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約束の6月30日、私の課題

私が瀧本氏を知ったのは、大学1年、2016年の夏ごろだったろうか。
当時師事していた教授に、瀧本氏の著書「君に友だちはいらない」を手渡された。

ゲマインシャフト的集団(地縁・血縁)からゲゼルシャフト的集団(同じ目的を達成するために集まった社会集団)への転換、”友だち”ではなく”仲間”を集めることをを提唱した本著。
地元と家族から離れてすぐだった私に、本著は大きな勇気を与えた。

2018年9月、渋谷で開催されたイベント「ミライの授業」で瀧本氏に初めてお会いした。イベントは中学生~大学院生を対象ではあったものの、小学生の男の子がひとり参加していた。瀧本氏はその男の子に何度も意見を求めており、そしてその子もしっかりと返事をするものだから、日本も捨てたもんじゃないなあなんてぼんやりと考えた記憶がある。

下はイベント開始直前に撮った写真だ。残っていた。

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さてこの度の文章の目的は、瀧本氏が言うところの「秘密結社」を作るところにある。今回の主役とも言える著作「2020年6月30日にまたここで会おう」を読了すれば、言わんとすることは分かっていただけるであろう。

これから8年間の課題

「すべての子供が、自分の好きなことを追い求めることができる社会の実現のために行動する」これが私の課題だ。
と言うというからには、現状の社会はそうではないと思っている。
夢を大人に壊されてしまった子は少なくない。
「現実的に考えてみろ」「そんなバカなこと言ってないで勉強しなさい」大人(特に家族)に否定され失った自信や夢は戻ってこない。

大人も含めこのような社会にしている原因のひとつとして私が考えているのが、「学歴主義」だ。
(ここでいう学歴主義は「偏差値が高い大学に入れば素晴らしい将来が保障される」という考えとする。)

親は学歴主義を信じている。
子供は好きなことを無我夢中でやっているが、そんなことより勉強して「とりあえず良い大学に行ってほしい」と願う親は、それをやめさせるように仕向ける。
経済的にひとりで生きていけない子供は、どうしても家庭という呪縛から離れることはできない。自分の好きなことを否定していく家族とつきあっていく必要がある。
気づいたら、好きだったことはくだらないことになってしまっている。
中高生になりテストが増えると、点数が気になりだす。廊下に順位が張り出され、一喜一憂する。テストの点数が下がると、家族や教師に叱られる。
受験。偏差値が高い学校を勧められる。この時点で子自身もまた学歴主義を受け入れてしまっていれば、「とりあえず」偏差値が少しでも高い大学を狙う。
大学に入った後も、学歴コンプレックスに悩まされる人も少なくない。「とりあえず」で良い大学に入ったものの、別に何かを学びたくて入学したわけではないので、授業はテキトーに受ける。出席の点数が高い授業はどれか、友達と情報交換し、みんなで出席。でも後ろのほうで寝てる。
就活。実際、大企業を中心にいわゆる偏差値が高いと言われている大学出身者がほとんどを占めている。企業もまた、学歴主義に染まっているのである。
その子が大人になり子供が生まれると、同じように、勉強させて「とりあえず」いい大学に行ってほしいと願う。
歴史は繰り返す。

そもそも高等教育機関とは、瀧本氏も述べていたように、様々なバックグラウンドを持った仲間と学びを深める場ではなかっただろうか。
いつから、大企業に入って”良い”人生を送るための踏み台になってしまったのだろうか。

ゲマインシャフト的集団と学歴主義に依存した大人によって、子供が夢を壊されることによる弊害として、高等教育機関である大学の質が下がる。熱心に授業を受け議論をしたいという学生がいたとしても、残りは出席率のために出席して寝ている生徒しかいなかったらどうしようもない。

この課題を設定するに至った背景

まさに私は大学2年生ごろまで、「学歴主義」や所謂ステータスを重視する考えにどっぷり浸っていた自覚がある。
高校の後ろの黒板にはられたテスト順位表に自分の名前が載ったときは非常に誇らしかった。関東の国立大学に行っているのも自慢だった。地元のカラオケで学生証を見せる時なんて、相当いい気分だった。大学での勉強に関しては、中学生のときから興味があった経済学を素直に学んでいるつもりだったが、やはり成績優秀表彰をもらうと、すぐさま地元の家族にメールで見せびらかせ、褒められていい気になっていた。

きっかけは大学3年生だった。ある教授に「お前は幸せになれない」と言われた。
「こんなに頑張ってるのに、なんで」と素直に思った。
多くの本を読み、多くの人と話し、私なりに出した解釈はこうだ。

私が頑張るのはなんのため。認められるために頑張っていた。
認められるためには、他者より勝っている必要があると思っていた。
なんらかの軸で他者より上に行ったとして、その先に待っているのは、また別の人。人と比較してもキリがない。
優位に立って認められるということをインセンティブにしても、終わりがない。いつまでたっても「認められたい」という思いはなくならない。
だから、幸せになれないのだ。

ここで話を、学歴主義の弊害に戻そう。
私が先述のような考えにいたった根底に、やはり学歴主義が横たわっていると思うのだ。
「良い小学校・中学校・高校・大学に入り、大企業に就職したくさんお金を稼ぎ、幸せに暮らす」というイデオロギーは、他人との競争をどうしても生み出す。テストに上位者がいるのは、下位者がいるからだ。

良い大学に入るのは、多様な仲間と良質な学びを得るため。
学歴主義は偏差値が高い大学を崇拝しているようで、大学の質低下の原因となっているのではなかろうか。

学歴主義がなくなり、評価や他者との比較を気にせずに自分の好きなことに打ち込める世の中ならば、社会はより多様性に満ち溢れ、掛け合わせのイノベーションが生まれる可能性も高くなるであろう。

まとめると、2012年から今日までの8年間で、2020年から2028年の8年間の私の課題の第一歩を進めた、ということだ。

おわりに

課題概要が昨日発表され、急遽まとめた文章であるので、読みにくい部分が多くあったかと思う。
自分の頭の中に出てきたものをポンポンと言葉にした。

瀧本氏は「2020年6月30日にまたここで会おう」の中でこう述べた。

まず「言葉」によって正しい認識にいたり、「言葉」を磨くことでその認識の確度を上げていく。そして「言葉」を使って相手の行動を変えていくことで、仲間を増やし、世の中のルールや空気を変えていくことが可能なんです。

そして言葉のふたつの機能として「論理」と「レトリック」を挙げた。

今回の荒削りの課題を天国の瀧本氏に添削して頂いたとしたら、私はきっと最初のステップ「論理」の一番目からやり直しを食らうだろう。

言葉の教養を磨き、仲間づくりの準備をすること。
これが、私の課題の次の一歩になるだろう。