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【イラン映画】キアロスタミ監督作品〈ジグザグ道三部作〉を観た



ジェームズ・ポンソルト監督『人生はローリングストーン』のようなドキュメンタリー調の映画が好みかもしれない、と言っていたら知人からキアロスタミ『ジグザグ道三部作』を薦められたので、アマプラで観ました。

薦めてくれたひとの記事


キアロスタミのキの字も知らなかったし、イラン映画なんて多分観たことがありませんでした。

〈ジグザグ道三部作〉とは、イランのある地方の村を舞台にした長編映画

1. 友だちのうちはどこ?
2. そして人生はつづく
3. オリーブの林をぬけて

の3作を指すらしいです。

以下、それぞれの鑑賞直後の感想


・友だちのうちはどこ? (1987)

イラン版はじめてのおつかい。
最後のシーンで思わず「そんだけ〜〜〜〜!」と逆IKKOみたいなことを叫んでしまった。
たったこれだけのことを90分かけて映画にしているのか。むしろ、たったそれだけのことだからこそ映画にする価値がある(特に当時のイランという地理的・政治的な状況を考慮すると)のかもしれない。それが明らかに本作の美点だろう。

しかし、大衆エンタメ映画こそが映画なのだと思い込まされている私にとっては、正直なところかなり退屈な作品だった。途中で何度も寝落ちしかけた。アンチ・ドラマチックなドキュメントタッチの作品なら無条件で好きなわけではないのだとわかった。……いや、前述の通り最後までみればそういうことがしたかった映画なのだということは腑に落ちて、そのささやかさが子供の優しさ・純真さと結びついて心地よくは感じるのだが、それにしたって流石にちょっと単調でストーリーが薄すぎてキツかった。ストーリーが薄くても会話劇が面白かったり画的にすごく美しく楽しければいいのかもしれないが、本作は台詞も少ないし(リアル調なので)、イラン北部の貧しい村という舞台設定で地味な画面が続く。

あと、何より大人が子供に対してめちゃくちゃ抑圧的で、シンプルに主人公が可哀想だった。それが本作の根幹にある必要な描写だから仕方ないんだけど。子供(主人公)の純粋さをあまりに無批判に称揚するのもどうなんだ?と逆張りをかましたくはなるが、イランという全く知識がない国での作品であるということが、そうしたツッコミを留まらせる。

夜に帰宅して床にかがんで宿題をやっている最中に扉がバァン!と開いて強風が入ってくるシーンとか、すごく風格はあった。
全体的に高尚な芸術映画という趣で、まだ自分はこれを絶賛できるまでのレベルには達していない。「ささやかなことだけを描く映画」って自分がまさに映画で観たいと常々思っていることではあるんだけど、いざ実際に観てみると、やっぱりある程度のエンタメ性はほしいな……と思ってしまう。自分が大衆文化に冒された人間であることを思い知らされた。


・そして人生はつづく (1991)

これはすごい。やべー作品を観てしまった・・・

前作の虚構性を暴きながら踏み越えていく三部作といえばアゴタ・クリストフ『悪童日記』三部作を連想せざるを得ない(じぶんのオールタイム・ベスト海外文学)。しかし実写映画でメタフィクションを(巧みに)やるとここまで凄いことになるのだなぁという、実写映画の力を見せつけられた。

メタフィクション要素だけでなく、そもそも「移住」「移動」をテーマにしたロードムービーとしてもエゲツない完成度。

車とともにあるカメラ。車内から窓越しに接する路端の人々の顔を映さない演出にしびれた。基本的に車と一緒にあるカメラが、ところどころで車から置いていかれたり望遠で砂利道を走る車を撮ったりするカットが挟まって、カメラと車(に乗る2人)の距離が巧みにコントロールされていた。

そして「"この映画"での私の家だよ」と言われているときの主人公のおっさんの顔!!! プヤ君が屈んで手慰みしているのも必死に誤魔化そうとしているかのように見えてしまう。

歩行者と運転者、災害の当事者と非当事者、子供と大人、田舎の貧困層と都会の富裕層、ベタ存在とメタ存在、死んだ人と生きている人…………これらの幾重にも重なった非対称な権力関係を淡々と、実写映画という手法でしか出来ない形で描ききった大傑作だった。

ラストカットの直前、おっさんが見上げた砂利道を歩いていた人影2人は、ひょっとして『友だちのうちはどこ?』の主役2人だったのだろうか。違うか。

ラストシーンはさすがにカッコよすぎる。一瞬通り過ぎたとき「また乗せんのかーい!www」ってなったけど。

前作から共通して、素朴なヒューマニズム、人の優しさに着地した形だけど、シンプルだった前作とは対照的に今作はメタ要素でかき回しつつ、ロードムービーという形式で最後まで作りきっていて本当にすごい。

前作の風景を「地味」と評したが、今回の途中で停まる村の青い家とかの風景はとても綺麗で良かった。のだけれど、もちろんそれは映画用に取り繕われた舞台セットなのだろうし、実写映画の舞台/風景をナイーブに美しいとか地味とか言ってしまうこと自体の暴力性が本作では徹底的に問われているので、ひじょ〜〜〜にコメントしにくい。そういうところまで含めていい映画だった。

三部作の完結編はどうなるんだ!?!?

あ、やっぱあのおっさんはキアロスタミ監督"役"だったのね。流石に本人ではないか。



・オリーブの林をぬけて (1994)

おお……おお!? ラストカットが超望遠ロングショットなのは前作と同じだけど、主演が再びカメラに近づいてくるところは対照的。それはともかく・・・最後どうなった? タヘレ一瞬立ち止まってホセインに何か話していたようにも見えたが、OKしたのか? だから彼は嬉しそうに駆け戻ってきたということ?

ラストシーンの解釈はよくわからないが、とりあえず、そんなに好みではなかったかな……1作目と同じくらい。
前作よりも露骨なメタフィクションというか、映画撮影の舞台裏まで見せますよ、という体の作品。『カメラを止めるな!』で予習したとこだ!となった。

そんなに響かなかった一番の原因は、そもそもなぜそんなにホセインは彼女と結婚したいのか共感ができず、2人の結婚が成立するか否かは正直どうでもいいと感じてしまったことだ。もちろん、前作の主題を引き継ぐ形で発展させて、男女関係における権力構造や、家を持つ者と持たざる者がいるという現実を描いているのはわかる。

1作目ではほとんど若い女性が登場せず、2作目でも終盤でやっと洗い物をする2人の少女が出てきただけで、イスラム圏の映画ってもしかして若い女性は出演すら難しいのか?とか思っていた。そんな流れがあって、今作ははじめからたくさんの女学生が集まって誰を主演にするか決めるシーンで幕を開けたので、男性中心から女性中心へと三部作のなかで遷移させているのかと思った。しかし蓋を開けてみれば、色々格差問題とかはあるにしろ、男がメインの恋愛モノ?の筋書きでやや肩透かしだった。

「読み書きが出来るひとはできない人と、都会人は田舎者と、家を持っている人は家を持っていない人と結婚するべきだと思うよ」というホセインの台詞は、前作の主題である非対称な権力関係を露骨に意識したもので面白いな〜とは思った。
このように、ところどころで面白い部分はたくさんあるのだけれど、しかし前作の完成度が高すぎて、どうも蛇足感が否めない。そもそも、前作のほんの何気ないシーンの裏にはこんなドラマがあった──という根幹のアイデアからして、よく考えるといけ好かない。



・まとめ

というわけで、

・1作目→うーん……
・2作目→神
・3作目→うーん……

という印象でした。『そして人生はつづく』が最高すぎるので、それだけでもこの三部作を全部観る価値はあると思います。ちなみにクリストフの悪童日記三部作でも、2作目の『ふたりの証拠』がいちばん好きです(あっちは3作とも超好きだけど)。

実写映画のメタフィクション作品って、それこそカメ止めくらいしか観たことがない気がするので、もっと観てみたいと思いました。アニメ映画だといくらでもあるんだけど、現実を直接的に切り取る実写映画におけるメタフィクションはまた全く異なる文法に支配されており、だからこそいくらでも面白いことが出来そうだと感じています。

また、イラン映画とか、こうした芸術寄りの映画をほぼ観たことがなかったので、たくさんみたいなーとおもいましたまる

キアロスタミ監督も大尊敬してるらしいし、いい加減そろそろ小津安二郎みるか〜〜




<ほかの洋画感想note>


『人生はローリングストーン』のジェームズ・ポンソルト監督作品の感想



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