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〜メタ右翼映画〜 今敏『千年女優』(2002)感想


ラストの台詞のネタバレだけネットのいろんなブログ記事でくらっていた『千年女優』をやっとみた。なんつーか、そのオチ知っちゃってたらわりと台無しになる系のやつだったな……「なにも知らない状態でみていた場合」の自分の反応/感想は千年の彼方に消えた。

先日観た湯浅作品のように前衛的な作風ではなく、まっとうに映画/アニメの画作りがめっちゃ上手いなぁと感心はしていた。
最初のほうで、この作品はこういう進め方でいきますよ、という説明が済まされてしまうので、時代をさかのぼったかなり早い段階から、何度も同じ「茶番」をみせられてかなり退屈ではあった。画はいいんだけど。

序盤の「あの頃はみんな"右"に曲がれの時代でした」的な台詞をいってるときに実際に出征の列車がガッツリ右に曲がっていて笑っちゃったんだけど、なるほど、この映画の文法はそういうことね、と了解して、それ以降は彼女が曲がる方向に注意してみていた。全部を確認したわけじゃないけど、あの国賊の絵描き男に会うためにチヨコが追いかけていく幾つかの場面ではしっかり"左"へと90度方向転換してから走っていた。

ただし、彼女が曲がる方向は左でも、この映画の画面上では右へと走っているように撮っていることもかなり多く、このベタ/メタの左右の食い違いをどう解釈すべきか、というのを考えながら観ていた。(なにせ、中盤はずっと冗長で暇だったので。)

終盤、北海道へ向かうために全力ダッシュする盛り上がりどころで、彼女のこれまでのベタ/メタの疾走シーンが編集されつなぎ合わされるくだりが顕著なように、彼女は(画面上で)右にも左にも手前にも奥にも走りまくっており、ここにおいてもはや「左右」の区別は意味をなさず、彼女の人生(=この映画)においては両者がはじめから合一している、ということがあまりにもわかりやすく宣言される。

と、そこで振り返ってみると、もともと彼女は戦時中の国威高揚プロパガンダ映画で演じるためにスカウトされて映画の世界へと入ったのであった。彼女に愛国的なイデオロギーはない(つもりである)として、それでも愛する男を追いかけるために、いわばそうした右翼的な文化芸術/産業である映画を利用しているのだという自負のもとで女優人生を歩んできたわけだが、あの怪しい長白髪お婆さんの呪いで暗示されているように、「愛する男に再会するために一生をかけて追い続ける」という陳腐でドラマチックな筋書き自体が、大衆映画産業というプロパガンダ装置のなかで醸成され普及されてきた、代表的な保守イデオロギーである。

つまり、うら若き彼女の「映画を利用してやる」という、右翼思想を踏み台にして左翼オトコを追いかけて左へ曲がり続ける決意のもとでの軌跡は、カメラを1つ通してみれば(むろん、彼女の人生は"すべて"カメラ越しでしかないわけだが)、彼女の必死の左カーブも、右に向かっての全力疾走である。こうして、終盤の「左右」の垣根を崩すシーケンスと、本作のメタ映画性は統一的に解釈することができる。

で、ラストの台詞に戻ってくるわけですが……うーん、どうなんだろう。地面が揺れる地震も、地面から離れるロケット発射も、やはり「カメラに撮られた映像」という観点ではどちらも「画面が小刻みに揺れる」演出で表現されるわけで、地面を離れて宇宙に飛び立ったからといって、何かから脱却できているわけではない。一点透視の宇宙の彼方へ消えていく結末も、「左右」というパラダイムから降りているようで降りられていないような……。彼女の宣言は、そうした、どうあがいても抜け出せない強固な映画プロパガンダの円環に身を置いていることを自覚したうえで積極的に引き受けるものだと一義的には見做せるが、オチとしてあまりに凡庸がすぎるので、もっとひねった解釈をしたいんだよなぁ。。。 「死」という究極の脱出経路すらも、「あの人をまた追いかけていられる」と本人に言わせる徹底ぶりだしなぁ……

えーと、まとめると、「王子様幻想」および「映画幻想」および「保守思想」がすべて本質的には同等であり、これらから抜け出すことは原理的に不可能ですよ~~という明白な事実を、アニメ映画の表現論として示した作品であった。(漫画『なるたる』の感想とだいたい同じだ……)
その手法は巧みかつ整然としていて感心したが、肝心のストーリー=テーマに目新しさは無かった。

(こうして考えると、むしろ気になってくるのはチヨコでも絵描き男でもなく、彼を拷問の末に殺した憲兵男だ。彼はのちに「あの頃の自分は権力の犬だった。酷いことをした」的な懺悔をしてチヨコの前で土下座をしているが、この映画において保守思想を相対化できているのはこの男しかいないように見える。ただ、本作においては彼も(つまり、「保守思想の相対化」も)乗り越えられるべきものでしかなく、中途半端な自己反省パフォーマンスよりも、開き直って突き抜ける態度に突き抜けている映画ではある。)

女性の「王子様幻想」からいかに脱却するか、というのは『少女革命ウテナ』のスタートラインなので、そのへんもあわせて考えたいっすね~~


(ほかの人たちの感想を見て)
みんなそんなに最後の台詞に衝撃を受けたり感動したりしてるのか……
みんな、そんなに「狂気的な愛」が好きなんだ……そんなに愛(国)至上主義者なんだ……
まぁ、「そういう”自分”が好き」と、すべてが自分へと収斂していくロジックはまさに「自分(の国)が好き」という右翼思想そのものだ。(ナルシズム=ナショナリズム)
そのイデオロギーがいかに強固であるか(そして、その愛国イデオロギーが映画などのメディアを通じてロマンスという一見して非-政治的な形で人々に浸透してゆくのか)を描いている作品なのだから、最後の台詞に感銘を受けるひとが続出すること自体が、この作品のテーマを皮肉にも証明している。
すごく滑稽だけど、そりゃあ現実の政治状況がこんな感じになるよなぁという絶望感に似た納得感はある。



・本noteはFilmarksに投稿したもののコピペです。


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