ヨルシカ 『夏草が邪魔をする』感想
今年6月28日に発売されたヨルシカの1st Mini Album『夏草が邪魔をする』をやっとiTunesで購入したので、その感想などを書いていきます。
【前置き】(アルバム感想だけ読みたい方は飛ばして下さい)
まずそもそも"ヨルシカ"とは、ボカロPとして "透明エレジー"、"ウミユリ海底譚"、"夜明けと蛍" 等の数々のヒット曲を投稿してきた"n_buna"(ナブナ)が立ち上げた新たなバンドです。(公式サイトはこちら)
ナブナさんと言えばここ数年のボカロシーンを代表するヒットメーカーであり、コンスタントにボカロを聴き続けている人でその名を知らない人はいないでしょう。
ヨルシカは女性ボーカリストとしてsuis(スイ)を起用し、ボカロでは表現に向かない、人間歌唱の方が映える曲を発表する目的で結成されました。
2016年7月にナブナ名義での2ndメジャーアルバムとなる『月を歩いている』を発表して以来、彼は(人気音楽ゲームへの提供曲や、しばしば並び称される彼との待望のコラボ曲を除けば)新曲の投稿を控えていましたが、このような新しい活動を始める準備をしていたのですね。
といってもこのような人間歌唱を前提にした曲作りという活動は初めてだったわけではありません。2015年からは三月のパンタシアというユニットへ所属し、ボーカルのみあが歌う "花に夕景" や "青に水底"といった曲を書き下ろししています。
また、2016年12月にリリースされたさユりのシングル『フラレガイガール』初回限定版Aには『月を歩いている』からの楽曲 "ルラ" のカバーが収録されました。
あくまで他のアーティストへの楽曲提供という意味では、これまでも彼は人間ボーカルの曲制作を行っていました。ただしヨルシカは「彼自身が作りたい曲」を発表する目的で結成されたということが注目すべき点です。
ヨルシカ結成の直接のきっかけとなったのは、『月を歩いている』発売を記念して開催された初ワンマンライブでしょう。
ここで彼はsuisをメインボーカルに起用し大成功を収めたことで、以前からあった「人間歌唱での楽曲発表もコンスタントにしていきたい」という願望に自信がつき、suisに正式にバンドを組まないかと持ちかけたのだろうと推察されます。
そんな経緯を経て今年4月にYoutube、ニコニコ動画へ "靴の花火" を投稿することでヨルシカとしての活動が始まったということです。
【前置きおわり】
それでは本題に入ります。『夏草が邪魔をする』は全7曲で構成されたミニアルバムです。そのうち2曲がボーカルのないインスト曲。他の曲を繋ぐような役割を担っています。1曲ずつ見ていきましょう。
1. 夏陰、ピアノを弾く
アルバムの冒頭を飾るのは、1分半ほどのピアノインスト曲です。彼がアルバム1曲目にインスト曲を持ってくるのは初めてのことではなく、『月を歩いている』の "モノローグ" に続いてのことです。初めて聞いた時も、叙情的なピアノの旋律でまずこの過去曲を思い出しました。
しかし前回とは決定的に異なる点があります。"モノローグ" は曲の導入こそピアノ単体ですが、徐々に他の楽器も加わり静かな盛り上がりを見せます。これから始まる物語への期待を膨らませるかのようです。
これに対し、本アルバムのこの曲は一貫してピアノしか使われません。このため、アルバム全体への良い導入になっているのは同様ですが、その際に聞き手が受ける印象がまるっきり違ったものになります。
簡単に言えば、本アルバムはこれまでのナブナ名義でのどのアルバムよりも切なく悲壮感を湛えた作品であるということです。
アルバムを最後まで聴き終え、この曲に戻ってきた時にエピローグとしても聴けるという仕掛けにもなっています。
2. カトレア
ピアノによる静かな音が止み、いよいよ本格的にアルバムの中身に入り込んでいく…という瞬間に鳴り響くスラップベース。彼の作った曲の中でも異色な始まり方と言ってよいでしょう。
曲全体としてはナブナらしさが詰め込まれた軽快なアップチューン。ただし(どの曲にも言えることですが)ボーカルsuisの声の映え方が素晴らしい。確かにこのような曲はボカロでは表現できないな、と唸らせられる1曲。
「そりゃもちろん機械と違って人間が歌う方が表現の幅が広いに決まっているじゃないか」と思われる人もいるかもしれませんが、ナブナさんだからこそこう言えるのです。
というのも、彼はこれまでボーカロイドによる感情のこもった(ように聞こえる)歌を人一倍追求してきました。それは "背景、夏に溺れる" や "ラプンツェル" を聞けば分かると思います。
ボカロに人間らしく歌わせるのが得意な彼だからこそ、こうして本腰を入れて人間ボーカルを前提に作った自身の曲を聴けるのが、どれほど嬉しいことか。ボカロ曲と比較しても、その狙いの違いが見えてきて面白いです。
例えば、この "カトレア" のサビ終わりには「おっおー」というコーラスが入ります。
これまでナブナさんの曲でコーラスと言えば(少なくとも個人的には)1stメジャーアルバム『花と水飴、最終電車』に収録されている "着火、カウントダウン" のラスサビ「笑え僕たち、オーガスター(×2)」でした。
このコーラスはこれまでmikiが機械らしさを残した高音で一人で歌って盛り上げていた曲の終盤で、突如として多人数の人間(?)のコーラスが畳み掛けてくる本当に凄まじいものです。ただしその凄さはやはり機械と人間の対比にあったと思われます。
一方この "カトレア" のコーラスは聞いていて「突如」「畳み掛ける」というような印象はありません。サビの盛り上がりをあくまで自然に延長した形です。
ある意味、普通の人間ボーカルの曲では常套手段と言えるのかもしれませんが、(何度も言いますが)これまでボカロで様々な表現を模索していたナブナさんだからこそ、ここで初めてこのような正統的なコーラスが入る曲を作ったというのは大きな意義があると思うのです。
ちなみにタイトルの「カトレア」(カトレヤとも)とは洋ランの女王とも言われるラン科の花の一種で、花言葉は「成熟した大人の魅力」「優美な貴婦人」など幾つかの意味を持っています。(カトレアの花言葉 より)
3曲目となるこの "言って。" が本アルバムの中核をなすリードチューンにして、一聴して惹かれる人が間違いなく最も多い曲でしょう。
現時点でこのアルバムから公開されている2曲のうちの1曲で、つい10日ほど前に公開されてから、Youtube上での彼の曲としては類を見ないほどの再生数の伸びを見せています。
ギターの単純なフレーズの繰り返しを下敷きにして、シンプルながらも迫力のある曲を作るのはナブナさんの得意分野ですが、この曲はその彼の長所が遺憾なく発揮された名曲です。
そしてこの曲で最も注目すべきは何と言ってもその歌詞。"私" が "君" に対してタイトル通り何度も「言って。」と強く語りかける、その真相が曲の終盤Cメロ前で明かされます。
「あのね、私実は分かってるの もう君が逝ったこと」
「言った」と「逝った」という言葉遊びに込められた、この曲とこのアルバム全体に通底しているのは、夏に遠くへ"逝って"しまった君とそれを受け入れられない私の物語です。
夏と死を結びつけるのはそれほど珍しいことではありませんが、ナブナさんは特にこの取り合わせが好み…というか、夏に対して喪失的な印象を強く抱いているようです。
この曲で自分が最も素晴らしいと感じるのは、前述の歌詞のあとのCメロです。
「もっとちゃんと言ってよ 忘れないようメモにしてよ
明日十時にホームで待ち合わせとかしよう
牡丹は散っても花だ 夏は去っても追慕は切だ
口に出して 声に出して 君が言って」
畳み掛けるように密度の濃いCメロですが、「もっとちゃんと〜待ち合わせとかしよう」までの"私"の素直な心情吐露から「牡丹は〜切だ」という文学的な言葉に鮮やかに切り替わるこの詞はナブナさんにしか書けない素晴らしいものだと思います。
もともとナブナさんの書く詞はよく「文学的」「叙情的」と形容されますが、その要素を今回はCメロまで封印し、あくまで"私"のやるせない独白で曲が進行します。しかし、曲の最も盛り上がる部分でふと一瞬だけ封印が解けたかのように出てきてしまったのが「牡丹は散っても花だ 夏は去っても追慕は切だ」という詞だと思うのです。ただただ感嘆します。
前述の通りアルバム発売日にYoutubeやニコニコ動画上でMVとともに公開されたので、未視聴の方はぜひ聴いてみてください。MVを見ながら聞くとまた印象が変わります。
4. あの夏に咲け
今のところ個人的にこのアルバムで一番好きな曲。冒頭のサビ
「君が触れたら、た、た、ただの花さえ笑って宙に咲け」
からもう最高としか言いようがありません。このような"強い"ワンフレーズを生み出せるのはナブナさんのセンスあってこそでしょう。
曲調はカトレアと同じくアップテンポなロックチューン。Cメロ前の「片手には赤いカトレア」のすぐ後に「おっおー」というコーラスが一瞬入るのにはニヤリとさせられます。さぞかしライブでは盛り上がることでしょう。
他にも好きな箇所はたくさんあるのですが、しいて挙げるなら2番サビ終わりの
「誰か応答願う オーバー」
という詞の"口に出して読みたい"感がツボです。(歌詞を見るまでは「誰かの音を願う」かと思っていました。個人的には某少年漫画に出てくる有名な独白を連想してしまいます)
それからそのあとのCメロの(ナブナさんのCメロはどの曲も期待の遥か上を行きます)
「君が歩けば花が咲く 君が歩けば空が泣く
君が笑えば遠い夏 笑う顔が書いてみたい」
という小気味好いリズム感が大好きです。このあとの「あの夏に戻って」という締めも最高です。
ここまで言及してきませんでしたが、この曲の素晴らしさは勿論ボーカルのsuisさんの豊かな表現力によるところも非常に大きいです。本当にナブナさんは良いボーカリストに出会ったなぁ…と。
5. 飛行
短めのインスト曲です。ここまで比較的軽快なアッパーチューンが続いていましたが、このあとのアルバムを締めくくる2曲ではガラッと雰囲気が変わります。そんな後半へ聞き手をスムーズに誘うような落ち着いた曲。
今年4月、ヨルシカ名義で最初に世に出したのがこの曲 "靴の花火" です。宮沢賢治の小説「よだかの星」をモチーフにしています。
カフカの「変身」をモチーフにした "始発とカフカ" やアルバムの全曲がそれぞれ何らかの童話を元に作られた『月を歩いている』など、ナブナさんは文学作品を下敷きに曲を作るのが大好きですが、人間歌唱曲ではおそらく初めての作品。
落ち着いたアコースティックなフレーズが繰り返され、その上にsuisさんのボーカルやピアノなどの他の楽器が彩りを加えます。
見どころはボーカルの起伏を抑えたAメロBメロと、一気に感情を解放させるサビのコントラスト。
ナブナさんの他のロックバラード曲 "夜明けと蛍" や "ラプンツェル" と比べての最も大きな違いは、やはりサビでの爆発力でしょう。
勿論この2曲もサビの盛り上がりは凄まじいのですが、あくまでボカロなので感情を積極的に押し出すのではなく、「押し殺しても漏れ出てきてしまう」ような印象を受けます。(改めて考えると、そんなことをボカロで実現してしまうナブナさんの調声力の高さに惚れ惚れしてしまいます。)
suisさんというナブナさんの書く曲の世界観に絶妙にマッチした声質の持ち主が歌うこの "靴の花火" は、そんなこれまでのボカロ曲とは違った、でもやっぱり「ナブナさんだなぁ」と思わせられる仕上がりになっています。
7. 雲と幽霊
アルバムのラストを飾るこの曲は、電話のベル音や水面に水が落ちる音などで曲を彩る「カットアップ」という手法を用いた、彼としては斬新な曲です。
カットアップと言えば個人的に思い浮かぶのは "果てにはハテナ" などで知られるボカロPのぽてさんや "ブレンダを分解したい" などで知られるオリジナル音MAD製作者の2÷すさんですが、勿論ナブナさんはこれらの方々とは異なりあくまでロックをベースに、カットアップを味付けに使ってみたという曲になっています。
またこの曲の歌詞を見ると、3曲目の "言って。" のアンサーソングとなっていることが分かります。
「幽霊になった僕は、明日遠くの君を見に行くんだ
その後はどうしよう きっと君には言えない」
"言って。" が遠くへ逝ってしまった君を想う私視点の曲であるのに対して、この "雲と幽霊" はその君が幽霊になって現世に留まっているという視点で描かれています。
あれだけ痛切に「言って」と訴えかけていた君の儚い願いが、このように曲の冒頭で「言えない」とあっさり否定されてしまっているのには、どうしようもなくやるせない気持ちにさせられます。
さらに曲を聴き進めていくと、サビの
「君と座って、バス停見上げた空が青いことしかわからずに」
という歌詞。この「君と座って」というのが幽霊になる前なのか後なのか…などと想像を膨らませていくと、ナブナさんがこのアルバムを通じて描こうとしている物語がどんどん愛おしくなってきます。
"言って。" の詞が「刺さった」人はアルバムを購入してこのアンサーソングを聴くしかないでしょう。この曲を聴き終えると、
永遠に引き裂かれた "君"と"僕" の物語に救済はあるのか
いったい、"夏陰、ピアノを弾く" でピアノを弾いていたのは誰なのか
そもそも、「夏草が邪魔をする」とは何を意味しているのか
などさまざまなことについて各々想像を巡らせることができます。
アルバム全体で一つの物語、一つの世界を表現することに非常に重きを置いてきたナブナさんがヨルシカとして初めて作ったこのアルバム。
ボカロPとしてのナブナさんを知っている人も、知らない人も、聞かない手はないでしょう。
余談ですが、「ヨルシカ」というバンド名はこの "雲と幽霊" の2番のサビ
「夜しかもう眠れずに」
という詞に由来しているそうです。この名称、いいですよね。個人的にとても親近感を覚えるネーミングです。
【あとがき】
ナブナさんが4月に "靴の花火" を公開してヨルシカというバンドの立ち上げを発表した時、ナブナ好き…勿論その多くは主に彼のボカロ曲に魅せられたファンであるわけですが、彼らはそれぞれ色んな感慨を持ったことでしょう。
「メジャーシーンで大注目されているあの人のように、ナブナさんも遂にボカロをやめて向こうの世界に行っちゃうのか…」
「そろそろ人間ボーカルでの曲作りに本格的に手を出すとは思っていたけど、やっと来たか…」
ヨルシカとして公開された曲を聴いて、彼のボカロ作品と比べたくなる気持ちは分かります。実際自分もこの記事の中で何度も引き合いに出しました。
それでも個人的には「ボカロPとしてのナブナ、人間歌唱としてのヨルシカ、そのどちらが良いか」という位相には大きな意味はないと思っています。
あくまでナブナさんが表現したいことがボカロと人間のどちらにより適しているかによって活動が派生しただけであり、根本にはナブナさんの「もっと良い曲を作りたい」という想いがあると思っています。
もちろん、人間ボーカルを起用することで、これまでよりも広い層のリスナーにその作品が聞いてもらえ、ヨルシカ、ひいてはナブナという存在がより多くの人の知るところとなるのは、一ファンとしてこれ以上なく喜ばしいことです。
ボカロ作品もこれまでと同様に作り続けていくと言ってくれているので、「次はナブナとヨルシカのどちらで来るかな〜」と二つのポストを交互に見つめながら、その両方の奥にいる彼の生み出す作品を、これからも自分は楽しみに待ち焦がれていようと思います。
【追記】
蛇足かもしれませんが、ふと思ったことを。
ナブナさんのこのアルバムを聴いていて、「この人はほんとに夏が好きなんだなぁ」といつもながらに感じるわけですが、彼の表現したい「夏」のイメージって、個人的に非常に共感できるし、同じような「夏」からどうしても離れられずにそのイメージを表現している人って他にもいそうだよなぁ…と思いを巡らせていて、一人思い当たりました。
『三日間の幸福』などで知られる小説家の三秋縋さん(別名義:げんふうけい)です。
最後のツイートの「ピアノ曲のBGM」とか、まさしくこの『夏草が邪魔をする』の "夏陰、ピアノを弾く" のような曲のことですよね。
音楽ナタリーのインタビューで、ナブナさんはこのようなことを言っています。
「夏の情景が大好きなんです。夏の空の青さとか、草原や木陰、川、海、蒸し暑い感じ……全部が好きなんです。僕は情景から物語や歌詞、曲を生み出すタイプなんですけど、夏のちょっと切なくて透明感がある雰囲気が好きだから、いつもそのイメージが出てくるんですよね、たぶん。」
「間違ってもパーティピーポーみたいな、湘南の海水浴場みたいなイメージではないんですよ。鹿児島あたりの海岸沿いの街の、ひっそりした砂浜とか。そういう景色が好きで、それを想像したり描写しているんだと思います。」
ここで出てきている「湘南の海水浴場みたいなイメージ」の夏というのはおそらく、三秋さんのツイートで言及されていた「正しい夏」という概念に近いものなのだろうと推察できます。
三秋さんも(全ての著作を読んでいるわけではありませんが)個人的に大好きな作家さんの一人なので、音楽と文学という全く異なる分野の好きなアーティストさんの間に、同じような「夏」への憧憬という共通点で橋がかかったことに感動したので、追記という形で書きました。
いつか二人にも何らかの形でコラボしてほしいですね。
それから、"夏影" や "鳥の詩" で知られるノベルゲーム『Air』を書いたKeyの麻枝准さんもやはり似たような感覚を持っているだろうなぁと思います。
このような夏のイメージは日本人特有のものなのか、そうではないのか…ということも少し考えてしまいます。
それはさておき、いよいよ現実世界でも夏が本格的に始まりました。今年の夏は何をしよう…休みの初めに色々と計画を立て、それを見事にぶち壊すのが毎年の通例ですが、それもまた夏の一つの味わい方なのでしょうね。
ではまた。
2ndアルバム『負け犬にアンコールはいらない』の記事はこちら!
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