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DAY4:寄り道

昔から女友達と遊ぶ日程を約束するのが苦手だった。


「じゃあ、次は来月土曜の夜ね!」

「えー、わたし来月の土日は全部埋まってんだよね〜」

「なにそれリア充じゃん」


リア充が死語かどうかはさておき、ほぼ毎日会っているような子だっているのに、一体何をそこまでして会って話したかったのか、いまのわたしにはもうさっぱり思い出せない。


特にこのリア充的やりとりが発生したのは大学時代の頃で、私たちは遊びとバイトしか入っていない手書きのスケジュール帳を開いてはああでもないこうでもないと話し合い日時を決めていた。ひょっとしたら会うこと自体が目的だったのかもな、といまになって思う。


わたしはというと、よくドタキャンをして友人に怒られていた。「なによ楽しみにしてたのに!」と言われたって、一ヶ月も先にあなたと会いたいかどうかなんて分からないじゃない、というのがこちらの言い分である。

そんなクソ野郎なのにありがたいことに友人知人にはいつも事欠かず誘いの数も多いほうだった。贅沢な話ではあるのだけど、本当に当日なんでか気が向かなくなってしまうことが"普通"の人よりもほんの少し多いタイプの人間だった。母もそんな私の性格を知ってのことか「嫌だったら行かなくたっていい。行きたくないというのも立派な理由だよ」と言葉をかけてくれていた。


社会人になってからも、プライベートにおいては会う約束を守れない癖が続いていた。

なんでか分からないけれど、派手でよく飲むグループの一員として迎え入れられたわたしは苦手な「いつメンの会」への参加を強いられ、自分的には既にお決まりのドタキャンをしては、絶交まがいのことを言い渡されたこともあった。

その会の現在はというと、変な宗教にハマった人もいれば、ハイパービッチから二児の母に華麗なる変身を遂げた人もいて、もう会う口実もないほど別々の道を歩んでいる。あんなに会うことにこだわっていたのに、なんともあっけない解散劇だ。


結婚してからは周囲からの誘い自体も減った。

夫婦の時間を大切にねという気遣いからなのか、つまんねえやつになったなという無言の圧力からなのか。とにかく本来自分が使いたい時間の使い方というのをようやく手に入れられたのは大収穫だ。

かなり厳選されてしまった友人や、信用できる夫もいるし、あの「約束をやぶったら絶交」のプレッシャーから解放されたのだ。やっと...やっとである。


結婚とほぼときを同じくして、クラブ(踊るほう)や酒場やスナックといった場所に一人で行くことのおもしろさを知った。

こうした場所では、人と約束するのが少し苦手な、わたしのような人たちと出会うことが多く、そこでようやく「わたしも"普通"なんだよな」と思うことができた。大袈裟だけどなんだか救われたような気がした。

ここには約束は存在しないし、気が向いたときにふら〜っと寄ってみれば、馴染みの人と会うことができるし、会ったって別に話す義務はない。

「一人でクラブに行って、フロアに一人知り合いがいるくらいがちょうどいいよね」と友人と踊りながら話したことがあって、まさしくだなといまも思っている。


目的もなく集まる機会。その機会によって人びとは最高に民主的な経験ができ、より豊かな人間になれる。


これはレイ・オルデンバーグの著書の一節で、私自身も実感を伴って「そうだ」と思える箇所である。


わたしの働くスナックを訪れる客は、貧富という意味では推し量れないほうの豊かさを確実に持ち合わせていると思う。

その日限りがたまたま連続しているような常連たちは、たとえ家に帰って奥さんが口を聞いてくれなくったって、稼ぎが悪くたって、帰る家がなくったって(それはちょっと困るけど......)、スナックという安全地帯においては「おかえり」と迎えられ、他人同士が互いの安否を気遣って酒を交わしている。ほんとうにほんとうに豊かな人たちだと思う。


スナックに行くことは目的にせず、終着点にせず、あくまでふらりとする寄り道のひとつにしておくことは、この豊かさを担保する条件のひとつなのかもしれない。


今週はどんな出来事が起こるだろう。常連たちの口から何が飛び出るのだろう。

スナックでの勤務ももう5回目を迎えるが、もう初日の緊張感はすっかり解けたし、バイトに向かう足取りはとても軽い。たぶんわたしにとっても、このスナックは既に人生における大切な寄り道になっているのだろう。

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