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数学ガールオタクが初見VTuberの積分配信にめちゃくちゃ感動したメモ1



私はタイムラインとトレンドを一切見ないタイプのツイ廃なので、流行の話題に乗り遅れることが多々ある。(それでいいと受け入れている)

そのため「不登校だった(?)VTuberが積分についてイチから勉強する配信」が少し前に話題になっていたらしいと今さら知った。

私はVTuberのオタクではない。ときどきのらきゃっとさんの放送を観るくらいで、今をときめくホロライブとかにじさんじについては何も知らない。

ただ、私は数学ガールのオタクである。
数学ガールとは、ラノベ風の数学読み物シリーズだ。ラノベと言っても、扱う数学は高校〜大学レベルかそれ以上と、ガチである。(派生した『数学ガールの秘密ノート』シリーズでは中学〜高校レベルの易しい内容を扱っている)

私は本当に数学ガールシリーズが好きで好きでたまらなく、約1年前からはレビュアーとして出版前の原稿を読ませて頂いている。だから「著者からの回し者とかではございません!」というよくある弁解に説得力がなくなるのだが、ほんとうに「著者からの回し者とかではございません!」。


数学ガールでは語り手たる「僕」が、数学ガールたちと「対話」をしながら数学の世界を冒険していく。特に、昨年に出版された『数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話』では、数学がものすご〜〜〜〜〜く苦手な「ノナちゃん」という新キャラクターが登場し、何がわからないかさえもわからないひととどのように対話を築き上げていくべきか、についてこれ以上なく真摯に向き合っている。

私はこの「学ぶための対話」巻が数学ガールでいちばん好きだし、全人類に読んでほしいと誇張でなく思っている。


このように数学ガールオタクである私は、魔界ノりりむさん&グウェル・オス・ガールさんの積分配信の噂を嗅ぎつけて、

これってリアル版『数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話』じゃん!?!?!?

と叫んだ。

(何でも自分の守備範囲に落とし込んで理解しようとするのはオタクの悪い癖だ)


数学ガールの著者である結城浩さんも当然ながらツイートしている。

数学ガールオタクとして、この配信は絶対に最初から最後まで観なければいけない、舐め回すように観たい!という気持ち悪い想いに駆られて、私は配信を観始めた。

以下は、その配信を観ながら、思うところがあったら一時停止をしてメモを書き連ねるのを繰り返すことで生成された怪文書である。

【注意点】
・私は数学科出身でもなければ教師・家庭教師歴もまったくない素人です。

・基本的にはりりむさんとグウェルさんが如何に素晴らしいかを語っていますが、「ここはこのように教えたほうが良かったのに」という指摘も含まれます。ただし、これは教え手のグウェルさんを非難したり、俺のほうが上手く教えられるとマウントをとる意図は一切ありません。何卒ご了解ください。

・そもそも「メモ書き」なので、他人が読みやすいような配慮は一切しておりません。

・該当部分の配信での時間(○時間○分○秒あたりの発言)を大まかに示している箇所もありますが、そうでない部分も多いです。すみません。

以上の点に留意したうえで、お読みください。




りりむさんの学び手としての凄さ・グウェルさんの教え手としての凄さ(配信全体を通して)

りりむさんが「なんで?」「これがわからない」と言えるのが素晴らしい。
それに対してグウェルさんが「言ってくれて嬉しいです」「ありがとうございます」と即、答えるのが更に素晴らしい。本当に心から嬉しくて言っているというのが伝わってくる。家庭教師歴のあるひとはこれができるのか。

あと、りりむさんがなんとか思ったことを言語化しているときに、たとえ間違えていそうなことを言っていても、グウェルさんは言い終わるまで決して否定的な反応をしない。自分だったら、「ん〜〜〜〜〜それは……どうだろうな〜〜〜」とか、首を傾げるとか眉をひそめるとかしちゃうと思う。

頑張って発言している最中にネガティブな反応をもらうと、発言自体へのハードルが上がる。「間違ったことを言ってはいけない」と思わせてしまう。だからグウェルさんはどんなときもりりむさんの発言を邪魔しないし、出来るかぎり肯定するし、間違いを指摘するときも、なるべくりりむさんの学習意欲を削がないような言い回しで指摘する。これは教育のプロだなあ……学習の内容への理解だけでなく、こうしたスキルが教師には求められるのだなあ。

これって、テキストでの対話形式の数学ガールでは決して気づけなかった点だな。ひとりが喋っている間に、もうひとりがどういう相槌とか表情をするかってのは、こうした配信形式でこそ反映される。(表情は見えないけど)

グウェルさんの凄いところはまだある。自分が喋っているときでも、りりむさんがほんの一瞬でも何か言いかけたら、即話すのをやめてりりむさんの喋りを聞いたり促したりする。この反応速度を長時間ずっと保ちつづけているのが本当にすごい。

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『数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話』無料立ち読み版より引用

このように『数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話』では、「僕」がノナちゃんを置いてけぼりにして早口でまくしたててしまい、あとで失敗に気づくという場面が多々ある。これは教える側が相手のことを常に第一に考えて振る舞うことがいかに難しいかを鮮明に表現している。
グウェルさんは数学ガールの「僕」よりもこの点で遥かに優れている。常にりりむさんに気を配り、学び手ファーストで教えている。

学校教育もこうであるべきなんだろうけど、1対1じゃなくて1対多だからそりゃあむずかしいよな〜〜〜オンライン授業が主流になったら何か変わるのかしら。

あと何気に、ふたりがPCごしにオンラインで対話している点にも注目するべきだと思う。オフラインなら相手の表情とかいろいろな情報が共有できるが、グウェルさんはほぼ声だけでりりむさんに反応している。恐ろしく丁寧に「聞いて」いる。


方程式と恒等式

りりむさんの「『y=x^2+x+5』という数式で、yがなんで=の左にあるのか謎。だってふつうは『1+2=3』のように、求める『答え』はイコール(=)の右にあるから」という旨の発言。

これは数学初心者に立ちはだかる大きな大きな疑問だと思う。(それを言語化できているのが素晴らしい)

小学校でやる算数までは「1+2=3」のような恒等式しか扱わないが、中学校で数学に進化したら、xやyなどの変数・未知数が登場し、それらが式に入ってくる「方程式」が出てくる。

つまり、このりりむさんの違和感は、数式といったら恒等式しか知らない状態で方程式にはじめて遭遇したひとが抱くであろう、普遍的な違和感なのだと思う。
(ここらへんは数学ガールでもバッチリ扱われていた)

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結城浩『数学ガール』p.30

数式は必ずしも「答えを出す」とか「解く」ための手段ではない。数式それ自体が独立して意味がある。ただし、初等教育の算数・数学では、生徒に求められるのは答えを出すことだ。だから、「数式=答えを出すためのもの」とか、「数式=“問題”」という認識を持っているひとがめちゃくちゃたくさんいると思う。ノナちゃんもそうだった。この「問題の呪い」をちゃんと”解く"ためには大学以降の公理的に構成された数学理論に触れる必要があると思う。(それを中学生や高校生にもわかるように書いているのが数学ガールだ)

ここではりりむさんも数式を答えを出すためのものとして認識していることが伺え、グウェルさんが「そのとおりです」と言っている。これは本当は間違っているが、グウェルさんはそれを分かった上で、今目の前で学んでいるりりむさんの理解にとってどう認識してもらうのがベストかを一瞬のうちに判断しての「そのとおりです」だと思う。グローバルな真理より、ローカルな最善策を。「学ぶための対話」=教育における一つの定理かもしれない。公理?


10/5追記
「y=x^2+x+5」みたいな数式は方程式ではなく関数でした。ものすごく初歩的かつ重大な間違い。この関数でyに0などのある定数を代入して「x^2+x+5=0」のようになったものが方程式ですね。ここに追記して訂正します。


0:37:00頃 分数・割り算をピザの分配にたとえる

「1/2」を「ピザ2等分した一切れ」に例えているが、まず「ピザを1とする」とか、「全体は何か」を例えのほうでも定義したほうが良いと思う。「1個」だと整数の範囲で割り切れないときに困るので、「ピザの面積を1とする」(単位は問わない)あたりが無難かなあ。無単位に引っかかると泥沼になりそうだけど。

2÷4=0.5 を考えるときに、「全体はなにか」あるいは「今なにを数として表しているのか(ピザの個数なのか、分配した数なのか、面積なのかetc.)を定義せず暗黙の了解としていたことのツケが回ってきている。

りりむさんが納得いっていないのは、「0.5」という”答え”は、一体何を表しているの?ピザの個数?切り分けた回数?一切れの大きさ?面積?というところでこんがらがっているからだと思う。

例えば「いま、円形のピザ1個の面積を1とします。1/2とは、このピザ1個を2等分したときの、一切れの面積を表しています」とはじめに確認していれば、2÷4=0.5 のときも、「1個の面積が1であるピザ2個を4等分したときの、一切れの面積は0.5です」とすぐにわかる。

(ただし「n等分」という表現自体にピザ1個を切り分けるイメージがつきまとうので、「4人で平等にわける」とかのほうがいいかもしれない。)


0:42:00頃

約分を解説し始めるが、図を書き間違えたグウェルさんに対して「ピザ2つにしないほうがいいんじゃない」とりりむさんが指摘する。この指摘は(いまの2人の状況では)完全に正しい。ただし「面積を数で表している」と了解していれば、ピザは2つのままで良かった。(一般性が上がった)

でも、いま何を数で表しているのかあいまいなまま進んでいるので、ピザ1個の場合と2個の場合でこんがらがって、1個の場合でしか理解しにくくなってしまった、ということなのだろう。

いま、数を何に対応させて例えているのか」を意識することが大事、というのも数学ガールで教わった。

数学ガールでは、「2つの世界に橋を架ける」というモチーフが頻繁に登場する。
ここでは「数式の世界」と「現実の世界(ピザの世界)」に橋を架けるべきだ。
1とか2のような数字は現実世界には存在しない。1個、2個、のようになまじ直感的に使いやすい身近な概念なので、数学初心者は整数の非実在性・抽象性に思い当たらない。

「1」という数字それ自体が現実世界にぽつんと存在することはあり得ない。この意味で、整数も実数も虚数も複素数も平等に「想像上の数」である。ピザ1個2個と言うときには、「数」を「ピザの個数」に対応させている。橋を架けている。

橋の架け方は好きにしていいので、ここでは「数」を「ピザの面積」に対応させるべきだ。(ピザ1個の面積を1とする)


1:57:00

「傾き」を数で表せることに感動するりりむさんに感動している。
でもたしかにそうだよな……「傾き」を数学的に定義できることに、中学生のあの日の自分も感動したはずなんだよ。もうその感動を100%感じることはできないけれど。

数学を学んでいていちばん面白い瞬間のひとつだと思う。既になんとなく知っていると思っていた概念が数学的に表現されることで、その概念がよりいっそう鮮やかに深みを増す瞬間。

数学じゃなくて物理学だけど、自分は大学の熱力学で「温度」の概念が熱平衡に達した系の同値類から定義されたときにめちゃくちゃ感動したのを忘れられない。(田崎熱力学
温度なんて小学生になる前から「知って」いたのに、それを理論的にバシッと、より深く「知る」ことが出来たあの瞬間、物理やってて良かったな〜最高に楽しいな〜と思ったものだった。


この辺が初等数学の醍醐味といえるかもしれない。

大学以上の高度な数学では、「測度」とか「位相」とか「準同型」のような、日常生活ではまず使わない概念を抽象的に作り出して、そこで初めて学ぶ。(これはこれで別の楽しさがある。初めは得体のしれなかった概念の手触りやイメージがだんだんと分かってきて、「そうか、お前は要するにそういうやつだったのね!」と親友になっていく※のだ。)
いっぽう初等数学では、「角度」とか「面積」とか「傾き」とか「確率」のような、日常生活ですでになんとなく知っている、使いこなせる概念を数学で"学び直す”。

※数学の言葉や記号、概念の理解が進むことを「友達/親友になる」と表現するのは数学ガールのテトラちゃんから学んだ。テトラちゃん最高

だから、ふだん何気なく、数学なんて全く意識せずに使っていた概念が実は数学的に厳密に定義できると知ることは、ほんとうに衝撃的なことだと思う。

りりむさんの感性はほんとうに素晴らしいと思うけど、それを「りりむはやっぱ天才だなぁ」で片付けてしまってはいけないような気がする。りりむさんだけじゃなくて、みんな、一番最初に学んだときにはたしかに思ったはずなんだよ。・・・いやどうだろう、疑問に思わず通り過ぎるひとも多いか。・・・でも、「天才」という、あたかもごく一部の特別な選ばれたひとにしか感じられないものじゃなくて、もっと万人に共有できる面白さだと思う。数学は、向き合い方さえ間違えなければ誰にでもめちゃくちゃ面白いもの。

このとき、日常的な概念から数学的な概念が生み出されたのか、それとも数学的な概念から日常的な概念が生み出されたのか、どっちだろうという疑問も浮かぶ。おそらく初等数学では前者のほうが多いだろうけど、後者の概念もあるかもしれない。
(日常的な用法ではないが、数学とか物理学の用語がポストモダン分野に窃用・応用されるのも、後者の一類系として理解できるかもしれない。)


2:01:07

「定義」を「ソース」って表現するひと初めて見た・・・・・・おもしろ!!!

1次関数の「傾き」を、「xとyの増加量の比」として込み入って定義しなくても、たしかに1次関数の場合はもうxの係数aとしてそこに見えている。計算するまでもない。

だけど、「なんでxの係数aが傾きなんですか?」と聞かれたときには、「だって傾きとはこういう定義だから」と、定義にさかのぼって説明する必要がある。ここで定義は論理の”証拠”、つまり”ソース”として機能している。おもしれ〜〜〜!

これって、りりむさんがちゃんと「理解」しようとしていることの証拠でもあるんだよな。「暗記」じゃなくて。

「なんだかよくわからないけど、とにかく傾きを聞かれたときにはxの前にある数字を答えればいいのか」という理解だけだったら、「なぜそれでいいの?」という理由のツッコミに対して脆く崩れてしまう。レスバに負ける。

レスバに負けないためには、ちゃんとソース=定義を提示しなければいけない、という発想があるから、定義って要するにソースってことね、という解釈にたどり着ける。

ただし現実のレスバでは「そのソースが正しいって証拠は?」という(野暮な)ツッコミが来る可能性がどこまでもついて回るが、数学では「なぜその定義で正しいの?」という問いは禁止されている。なぜなら、それ以上理由が問えない、論理の終着点であり始発点が定義(の定義)だからだ。(公理も同じ)

数学は論理に限界を定めることで、完璧に論理的な議論ができる。それに対して、限界を定めていないためにかえって議論の論理性が担保されない現実の諸問題・・・という倒錯がおもしろい!


Twitterで、この配信のタイムスケジュール(どういう流れで積分まで学んでいったのか)をまとめた画像が出回っているようだが、ネタバレになるので絶対に見たくない。こっからどの方向に行くんだろう……?うおおおお楽しみだ〜〜〜〜
(そういや、「こっからどの方向に進むんだろう。僕だったらこう教えるな〜」って思考、まんま数学ガール(の比較的カンタンな内容のところ)を読んでるときの思考だ。ミルカさんが弁舌を振るいだしてついていけなくなったら教わるテトラちゃん側に回って読んでいる。)


2:10:25あたり

1次関数(直線)で傾きの定義を説明した後に、「では2次関数では……」とグウェルさんがいいかけた途端にりりむさんが「・・・!!!!!きた!!!やばいやばい!!!えっ!?どういうこと!?!?」と”気付いて”しまった瞬間、マジで感動できる。数学を学ぶことの楽しさ、白熱さをこれ以上なく素直に表現してる。

そうだよなあ。中学数学までの傾きの定義では1次関数にしか適用できないけど、微分を理解するためには曲線に対しても傾きを求められなければならない。でもどうやって?ぐにゃぐにゃ曲がってる2次関数では直線のときみたいに傾きを求められなくない???・・・そこで満を持して「極限」が導入される!!!アツすぎ〜〜〜〜〜!!!この辺の展開、ほんとうに熱い。微積分って面白いよなあ。(やったことないけど数学科の専門家が研究するレベルの微積分学(解析学)はもっっっと奥が深くて面白いのだろう)

りりむさんの反応、こんなの数学ガールでしか見たことねえよと思いたいけど、でも、たしかに現実にこういう生徒は数え切れないほど存在するはずなんだよな。というか、潜在的にはすべての人間がこの感動を感じられる才能を持っているはず。りりむさんの鋭さ、感受性、それらをすぐに外に発信する力、どれをとっても素晴らしい。けれど、「りりむは天才」という称賛が、「彼女はふつうのひととは違う」という、我々と彼女のあいだに一線を引く言葉であってはならない。あってほしくない。この配信はもっともっと多くの人に観られるべき放送だが、それはりりむさんやグウェルさんの才能・特別さを持ち上げることで逆に「一般人」が「俺は/私はりりむみたいな地頭のいい人間でもないし、グウェルのように教えるのが上手い先生に恵まれてもいないし……」と悲観するためじゃなくて、「自分も学びたい!!!教えたい!!!」という情熱を引き出す、すべての学習者・教育者へのエールになり得るからだ。少なくとも自分は、この配信を見てやっぱり数学ってめちゃくちゃ面白いな、大学の自主ゼミで多様体論をやって以来しばらく数学に触れてないから、また勉強したい!!!と強く思ったし、他の人に教えてみたいとも思った。それくらいりりむさんとグウェルさんの「学ぶための対話」は素晴らしかった。こちらの学習意欲を削ぐのではなく高まらせてくれる、最高の配信だった。


2:13:00あたり

「さっき1次関数の傾きをソース(定義)にしたがって求めたとき、なんでx=1とx=3の2点を選んだの?」というりりむさんの質問、めっっっちゃ良い……!!!!何でもかんでも数学ガールに当てはめてしまうことに若干の申し訳無さを感じているのだけど、めちゃくちゃテトラちゃんがしそうな質問。ユーリもするかも。(数学ガールのオタクなんだ、申し訳ねえ)

グラフを最初に書いたときに出た「なんでx軸が横でy軸が縦なの?」という質問も超テトラちゃんみがある。というか、作中で同じこと言ってなかったっけ?「なんでxやyなんですか?aやbとか、アルファベット以外ではダメなんですか?」的な質問はしてたよな。

こうした疑問ってすごく重要だと思う。「任意性と特定性の混在への気付き」とでも言うべきか。

教える側からすれば、「どの2点を選んでもいいけど、とりあえず何かを選ばないと傾きを求められないからこの2点を選ぶ」のだけど、こうした理解(任意性を認めた上で、ある特定の2点を選ぶ)は、その概念を学んでからでないと獲得できない。初学者にとっては、目の前で先生が書いたことが「全て」だから、目の前に書かれた式のうち、どれが「本当はこれでなくて他でもいいところ(任意)」で、どれが「これじゃなきゃダメなところ(特定)」なのかを判別することはほぼ不可能だ。(それこそ、数学に慣れてくると初見の式でもその辺りを峻別できる技術が培われていくのだろうが)

だから、とりあえず全てが「こうじゃなきゃダメなところ」だと認識するのがデフォルトだと思う。そもそも、数学において「別にこうじゃなくてもいいもの」なんて曖昧で不確かっぽい要素があることに思い当たらない可能性が高い。それが当たり前だ。

これって数学のきわめて本質に近いところにある問題ではないか。特殊と一般、具体と抽象・・・・・・

三平方の定理(a^2+b^2=c^2)を表現する上で、aとかbとかcとか、個別の文字の種類は重要じゃない。それらは3種類が別々のものでありさえすれば何でもよい。大事なのはそれらの関係性(方程式)だから。でも「何でもいい」からと言って「何でも」のまま式に表すことはできない。「何でも」から「何か」ひとつの組を選ばなければならない。

数学には常に、こうした矛盾を乗り越えるような作用が内在している。

これって表現論とか圏論の発想につながる……?『〈現実〉とはなにか』って圏論関連の本でこんな感じのことが書かれてたな、そういえば。



2:16:00

グウェルさんがちょっとわかりにくい説明をしてりりむさんが「うーん……」と黙り込んでしまったときに、すぐ「今のは私の説明が悪かったです。すみません」とすぐに自分の非を認めるのマジで尊敬する。「わからないこと」は悪いことじゃない。生徒の罪ではない。そう演出するのがめちゃくちゃ上手い。

「わからないこと」の責任を決して生徒(りりむさん)に押し付けない。全部自分で引き受ける。その代わり、「わかったこと」の手柄は全てりりむさんにあげる。手放しで称賛する。「今のは私の教え方がうまかったから」なんて絶対に言わない。(言わないし、微塵も思ってもなさそう、とこちらに思わせるほど、グウェルさんの教師としての振る舞いは完璧に近い)

この2人は理想的な対話を築けているが、悪い教育環境の場合、逆に生徒がすぐに「ごめんなさい、わかりません」と謝り、教師は「こんなに説明してるのになんでわからないんだ!」と怒るケースが想定される。想定されるというか、めちゃくちゃ見覚えがある。誰だってそうだろう。残念ながら、こちらのケースのほうがはるかに一般的だ。

そういえば数学ガールでも、テトラちゃんが「ごめんなさい、わかりません」といい、それに対して「僕」が「わからないことは決して悪いことではないよ、テトラちゃん。謝ってはいけないよ」という会話はよく見る。(これに「すみません」とテトラちゃんがまた謝り、あちゃ〜…と場が和んで解けていくのが王道パターン。)

「ごめんなさいなんて言わないほうがいいよ。わからないことは悪いことじゃないよ」という「僕」の言葉も現実によくある惨状と比べればじゅうぶんに優しく素晴らしいものだと思うが、しかしグウェルさんの対応のほうが更に優れている。
「謝らないで」というのは、どれだけ優しくやわらかく言ったとしても、これはこれでひとつの「指摘」だし、いちばんマイルドな形の「お叱り」である。「〇〇するな」というのは、どれだけオブラートに包んでも否定形・禁止形なのだから、言われた側は「そうか……〇〇なんて言わないべきなんだな。気をつけなくちゃ」と萎縮してしまう。

だから、生徒に「謝るな」というのではなく、教師が先に謝ってしまう。生徒に一寸たりとも謝る隙を与えない。そして、褒めることのできる隙が一寸でもあったら決して見逃さずに褒める。ここぞとばかりに褒めちぎる。こうして、生徒は何も禁止されず、萎縮せず、さらに自分に自信が持てて自由に発言することができる。なるほどな〜〜〜良い対話はこうして作るのか!

「わからないことは罪ではない」も「謝らないほうがいい」も、言ってること自体は間違っていない。でも、どんなに正しい内容でも、それを相手に言うことが正しいかは別問題だってことだな。コンスタティブ(事実確認的)とパフォーマティブ(行為遂行的)の違い?


そういや、りりむさんが「ここがわからない」とか言うとグウェルさんは「素直に言ってくれて助かります。ありがとうございます」と感謝をすることもとても多い。謝罪と感謝。

謝罪と同様に、りりむさんが「教えてくれてありがとう」と言うことも(少なくともここまででは)無かったはず。これは一見、りりむさんが感謝も伝えられない失礼なやつ、みたいな感じに受け取られる可能性があるが、しかし学ぶための対話においてはこのほうが理想まである。りりむさんがダメなのではなく、一言もりりむさんに感謝させるまでもなく自分が「ありがとうございます」と言って良い対話へと運んでいっているグウェルさんの手腕が凄すぎる、というべきだろう。

というか、いま「失礼」という言葉を使ったが、学ぶための対話において「礼」はかなりの面で不要ですらあるんじゃないか?「ここで先生の話をさえぎって質問したら失礼かな」という思考が、どれだけ生徒から質問の機会を奪っているか。実際、配信内でりりむさんはグウェルさんの説明をさえぎりまくっているし、グウェルさんはそれを咎めるどころかありがたがっている。推奨している。理想的な学びの場だ……!

「先生」と呼ばれることを嫌う大学教授が多いのも、似たような理由なんだろうな。
(ただし上に書いたとおり、「〇〇するな」という禁止行為それ自体が生徒を萎縮させ、学びの場の雰囲気を悪くしてしまうというジレンマがここに横たわっている。「私を先生とか教授とか呼ばないでくれ」という発言は、言った本人からすれば、対等で気楽な関係を作るための"やさしい言葉"のつもりでも、言われた側からすれば、してはいけないことが1つ増えるだけの"やさしくない言葉"であった、という悲しいすれ違いが今日もどこかで起こっている。)




やばい、マジで数学ガールのレビューをしてるときと同じ感じでメモを書き連ねてる。数行ごとに数十行書きたいことが出てくるのと同様に、数秒ごとに書きたいことが数十行出てくる。実質数学ガールの新刊といっても過言ではない。(そして、今度出る数学ガールの新刊実質りりむ&グウェルの新配信!)




とりあえずここまで!

2時間16分まで、二次関数のグラフの傾きについて考え始めるところまで観た。

2時間の配信を観るのに5時間くらいかかった……ぜんぶ観終わるまでに何時間かかるんだ……

ここからどうやって積分までたどり着くのかワクワクが止まらない。ネタバレは絶対に見たくねえ!!!

続きを観たら2を書きます。プロセカで忙しいだろうけど……(そろそろメンテ終わった?)



【10/11追記】

続き書きました!!!





元配信アーカイブを再掲しておきます。みんなも観よう!



↑『学ぶための対話』第1章がまるごと無料で今すぐ読めます!↑
(回し者じゃないけどファンだから布教を欠かさない)


これまで書いた数学ガールnote


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