリースに合わせ、1月11日にはDOMMUNEにて、新作のトピックを中心としたスペシャルプログラムもオンエアされる。1月28日に下北沢SPREADに於けるリリースパーティーも決定。
収録曲
01. JUSTICE
02. MOON DANCE
03. HIDDEN ESSENCE
04. PURPOSE OF LIFE
05. CHAIN
06. NEUTRAL PLACE
07. ME & COUNTRY
08. PLANET OF DREAM
09. WIND
10. NIGHT
11. FAMILY
12. NEW ASIA

各サブスクリプションサービス、各配信サイト、BANDCAMP

同時配信中
NXS「Sleeper」

「Pearl, Snake, Bird, Dawn」

「PSBD RMX」

Tulululus「ゲーテへの感謝」

J.A.K.A.M. (JUZU a.k.a. MOOCHY)
東京出身。15歳からバンドとDJの活動を並行して始め、スケートボードを通して知り合ったメンバーで結成されたバンドEvilPowersMeの音源は、結成後すぐにアメリカのイラストレイターPusheadのレーベル等からリリースされる。DJとしてもその革新的でオリジナルなスタイルが一世を風靡し、瞬く間に国内外の巨大なフェスからアンダーグランドなパーティまで活動が展開される。 ソロの楽曲制作としても米Grand RoyalからのBuffalo Daughterのリミックスを皮切りに、Boredoms等のリミックス等メジャー、インディー問わず様々なレーベルからリリースされる。2003年にキューバで現地ミュージシャンとレコーディングツアーを敢行したのを皮切りに、その後世界各地で録音を重ね、新たなWorld Musicの指針として、立ち上げたレーベルCROSSPOINTを始動。
2015年から始まった怒濤の9ヶ月連続ヴァイナルリリースは大きな話題になり、その影響でベルリン/イスラエルのレーベルMalka Tutiなどからワールドワイドにリリースされ、DJ TASAKAとのHIGHTIME Inc.、Nitro Microphone UndergroundのMACKA-CHINとPART2STYLEのMaLとのユニットZEN RYDAZ、Minilogue/Son KiteのMarcus HenrikssonとKuniyukiとのユニットMYSTICSなど、そのオリジナルなヴィジョンは、あらゆるジャンルをまたぎ、拡散し続けている。また音楽制作のみならず、映像作品、絵本や画集 のプロデュース、野外フェスOoneness Camp"縄文と再生”を企画するなど活動は多岐に渡る。
http://www.nxs.jp
https://linktr.ee/JAKAM

「History of JUZU a.k.a. MOOCHY」
New Album “FRAGMENTS” Release Special Program @DOMMUNE
●TALK: JUZU a.k.a. MOOCHY、森田貴宏(FESN)、荏開津広、草刈朋子、石渡のりお
●LIVE: J.A.K.A.M. with HIDENKA、Enya Yuima、愛染eyezen、及川景子、佐藤圭一
●DJ: JUZU a.k.a. MOOCHY、7e、Moyu a.k.a AUWA
■J.A.K.A.M.のニューアルバム「FRAGMENTS」のリリースにあたり、JUZU a.k.a.MOOCHYの現在までのキャリアを追い、ジャンルは変容していくが常に一貫しているスタイルを解析していき、また彼のバックグラウンドにあるカルチャーの側面や、追い求める精神性、世界を旅することで培われた社会的視野などにも触れていき、その生き様を語り尽くし、伝承していくプログラム。番組内では、新作に関わった多様なミュージシャンを迎え、今後の流れを示唆するライブを披露。また、長いキャリアの集大成ともいえる
、JUZU a.k.a. MOOCHYの現在のスタイルのDJプレイと次世代を担うDJ達のプレイも聴ける。

J.A.K.A.M. NEW ALBUM “FRAGMENTS” Release Party
2024年1月28日(日)17時~23時
DJ: JUZU a.k.a. MOOCHY ゲスト:COMPUMA
Venue:下北沢SPREAD


J.A.K.A.M. NEW ALBUM “FRAGMENTS” Release Party


カルチャーサイト「AVE | CORNER PRINTING」でも、JUZU a.k.a. MOOCHYのインタビューが掲載中。

https://ave-cornerprinting.com/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?