「僕」に帰る。

一人称は「僕」。物心ついた頃からそうだった。周囲の環境によるものだろう。

使い慣れた一人称は、僕自身の輪郭を縁取る。僕が日本語で自分自身を表現するにはこれ以上の言葉はない。これからもないだろう。

幼稚園の頃は周りの男の子も「僕」と言っていたような気がする。ところが、小学校に入るといつの間にか、ほとんどみんなが「俺」というようになっていた。

気がつくと「僕」を使うのはカッコ悪いことになっていた。この流れを敏感に察知した僕は、意を決してある日から「俺」を使い始めた。

たぶん、小学校1年生か2年生の時だったと思う。「今日から『俺』を使うぞ」と決めた日のことはよく覚えていないが、使い始めたころの気まずさは今でも記憶に残っている。

20年以上前の出来事を鮮明に覚えている理由は、一人称を「俺」に変えたのは外だけで、家の中ではずっと「僕」を使っていたからかも知れない。

3歳上の兄は周囲の一人称が「俺」に変わっても気にせずに「僕」を使い続けていた。父も、外ではわからないが、子どもたちの前で」俺」とは言わなかった。

その環境のなかで、家族の前で急に「俺」というのは、それはそれで気恥ずかしいことだった(僕の家族は、こうした変化を見逃さず「なに?今日から『俺』っていうことにしたの〜?」と嬉々としてからかってくるタイプの人たちなのだ)。

日本語において、複数の一人称を使い分けることは特段珍しいことではない。

一人称は相手への親しみや敬意を込めたり、距離を示したりするものだから、日常的に使い分けている人は少なくないだろう。「俺」と「僕」を併用している人も決して少なくないはずだ。

でも僕は悩んでいた。家で「俺」を使うことができなかったばかりか、外で「俺」を使っていることを家族に知られたくなかった。同時に、学校の友人に家族の前では「僕」であることを知られるのを恐れてもいた。

当時の僕にとって、一人称を使い分けていることは、誰にも言えない秘密だった。

外での「俺」と家の中での「僕」を使い分けることにはすぐに慣れて、ほとんど無意識でこなせるようになったが、困るのは内と外が重なる時だ。

友達が家に遊びにきたり、行事で家族が学校に来たり、子どもの頃の内外の境界線はすぐに踏み越えられる。

だから僕は、家族の前で友人と話すとき、友人のいる場で家族と話すときには、なるべく一人称を使わないように気を使っていた。この時の気まずさが、こんなことをいつまでも鮮明に覚えている理由かもしれない。

今振り返ってみると、家の外では「男らしく」振る舞おうともがいていたのだと思う。学校をはじめとする社会的空間は、体の動かし方、話し方、話す内容など、「男」という性別に割り当てられた行動様式を無意識に学習する場でもある。

幼少期を男の子として過ごさざるを得なかったトランスジェンダー女性が、その時の体験を「サイズの合わない服を着せられて、必死に体を大きくする感覚」と説明していた。その人はシス男性も大なり小なり、無理やり「男」になろうともがいているのではないか?と言う趣旨のことを書いていたが、その本を読んだときは感覚がわからなかった。

(おそらくは)シスジェンダーでヘテロセクシュアルな僕は、体の動かし方、話し方、話す内容などを成長とともに「男」のジェンダー規範に合わせていくことに苦労しなかった。ほとんど無意識に、無自覚のまま周囲の環境から吸収していったのだと思う。

そのなかで、唯一苦労したのが一人称問題だったのかも知れない。

外で「俺」を使うことはいつしか体に馴染み、それに合わせるように僕は概ね社会が想定する範囲内の「男の子」になっていった。

学校のなかでは、男子/女子という二者択一のカテゴリー分けに順応して、男子だけでグループを作った。いつの間にか、異性は恋愛の対象としてのみ交流が許される存在になっていた。女子に混じって遊ぶのは恥ずかしいこと、女子と2人で遊ぶのは「〇〇のことが好きなんだ」ということと同義になった。

それくらい鮮明に男性/女性という区分があった。この二つは交わることのない、本質的な差異を持った集団だと信じていた。

男女二元論に基づくジェンダー化を、なんの違和感もなく受け入れることのできた僕は、そのままに年を重ねてきた。

中学のときに僕が発した「誰が好きなの?」という友人への問いには、その対象が異性であることが当然のこととして想定されていた。僕にとって「恋愛=異性を対象とするもの」として定式化されていた。

性同一性があること、異性愛者であること、そのどちらも疑うことがないままに、つまりは自分のジェンダーやセクシュアリティを考える必要がないままに、平穏に暮らせたのは僕がたまたまマジョリティ側だったからだ。

そのなかで、唯一残り続けた違和感が「僕/俺」問題だった。

家族の前では使う「僕」に比べて、外の世界で周りに合わせて使い始めた「俺」は、男(男子)社会で暮らすための衣だった。

やがて、着ていることすら忘れるほどに体に馴染んできたものの、「俺」の衣の下には「僕」が隠れていた。

1人で考えごとをする時、自分を表す言葉はやはり「僕」だったのだ。

よそ行きの一人称を使うことをやめたのは、イタリア留学中だった21歳のときだ。ある日を境に使うのをやめることにした。なぜそのタイミングで決めたのかはもうよく覚えていない。

今振り返ると、外国での生活のなかで、極端に「俺」と発する機会が減ったことは大きかった。日本人の留学生は他にもいたので、日本語を話す機会はそれなりにあったが、とはいえ生活の多くの部分はイタリア語になっていた。

イタリア語で自分を表す io という一人称は、英語の I と同じく、ジェンダーや年齢の区別がない。意識したことはなかったが、僕は io を「僕」の意味で使っている。だから、イタリアにいる間は、日本の友人と連絡する時を除いて「俺」をつかう機会がほとんどなかった。

そういう環境もあってか、日本語で話すときも緩やかに「僕」の頻度が増えていき、ある日を境に日本の友人に対しても「僕」を使うことにした。

今振り返ると、自分のなかの男性性を誇示しているような気がして「俺」というのが居心地が悪くなったのかも知れない。

ただ、自分を変えたいという感覚ではなく本来の僕に戻るような感覚だった。

「俺」に変えたときの強烈な違和感とは異なり、「僕」に帰る道は驚くほど楽だった。

数ヶ月も経つころには、「俺」という言葉はもはやどの角度からみても、僕を表すものではなくなっていた。

帰国して久しぶりに日本の友人に会った際もそこまで大きな反応はなかったように思う。

数年ぶりにあった昔の恋人に「いつから「僕」にしたの?」と笑われたり、友達に「「俺」って言ってなかったっけ?」と驚かれたりしたときを除いて、「俺」だったことを思い出す機会はもうほとんどない。

振り返ってみると、やはり僕は「僕」で、「俺」ではなかった。

社会化の過程で身につけた「男らしさ」の中には、僕の体にピッタリと馴染んだものもある。でも、もしかすると「俺」という一人称のように、いつまでもサイズが合わないものが他にもあるかも知れない。

「男性性」を考える過程は、自分のなかの「男らしさ」の鎧を脱いでいく過程なのだとすれば、体に合わない「俺」を脱ぎ捨てたのは小さいな第一歩だ。

なにより、ちょっとだけ無理して、形の違う一人称に自分を押し込めることをやめて、僕でいることはとても心地がいい。




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