見出し画像

ショートショート 「遠くの臓器」

「ああ、これ行っちゃってますね」

医者は、ついさっき撮ったレントゲン写真を私に見せながら、言った。

「ほら、ここに本当だったら胃があるんですけど、ぽっかり空洞になってるでしょう」

確かに、丁度胃があるはずの場所には、何も写っていない。

「先生、これは一体、どういう事ですか。胃が無くなってしまったなんて。体調は全く悪くはないんですが」

「いえ、無くなった訳ではありません。行ってしまったんです。まあ、体の中にはないだけで、ちゃんと胃としては機能しているので、とりあえず命に別状はありません。安心してください」

「行ってしまったって。どこにですか」

「それは私にもわかりません。まあ、あなたくらいの年になると、よくある事ですから。そう焦らずに」

混乱している私とは対照的に、落ち着いた口調で淡々とした医者の話し方が、私をますます狼狽させた。

「先生、これ治せるんですよね?」

「うーん。難しいですね。どうしてもと言うなら、自分でお探しになって、持ってきていただければ、手術で体の中に戻す事はできますよ」



私は次の日から、毎日毎日、自分の胃を探した。

自分の部屋から、遠くの国まで。至る所を探した。

すると、肺や肝臓など、色々な臓器が落ちている事に気付いた。中には、なんと目が落ちている事もあった。

確かに、あの医者の言う通り、臓器がどこかに行ってしまうのは、珍しいことでは無いようだ。

体調には異変がないから、私のように定期検診で偶然見つからない限りは、みんな気がつかないのだろう。


もし私も、胃を無くした事に気付かなければ、こんなに大変な思いをせずに済んだのかも知れない。

どうせ体調には問題ないのだからと、探す事をやめようとした事も何度かあった。

気付かない内に、内臓が行ってしまっている人がたくさんいるのだったら、私も忘れてしまおう。私も、その内の一人になってしまおうと。

しかし、どうしても忘れることができなかった。

食事をするたびに、気味が悪くなるのだ。お腹は膨れるが、胃はそこに無い。

一度知ってしまった以上、もう元には戻れないのだ。



ある日、ついに私は自分の胃を見つけた。

実家の押入れの中で、埃まみれになっていた。こんな身近にあったなんて。

自分の胃を見るのは、これが生まれて初めてだけど、なんだかとても愛おしく、そしてどこか懐かしく感じた。

何がともあれ、これで安心だ。

ようやく元の生活に戻れる。はやく先生のところに持って行こう。




「先生、胃を見つけてきました」

「それは良かった。じゃあ、早速手術と行きたいところなんですが…」

「何か問題でも?」

「実は今、私の目には、知らない国の景色が写っているんです」

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?